物とは何か – 手近存在と手許存在(ハイデガー)|意味をわかりやすく徹底解説

物とは何か  – 手近存在と手許存在(ハイデガー)|意味をわかりやすく徹底解説

ハイデガーにおける存在するもの(Seiende)の種類

 『存在と時間』でハイデガーが行った分析は存在論的分析と呼ばれる。つまり、存在するもの(Seiende)の存在(Sein)がどのようなものかを問う分析を行ったのである。存在するものといってもなにも難しく考える必要はない。椅子、机、雲、石、人間や世界までこういったものは全て存在するものだ。こういった存在するものは、ハイデガーによれば、二種類に大別できると言う。

存在するものは誰か(実存)であるかあるいは何か(最も広い意味で手近に存在するもの)である。

『存在と時間』63頁(SZ. 45)

 このうち「誰か」というのは人間のことだ。ハイデガーは人間をとりあげて分析すべき存在するものに指定し、彼らを現存在と名付けた。人間は「現」というあり方をする存在者なのである。存在と時間の後半はこの現存在分析に捧げられている。

 他方で「何か」がある。これは一般的には物のことであり、おそらく人間でないあり方をするものすべてだ。この文章ではこの「何か」が「最も広い意味で手近に存在するもの(Vorhandenheit)」と言われている。手近に存在するというのが物のひとつのあり方なのだが、物のあり方にはもう一つある。「手許に存在する(Zuhandenheit)」である。物はこの二つのあり方を持っている。

 というわけで『存在と時間』においては存在(あり方)が三つあることにある。一つ目が手近存在(vorhandensein)であり、二つ目が、手許存在(Zuhandensein)であり、三つ目が現存在(Dasein)である。どれも sein = 存在が後ろにくっついているので、それぞれ vorhannden, zuhanden, da というあり方をする存在するものがあるということを示している。それでは前者二つの違いは一体なんなのだろうか。

物理的な実在と道具という区別について

 『存在と時間』の訳者である高田珠樹氏はその訳の「用語・訳語解説」の欄で手許存在と手近存在を次のようにまとめている。

日常世界でさまざまの道具が立ち現れるさまが「手許」に在る在り方、物理的な実在として立ち現れるのが「手前に」在る在り方だと考えて大筋では間違いない。

(『存在と時間』698頁。)(おそらく「手前に」は「手近に」の間違い)

 つまり物が物理的な実在のように自分に現れてくる場合は「手近な」現れ方をしており、道具のように現れてくる場合は「手許」的に現れているのだ。

 具体的に椅子で考えてみよう。単純に椅子を眺めて、色がどうだとか、美しいとか美しくないとか(あまり観賞する人はいないと思うが)眺めている場合は「手近」だ。他方で椅子に座ろうとしたとしたとしよう。その時椅子は自分に対して道具として現れている。というわけでそれは「手許」だ。このように物は自分に対する現れ方でその存在の仕方が変わってくる

最も身近な物としての道具

 ハイデガーのこうした物論の特徴は、手許(道具)の方を手近(物理的な実在)の基礎に置いたことだ。物にせよ、世界にせよまず分析の主題となるべきなのは最も身近な物・世界である。それは普段日常的に慣れ親しんでいる物や世界のことである。

最も身近なかたちでの付き合いとは、先にも明らかにしたように、もはやただ感知するだけの認識の働きではなく、何かを取り扱いそれを用いる配慮であり、この配慮はまた独自の「認識」を備えている。

『存在と時間』96頁(SZ. 67)

 ただ見たり聞いたりすることより、何かを用いたりする方が現象学的に深い。しかしこの用いたりする配慮とは一体なんなのか。そのとき物はどのような状態なのか。

私たちは、配慮の中で出会う存在するものとして、道具をあげる。付き合いのなかで身近にあたるものには、文房具、裁縫道具、工作用の道具、乗り物としての道具、測定用の道具などがある。こういった道具の在りようをあらためて取り出す必要がある。

『存在と時間』98頁(SZ. 68)

 そして

道具がそれ自身からその本領を現してくるこういった道具の在りようを、私たちは手許にあると呼ぶ。

『存在と時間』99頁(SZ. 69)

 存在と時間の前半部分は実は物とはどのようなあり方なのかというよりも、世界とはどのようなものかということが問われていた。道具としての物はただ一つそこにポツンとあるのではなくそれぞれが連関しており、その全体が世界の世界性を現す。このように物のあり方を「手許にある」として定めることによって、ハイデガーは、ここでは解説しないが、世界の世界性(帰趨と有意性など)について探求することが可能となったのである。

おまけ:この概念の翻訳について

 最後におまけとして翻訳についてみていこう。今回採用したのは高田訳の「手近存在」と「手許存在」であるが、翻訳に関しては訳者によって結構まばらなのである(他のハイデガーの翻訳についてはこちら【『存在と時間』の邦訳について: 4.3 概念】

 「手近」や「手許」という訳は原語の感覚を残した訳し方だ。「handen」は英語に直すと hand であり「手」を表す。この系統で訳した訳し方には他に熊野訳の「目の前にあるありかたー手もとにあるありかた」などがある。

 逆に原語の字義からではなく、文脈上の意味から訳した人もいる。細谷訳は「客体的存在ー用具的存在」であり渡邊・原訳は「事物的存在性ー道具的存在性」となっている。たしかに事物と道具のように訳した方が意味は取りやすく、手近と手許の方がぱっと見て意味の違いを受け取りにくい。どちらを選択するか、またどちらを好むかは人によって異なるだろうが、僕が翻訳するとしたら「事物ー道具」系列を選ぶのではないかという気がする(今回は高田訳に従ったけれども)。意味の分かりやすさ重視で。

参考文献

マルティン・ハイデガー、高田珠樹訳『存在と時間』作品社、2013年。

Martin Heidegger, Sein und Zeit[SZ], Max Niemeyer Verlag, Tübingen, 2006.

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こちらは哲学用語特集 – 〇〇とは何か – に収録されています。こちらもぜひご覧ください。

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