無知の知とは何か|意味をわかりやすく解説|ソクラテス|公共・倫理

無知の知とは何か|意味をわかりやすく解説|ソクラテス|公共・倫理

意味

 ソクラテスの哲学的態度のことである。一般的には「自分が何も知らないということを知っている」状態のこととされ、それゆえ、何でも知っていると考える人よりも「無知の知」の人は「知らないということを知っている」分だけ、知恵あるものだとされる。

 しかし、ソクラテス自身が「無知の知」という言葉を発したわけではない。そもそも、ソクラテスは著作を残していない。プラトンの『ソクラテスの弁明』に登場するソクラテスの話の一部分の思想を切り取って、その思想を「無知の知」と名付けたのである。

著作読解

『ソクラテスの弁明』における無知の知

 ソクラテスの「無知の知」の思想が明確に現れているのが、『ソクラテスの弁明』(勘違いされることが多いが、プラトンの著作である)という著作だ。ここでのソクラテスは、ある種の知恵を他の人よりも持っていることにより知者であるとされる。そして、その知恵をソクラテスは「人間の知恵」と呼ぶのだが、それが日本では「無知の知」と呼ばれることになっている。それでは『ソクラテスの弁明』を見てみよう。

デルポイ神託の謎から始まる「無知の知」

 「無知の知」の発端はデルフォイの神託からである。あるときカイレポンが「ソクラテスよりも知恵のあるものはいない」という託宣を受けた。ソクラテスはそれを聴いて不思議に思った。というのも、自分が知者でないことは自分自身よくわかっていたからである。悩んだソクラテスは、自分より知恵のあるものを見つけてきて、「この人は私よりも知恵があります」と神に反論することに決めた。

 というわけで、まず政治家のところに行き、問答を試みたところ、どうやら彼は自分が知者でないのにもかかわらず、自分のことを知者だと思い込んでいるらしいということが分かった。そのことを指摘すると、激しく彼と周りの人から憎まれることになったが、ソクラテスは一人になった時にこう推察した。

とにかく俺の方があの男よりは賢明である。なぜといえば、私達は二人とも、善についても美についても何も知っていまいと思われるが、しかし、彼は何も知らないのに、何かを知っていると信じており、これに反して、私は、何も知りもしないが、知っているとも思っていないからである。されば私は、少くとも自ら知らぬことを知っているとは思っていない限りにおいて、あの男のよりも智慧の上で少しばかり優っているらしく思われる。

プラトン『ソクラテスの弁明・クリトン』久保勉訳、岩波文庫、2007年、24−25頁。

 そのあとも、もっと知恵のあると思われた政治家のところにいったり、悲劇詩人や技能に秀でた人のところに行ったりして問答を試みた。満身の憎悪を受けながら。しかし、全て同じ結果であった。神託を覆すことはできなかった。そこで最終的にソクラテスは次のように結論づけた。自分が相手の無知を論証すると、自分が知者にみえてしまうが、と語った後、こう述べる。

しかしながら、諸君、真に賢明なのは独り神のみであり、また彼がこの神託においていわんとするところは、人智の価値は僅少もしくは空無であるということに過ぎないように思われる。そうして神はこのソクラテスについて語りまた私の名を用いてはいるが、それは私を一例として引いたに過ぎぬように見える。それはあたかも、「人間達よ、汝らのうち最大の賢者は、例えばソクラテスの如く、自分の智慧は、実際の何の価値もないものと悟ったものである」とでもいったかのようなものである。

同書、28頁。

 これが、デルポイの神託を受けてのソクラテスの謎解きと「無知の知」の発見というエピソードである。

補足解説

無知の知と不知の知

 「読解」で二つの文章を引用したが、二つの文章を比較すると、だいぶニュアンスが異なることに気づいただろうか。一つ目の引用が意味しているのは、私たちもよく知っている「無知の知」の一般的な意味のことである。すなわち、「自分(ソクラテス)は知らないということを知っているので、その分だけ知者である」ということである。これは非常にわかりやすい。

 しかしながら、それは結論ではなく、最初に政治家を尋ねた後に推察したことでしかない。結論となるのは二つ目の引用なのだが、それを読むと「無知の知」の意味が一つ目の引用から読み取れるものとはだいぶ異なることがわかるだろう。

 二つ目の引用では神が登場する。そしてその文章では、真の知というのは神のみが持つ、ということを最初に述べている。さらに、それに比べて人間の知恵というのは、「僅少(ほんのわずか)」「空無(全く値打ちのない)」だとも述べている。この文章から「無知の知」を読み取ろうとすると、「知」というのは、神のみが知りうる知(一つ目の引用に登場した「善・美」についての知)のことであり、神のような知恵を持っていないということを知っている、というふうに読み取ることができる。ソクラテスはその一例に過ぎない。

 神が持っている知というのは完全な知である。人間の知恵はそこまで到達しない不完全な知である。というわけで、「知」に関して人間は神のようには知らないけど、全く何も知らないというわけでもない。このことから「無知の知」ではなく「不知の知」の方が適切だと考える人もいる。これは特に二つ目の引用に影響を受けた解釈であり、説得力がある。

 ポイントは実はソクラテスの「無知の知」の議論には、単純に「知らないということを知っている」というだけでなく、神の持つ完全な知というような前提が挿入されていることである。現代を生きる私たちからすると不思議に思われるかもしれないが、ソクラテスの生きた時代というのは今から2000年以上も前の話だ。あらゆる前提が私たちと違うことに関しては、プラトンの著作を呼んだりするとよくわかる。少なくとも「無知の知」というのは、「人間の知」と「神の知」を明確に区別しながら、善美な事柄(神が完全に知れる事柄)について「知っている」と思い込んでしまうことのない状態だといえよう。

参考文献

内山勝利編『哲学の歴史 第1巻 哲学誕生【古代I】』中央公論新社、2008年。

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