ヒュームを学ぶ人のために
ヒュームとはどんな人物か
デイヴィッド・ヒューム(David Hume 1711-1776)
スコットランド、エディンバラ出身の哲学者。教科書的にはベーコンやホッブズ、ロック、バークリーと続く近世におけるイギリス経験論の系譜として分類される。哲学の分野においては、懐疑主義、道徳感情論などの議論が有名。哲学以外には、政治、経済、歴史、宗教、文芸批評などの分野で活躍。
生涯
ヒュームはスコットランドのエディンバラにおける長老派の家庭に生まれ育つ。12歳の時にエディンバラ大学に入学するも、文芸以外のことに関心が持てないと退学。自宅で本を読み漁り、ヒュームの思想形成が始まる。しかし、この時にヒュームは精神を病んでしまう。その後1年程で回復に向かい、ブリストルの商会で勤めるも、合わなかったようで程なくして退職し、パリへ留学。この留学中に、ヒュームの主著である『人間本性論』を執筆し、帰国後1739-1740の間に匿名出版する。執筆時、ヒュームは齢26、7歳であった。しかし、出版当時『人間本性論』は全く世間からの注目を浴びず、ヒューム自身この著作に対し「印刷機から死産した」と述べた程である。それ以降、ヒュームは『人間本性論』の『摘要』や『人間知性探究』等で自らの思想の推敲を重ねるも、執筆の関心は政治・経済・歴史・宗教などへと移っていく。しかし、その思想を捨てることは死ぬまで無かった。
ヒュームは執筆活動以外に、アナンディル公爵の家庭教師やセント=クレア中将の法務官や副官、エディンバラ弁護士協会の図書館長などをしながら生計をたてていた。大学で教鞭をとるチャンスも2度あったが、無神論者と見なされていたヒュームが大学に受け入れられることはついに生涯無かった。当時はまだ宗教的な圧力の強い時代だったのだ。しかし、無神論者という評価から、1763年に再びフランスへ行った際にはディドロやダランベールに歓待されたという。その際には、ルソーとも出会っており、ヒュームはルソーの亡命先の受け入れ人にもなった。はじめ二人は仲睦まじいようだったが、ルソーが次第に疑念を抱くようになり遂には絶交するに至っている。また、ヒュームの交友関係で言えば、アダム・スミスとの交友が有名である。スミスの『道徳感情論』などはヒュームの影響が大きい。1776年、エディンバラにて死去。カールトン-ヒル墓地にて埋葬。
後世への影響も大きい。ヒュームの著作を読み「独断のまどろみ」から目覚めたと言ったのはドイツの大哲学者イマニュエル・カントである。カントは当時隆盛していたライプニッツやヴォルフの系譜の大陸合理論に、ヒューム的な発想を織り交ぜることで、独自の超越論的哲学を打ち立てた。
現象学の創始者フッサールもヒュームから多大な影響を受けている。フッサールは現象学の入門としてヒュームの著作を勧めていたこともあるぐらい、その超越論的な記述を称賛している。ヒュームを現象学の父と呼んだこともあるらしい。
他にもドゥルーズがいる。ドゥルーズ初期のヒューム研究『経験論と主体性』は有名である。
著作とおすすめ度/難易度
著作の特徴とおすすめ度を紹介する。ぜひ参考にしてほしい。
人間本性論
『人間本性論 第1巻 知性について〈普及版〉』法政大学出版局、2019年。
おすすめ度:★★★★★ 難易度:★★★★★
『人間本性論』(1739〜1740)は、デイヴィッド・ヒュームの主著である。人間の知性、情念、道徳の3部作からなる本書は、ヒュームの経験主義的立場から「人間本性(human nature)」を探求する、知的に刺激的な書だ。現代でこそ、哲学界では広く読まれている『人間本性論』ではあるが、ヒュームの懐疑論の難解さは出版当初に理解されることはなく、周りからは無視されたそうだ。ヒューム自身に、『人間本性論』が「印刷機から死産した」と言わしめたほどであった。しかし、その後の『人間本性論』の哲学への影響は計り知れない。イマニエル・カントが、ヒュームの本を読んで、独断のまどろみから目覚めさせられたと言ったことは、あまりにも有名である。その他にも、20世紀の論理実証主義や英米系哲学には欠かせない議論や命題を提供してきたし、今も提供し続けている。ヒューム哲学について知りたけれぱ、まずは読破しなければ始まらない書である。
>>『人間本性論』のより詳しい解説: 『人間本性論』の紹介」
人間知性研究
『人間知性研究 付・人間本性論摘要〈普及版〉』斎藤繁雄/一ノ瀬正樹訳、法政大学出版局、2020年。
おすすめ度:★★★ 難易度:★★★★(『人間本性論』をすでに読んでいた場合)
『人間知性探求』(1748)は、デイヴィッド・ヒュームによる認識論的な主題を扱う書である。その内容は、『人間本性論』の第一巻「知性について」と重なる部分が多く、ヒュームの認識論を紐解くためには必読の書である。本書は『人間本性論』とは異なり、比較的売れたようで、ヒュームの生前から何度も版を重ねている。
やはり、大きなテーマとなるのは、ヒュームの「因果論」、あるいは確率論や蓋然性に対する考察であろう。論者によって見方が異なる場合もあろうが、この主題に対するヒュームの見解は、『人間本性論』と本書で大きな差はないと言って差し支えないように思う。
しかし、だからといって、『人間本性論』の単なる焼き直しというわけでもない。特筆すべきは、本書でヒュームが宗教的な題材に対する考察を行っていることや、ヒューム的な懐疑論の立場についての反省的考察がある点であろう。これらは『人間本性論』から逸脱する訳ではないが、『人間本性論』では章を立てて扱われることのなかった議論である。
このように、『人間知性探究』は、ヒュームの『人間本性論』の第一巻との関連が深い。そのため『人間本性論』の入門的書物として読んだり、『人間本性論』との比較を通じてヒュームの認識論をより深く理解するための良い手引きとなるだろう。
道徳・政治・文学論集
『道徳・政治・文学論集[完訳版]』田中敏弘訳、名古屋大学出版会、2011年。
おすすめ度:★★★ 難易度:★★★
市民の国について
『市民の国について(上)』小松茂夫訳、岩波文庫、1982年。
宗教の自然史
『宗教の自然史 ヒューム宗教論集 I』福鎌忠恕/斎藤繁雄訳、法政大学出版局、2011年。
おすすめ度:★★ 難易度:★★★
『宗教の自然史』(1757)は、円熟し、執筆活動に老練となったヒュームの名作。タイトルに「自然史」とあるが、その主題は、宗教の人間本性における起源と発展である。研究者の間では、ヒュームは『自然宗教に関する対話』で、人間には神の存在と本性を信じることは、理性によっても経験によっても出来ないと結論した後、では人間本性の諸原理の何によって、宗教が現実に信じられているのかという問いへ進み、その応答が本書だと語られることがある(出版年は『自然宗教に関する対話』の方が後だが、その草稿は『宗教の自然史』より以前に書かれている)。
内容としては、宗教の起源は多神教であり、人間の想像力により多神教から一神教が生まれたという道筋で、宗教の盛衰について語られる。本書の注目したいポイントは、宗教を考察する際のアプローチの仕方と言えるだろう。ヒュームの考察の仕方は、宗教の人間本性における起源を探るという点でヒューム哲学的であり、その起源を探るために過去の事実を用いなければならないため、歴史的でもあり、さらには宗教を比較しながら考察を深めるため文化人類学的でさえある。円熟したヒュームの知見と洞察力をフル活用していることが分かる大変興味深い著作だ。
このような本書は、ヒューム研究者の間で、ヒュームを再考するために注目を集めてはいるが、まだまだこれからといった感じ。邦訳本についても、出版こそされているが、さらなる洗練を求めたいところだ。読める人には、ぜひ原文で読んでほしい。幸い、本書を含む宗教関連の著作と自伝が含まれた“Dialogues and Natural History of Religion”が、Oxford World’s Classicsで出ている。原文で読みたい人には、安価で複数の著作が読めるのでオススメ。
自然宗教に関する対話
『自然宗教に関する対話 II』福鎌忠恕/斎藤繁雄訳、法政大学出版局、2014年。
『自然宗教をめぐる対話』犬塚元訳、岩波文庫、2020年。
おすすめ度:★★★★ 難易度:★★★
『自然宗教に関する対話』(1779)は、ヒュームの死後出版となった本。伝えられているところによれば、ヒュームは本書の出版に大変こだわっていたようだ。しかし、生前は、当時の宗教的な事情から、周囲の人々に出版をやめるよう説得され、断念する。その出版は甥に託されることとなった。
このような生い立ちの本書の主題は、「神の存在と本性に合理的な基礎はあるのか」、という問いである。そして、本編では、この問いに対して、それぞれ立場の異なるデメア、フィロ、クレアンテスという3人の登場人物が対話をして議論を進めていく対話篇となっている。
対話篇なので、他の本に比べ読みやすいとは言えよう。また、本書は、宗教という交差点でヒュームの思想のエッセンスとなる様々な要素が交わるため、その思想を知る上でかなり重要な著作であることは間違いない。しかし、ヒュームが宗教について体系的に語ることはほとんどなく、宗教に対するヒューム自身の立場を知ることが困難であることや、本書の謎めいた性格から、研究界での注目度はまだまだ低い著作と言えるだろう。
また、一般読者にとっては、宗教という現代日本に生きる私達にはあまり馴染みがない議論が展開されるため、あまりピンとこない話となっていると思われる。さらには、自然宗教(もしくは自然神学)という当時の宗教に関する歴史的事情を知らないと、なぜそんな話をしているのか?という疑問符がつくことだろう。その点でいうと、楽しむためには予備知識が必須の本である。
逆に言うと、ヒュームの思想や自然宗教(自然神学)、当時の宗教もしくは神学の事情に関する予備知識があれば、すこぶる面白い。そもそも、「神の存在と本性に、合理的な基礎はあるのか」という問いは、私達人間の「認識の限界」への問であり、単なる宗教的な論争ではないのである。さらに言えば、宗教が道徳の規範になっている社会にとって、神の本性がどのようなものであるかを知る(もしくは信じる)ことは、宗教のもとに社会秩序を維持するための根幹とも言える。しかし、神の存在と本性に合理的な基礎がないとすれば、言い換えれば、それを知り、信じることが出来ないとすれば、それは宗教的規範に則った社会を揺るがす問題になるわけである。そんなわけで、本書は、ただ人間の認識の限界を問題にするだけでなく、当時の社会そのものをも巻き込む壮大な問題を孕む著作となっているのだ。
奇蹟論・迷信論・自殺論
『奇蹟論・迷信論・自殺論 ヒューム宗教論集III』福鎌忠恕/斎藤繁雄訳、法政大学出版局、2011年。
研究書
ヒューム研究
神野慧一郎『ヒューム研究』ミネルヴァ書房、1984年。
おすすめ度:★★★ 難易度:★★★★
日本における最初のヒューム認識論の本格的な研究書。古めだが、普通に今でも読めるだけの含蓄がある。(kawayuki)
モラル・サイエンスの形成
神野慧一郎『モラル・サイエンスの形成ーーヒューム哲学の基本構造』名古屋大学出版会、1996年。
ヒューム読本
中才俊朗編『ヒューム読本〈新装版〉』法政大学出版局、2011年。
おすすめ度:★★★ 難易度:★★
ヒューム研究者らが各々のテーマについて論じた論文集のようなもの。ヒュームについてこれから深堀したい時に、テーマを見つけるのに使える。(kawayuki)
ヒュームの一般的観点
矢島直規『ヒュームの一般的観点:人間に固有の自然と道徳』勁草書房、2012年。
おすすめ度:★★★ 難易度:★★★★
ヒュームの認識論と道徳論を、ヒュームの「一般的観点」という視点からパラレルに論じたもの。近世哲学についての含蓄のある研究書。(kawayuki)
襤褸を纏った徳
林誓雄『襤褸を纏った徳ーーヒューム社交と時間の倫理学』京都大学学術出版会、2015年。
おすすめ度:★★★ 難易度:★★★★
ヒュームの若手研究者による道徳研究。
ヒュームの懐疑論
久米暁『ヒュームの懐疑論』岩波アカデミック叢書、2005年。
おすすめ度:★★★★★ 難易度:★★★★★
ヒュームの因果論と懐疑主義について深掘したければ必読の書。しかし絶版の可能性大である。(kawayuki)
ヒューム 因果と自然
萬屋 博喜『ヒューム 因果と自然』勁草書房、2018年。
おすすめ度:★★★ 難易度:★★★★★
久米暁のもとでヒュームを学んだ著者による、ヒューム因果論の研究。確率論におけるテクニカルな記述があるため、読むのは骨が折れる。久米暁のヒューム解釈を乗り越えようとする挑戦もみられ、『ヒュームの懐疑論』とセットで読む必要もある。(kawayuki)
入門書
ヒューム
杖下隆英『ヒューム』勁草書房、1982年。
おすすめ度:★★ 難易度:★★
泉谷周三郎『ヒューム』研究社、1996年。
おすすめ度:★★ 難易度:★★
上記2冊はコンパクトなヒューム入門書。(kawayuki)
ヒュームの人と思想
中才敏郎『ヒュームの人と思想 宗教と哲学の間で』和泉書院、2016年。
おすすめ度:★★★ 難易度:★
おそらくこれらの著作の中で最も手軽に読めるヒュームの紹介本。宗教論について比較的詳しく述べてある点が他にない特徴である。ヒュームを簡単に知っておきたいだけの人には一番オススメ。深掘りしたい人には物足りなさがある。(kawayuki)