ヒューム哲学を学ぶためにおすすめの本
ヒューム哲学を学ぶといってもいろいろな段階があるので、超入門者編から専門編(大学生・大学院生)まで難易度別に人気おすすめ著作を紹介することにした。
ヒューム哲学を楽しみながら知りたいという人は入門編、ヒューム哲学を深く知りたいという人は上級編の著作から読むべしだ。自分のレベルに合わせて読んでみることをお勧めする。
また、ルソーの入門書は「ルソーのおすすめ入門書・解説書」、アダム・スミスの入門書は「アダム・スミスのおすすめ入門書・解説書」、カントの入門書は「カントのおすすめ入門書・解説書」、ベンサムの入門書は「ベンサムのおすすめ入門書・解説書」、世界のおすすめ哲学書は「本格的な人向けおすすめ世界の哲学書」で紹介している。ぜひこちらもご覧ください。
入門編
中才敏郎『ヒュームの人と思想:宗教と哲学の間で』
おそらくこれらの著作の中で最も手軽に読めるヒュームの紹介本。宗教論について比較的詳しく述べてある点が他にない特徴である。ヒュームを簡単に知っておきたいだけの人には一番オススメ。深掘りしたい人には物足りなさがある。
『ヒューム 人と思想』
本書はコンパクトなヒューム入門書。ヒュームの生涯と彼の思想があますとこなく辿れる。
上級者編
『ヒューム読本〈新装版〉』
ヒューム研究者らが各々のテーマについて論じた論文集のようなもの。ヒュームについてこれから深堀したい時に、テーマを見つけるのに使える。
探究編
神野慧一郎『ヒューム研究』
日本における最初のヒューム認識論の本格的な研究書。古めだが、普通に今でも読めるだけの含蓄がある。
矢島直規『ヒュームの一般的観点』
ヒュームの認識論と道徳論を、ヒュームの「一般的観点」という視点からパラレルに論じたもの。近世哲学についての含蓄のある研究書。
久米暁『ヒュームの懐疑論』
ヒュームの研究者といえばこの久米暁であるが、ヒュームの因果論と懐疑主義について深掘したければ必読の書。しかし絶版の可能性大である。
萬屋 博喜『ヒューム 因果と自然』
久米暁のもとでヒュームを学んだ著者による、ヒューム因果論の研究。確率論におけるテクニカルな記述があるため、読むのは骨が折れる。久米暁のヒューム解釈を乗り越えようとする挑戦もみられ、『ヒュームの懐疑論』とセットで読む必要もある。
著作
人間本性論
『人間本性論』(1739〜1740)は、デイヴィッド・ヒュームの主著である。人間の知性、情念、道徳の3部作からなる本書は、ヒュームの経験主義的立場から「人間本性(human nature)」を探求する、知的に刺激的な書だ。現代でこそ、哲学界では広く読まれている『人間本性論』ではあるが、ヒュームの懐疑論の難解さは出版当初に理解されることはなく、周りからは無視されたそうだ。ヒューム自身に、『人間本性論』が「印刷機から死産した」と言わしめたほどであった。しかし、その後の『人間本性論』の哲学への影響は計り知れない。イマニエル・カントが、ヒュームの本を読んで、独断のまどろみから目覚めさせられたと言ったことは、あまりにも有名である。その他にも、20世紀の論理実証主義や英米系哲学には欠かせない議論や命題を提供してきたし、今も提供し続けている。ヒューム哲学について知りたけれぱ、まずは読破しなければ始まらない書である。
>>『人間本性論』のより詳しい解説: 『人間本性論』の紹介」
人間知性研究
『人間知性探求』(1748)は、デイヴィッド・ヒュームによる認識論的な主題を扱う書である。その内容は、『人間本性論』の第一巻「知性について」と重なる部分が多く、ヒュームの認識論を紐解くためには必読の書である。本書は『人間本性論』とは異なり、比較的売れたようで、ヒュームの生前から何度も版を重ねている。
やはり、大きなテーマとなるのは、ヒュームの「因果論」、あるいは確率論や蓋然性に対する考察であろう。論者によって見方が異なる場合もあろうが、この主題に対するヒュームの見解は、『人間本性論』と本書で大きな差はないと言って差し支えないように思う。
しかし、だからといって、『人間本性論』の単なる焼き直しというわけでもない。特筆すべきは、本書でヒュームが宗教的な題材に対する考察を行っていることや、ヒューム的な懐疑論の立場についての反省的考察がある点であろう。これらは『人間本性論』から逸脱する訳ではないが、『人間本性論』では章を立てて扱われることのなかった議論である。
このように、『人間知性探究』は、ヒュームの『人間本性論』の第一巻との関連が深い。そのため『人間本性論』の入門的書物として読んだり、『人間本性論』との比較を通じてヒュームの認識論をより深く理解するための良い手引きとなるだろう。
道徳・政治・文学論集
市民の国について
宗教の自然史
『宗教の自然史』(1757)は、円熟し、執筆活動に老練となったヒュームの名作。タイトルに「自然史」とあるが、その主題は、宗教の人間本性における起源と発展である。研究者の間では、ヒュームは『自然宗教に関する対話』で、人間には神の存在と本性を信じることは、理性によっても経験によっても出来ないと結論した後、では人間本性の諸原理の何によって、宗教が現実に信じられているのかという問いへ進み、その応答が本書だと語られることがある(出版年は『自然宗教に関する対話』の方が後だが、その草稿は『宗教の自然史』より以前に書かれている)。
内容としては、宗教の起源は多神教であり、人間の想像力により多神教から一神教が生まれたという道筋で、宗教の盛衰について語られる。本書の注目したいポイントは、宗教を考察する際のアプローチの仕方と言えるだろう。ヒュームの考察の仕方は、宗教の人間本性における起源を探るという点でヒューム哲学的であり、その起源を探るために過去の事実を用いなければならないため、歴史的でもあり、さらには宗教を比較しながら考察を深めるため文化人類学的でさえある。円熟したヒュームの知見と洞察力をフル活用していることが分かる大変興味深い著作だ。
このような本書は、ヒューム研究者の間で、ヒュームを再考するために注目を集めてはいるが、まだまだこれからといった感じ。邦訳本についても、出版こそされているが、さらなる洗練を求めたいところだ。読める人には、ぜひ原文で読んでほしい。幸い、本書を含む宗教関連の著作と自伝が含まれた“Dialogues and Natural History of Religion”が、Oxford World’s Classicsで出ている。原文で読みたい人には、安価で複数の著作が読めるのでオススメ。
自然宗教に関する対話
『自然宗教に関する対話』(1779)は、ヒュームの死後出版となった本。伝えられているところによれば、ヒュームは本書の出版に大変こだわっていたようだ。しかし、生前は、当時の宗教的な事情から、周囲の人々に出版をやめるよう説得され、断念する。その出版は甥に託されることとなった。
このような生い立ちの本書の主題は、「神の存在と本性に合理的な基礎はあるのか」、という問いである。そして、本編では、この問いに対して、それぞれ立場の異なるデメア、フィロ、クレアンテスという3人の登場人物が対話をして議論を進めていく対話篇となっている。
対話篇なので、他の本に比べ読みやすいとは言えよう。また、本書は、宗教という交差点でヒュームの思想のエッセンスとなる様々な要素が交わるため、その思想を知る上でかなり重要な著作であることは間違いない。しかし、ヒュームが宗教について体系的に語ることはほとんどなく、宗教に対するヒューム自身の立場を知ることが困難であることや、本書の謎めいた性格から、研究界での注目度はまだまだ低い著作と言えるだろう。
また、一般読者にとっては、宗教という現代日本に生きる私達にはあまり馴染みがない議論が展開されるため、あまりピンとこない話となっていると思われる。さらには、自然宗教(もしくは自然神学)という当時の宗教に関する歴史的事情を知らないと、なぜそんな話をしているのか?という疑問符がつくことだろう。その点でいうと、楽しむためには予備知識が必須の本である。
逆に言うと、ヒュームの思想や自然宗教(自然神学)、当時の宗教もしくは神学の事情に関する予備知識があれば、すこぶる面白い。そもそも、「神の存在と本性に、合理的な基礎はあるのか」という問いは、私達人間の「認識の限界」への問であり、単なる宗教的な論争ではないのである。さらに言えば、宗教が道徳の規範になっている社会にとって、神の本性がどのようなものであるかを知る(もしくは信じる)ことは、宗教のもとに社会秩序を維持するための根幹とも言える。しかし、神の存在と本性に合理的な基礎がないとすれば、言い換えれば、それを知り、信じることが出来ないとすれば、それは宗教的規範に則った社会を揺るがす問題になるわけである。そんなわけで、本書は、ただ人間の認識の限界を問題にするだけでなく、当時の社会そのものをも巻き込む壮大な問題を孕む著作となっているのだ。