エポケーとは何か|意味をわかりやすく解説|フッサール

エポケーとは何か|意味をわかりやすく解説|フッサール

意味

 フッサールが編み出した現象学的概念。現象学では、正しく事象を捉えるために、まず普段暗黙のうちに信じている見方を取り除く(自然的態度の変更と呼ばれる)作業をする。その方法が「エポケー」という作業である。

 もともとギリシャ語で ἐποχή と書く。ドイツ語だと Epoché である。古代ギリシアの時代から、哲学では「判断停止(suspense of judgement)」という意味で使用されてきた。それをフッサールが現象学の方法論として応用したのである。またフッサールは、その独自性を示すために「現象学的エポケー」と呼んだりする。

 フッサールの「エポケー」は日本語で「判断停止、判断中止」と訳される場合が多い。つまり「エポケーする」ということは、暗黙のうちに信じている見方を一旦停止するということである。これは電源オフにするという操作に喩えられる。ある回路の電源をオフにすると、回路に電流が流れなくなり電気が消える。逆に電源オンにすると電気がつく。重要なのは、一旦停止する理由である。一旦停止するのは、停止する前の作動状態のときに何が起こりうるのかを知るためである。電気回路で喩えると、電源オンの時に何が起こっているのかを知るために電源オフにするということである。

 この喩えを普段の意識生活に当てはめてみよう。電源オンの状態というのは、何も考えずに見たり聞いたりしている普段の生活の状態だ。これが自然的態度の状態と呼ばれるものである。しかしどのようにして私たちは見たり聞いたりすることができているのだろうか。それを知るためにはその状態を俯瞰しなければならない。それが電源オフにすること、すなわちエポケーだ。そうすることによってようやくいつも自分たちがどのような態度に嵌まり込んでいるのか、が分かるようになる(科学的に説明がつくのだからそんな回りくどいことする必要がないではないかという反論も予想させるが、そもそも科学的な態度というのも自然的態度に含まれているというのがみそである。つまり、科学的態度もエポケーされなければならない)。

 哲学の方法論的作業としては、他に方法的懐疑というものがある。デカルトが編み出した方法だ。喩えるなら方法的懐疑は、「目を瞑る」ようなイメージである。すると視界から世界が消えてなくなるが、方法的懐疑ではそれでも残っているものを探求しようとする(最終的に自我に到達する)。エポケーの場合、世界は消えたりしない。電源オフにしても回路はそのまま残っているのと同様にである。イメージとしては、エポケーは目を開けたままボーとしているような感じである(これをフッサールの専門用語で「中立化」と呼んだりする)。

定義

エポケーとは、素朴な信念(判断)の一旦停止である

 それではもう少しフッサールっぽい用語で説明しよう。すなわち、エポケーとは「素朴な信念(判断)の一旦停止」のことだ。

 「素朴な信念」ということで、何を意味しているのかが分からないとこんがらがってしまう。「素朴な信念」とは、例えば「幽霊の存在」や「宇宙人の実在」を信じていること、ではない。「信念」という言葉がややこしくさせているのだが、「素朴な信念」というのは、ほとんどすべての人が無意識に従っている意識の傾向性のことだ。これでも分かりにくいので、具体例を出そう。それはつまり「物の実在に対する確信」のことである。これが最も基本的な「素朴な信念」となる。

 目の前にコップが置いてある。そして私たちはそのコップにお茶入れ、飲んだりしている。それができるのは「そこにコップがある(実在している)から」である。このように、私たちは物の実在と共に生きているが、この実在というのも、私がそのようなコップという意味を与えたからに過ぎない。つまり、どうしても「コップが実在している(と私は考える)」という性格を消せない。だから、物の実在も「信念」のうちに入るのである。そんなものも信念に入るのだったら、ほとんど全てが入ってしまうのでは?と思うだろう。そう入ってしまう。習慣的なあらゆる見方、考え方、態度など全てが「素朴な信念」だ。そこには日常生活の処世術のようなものだけでなく、学問的な見方も含まれる。物理学、数学、社会学、心理学、それらすべての見方が「素朴な信念」の方に位置する。すると学問も消えるのではないか?と思ってしまいそうになるが、フッサールの発想は真逆である。むしろ、そこにそういった「素朴な信念」に従う学問をエポケーすることで新たな学問を打ち立てようとしたのである。それが現象学だ。

補足:エポケーという概念の曖昧さについて

 ちょっと専門的な話になるのだが、実は、フッサールにとってエポケーという概念は明確に輪郭を描けなかった概念であり、なにかと記述も錯綜しているのである。

 錯綜はすでに『イデーン I』に見られる。『イデーン I』の手沢本の欄外注に面白いことが書かれている。三一節に登場する「エポケー」という言葉に対して欄外注記として「むしろ信念抑止(Glaubenensthaltung)と言った方が良い」と書かれているのである(知りたい方は渡邊訳『イデーン I』みすず書房、278頁を参照して欲しい)。『イデーン I』では「判断中止」とか「遮断」とか「カッコ入れ」とか言われていた。こういった表現より、曰く「信念抑止」と言った方が良いというのである。それを書き入れたのは、1929年だと推定されている。時が経ってエポケーという概念のイメージも少しずつ変化してきたのだろう。意味も年代によってちょっとずつ変わっていくのである。

 もう一つ問題なのは、同じような概念として「現象学的還元」という概念があるということである。この二つの概念を確かに区別しているようにもみえるが、フッサールがエポケーと還元の差異について明確に指摘した文言は存在しない。

 それにも関わらずエポケーと還元を明確に区別し、それによって「非主観的現象学」というものを打ち立てたフッサールの弟子がいた。ヤン・パトチカである。彼は『現象学とは何か』という論考で「エポケーと還元の区別」について詳細に語っている。なんにせよ、これらの概念は、フッサールの著作からは明確に定義づけることのできない非常にあいまいな概念でもあるのだ。

読解

『イデーンI』から読み取るエポケーの意味

 エポケーとは何か。今度はフッサールの著作から見てみることにしよう。『イデーン I』ではエポケーの意味を表現するのに次のような表現が使われている。曰くエポケーするとは、あらゆる定立を「作用の外に置く」「遮断する」「カッコに入れる」「判断中止する」ことなのだということである。様々な表現が使用されているが(多分理解してくれないと思っていたからだろう)、大雑把にはこれで掴めるだろう。つまり定立という働きをストップすることだ。それでは定立とは何かということになるが、これもぼんやりした哲学的概念だ。とりあえずすごく簡単に、椅子を見ることで椅子を意識したり音楽を聴くことでその音楽を意識したりするこの意識の働きと考えて良いだろう。定立(Setzung)はドイツ語で「置く」という意味であり、椅子を意識(置く)したり、音楽を意識(置く)したりする作用のことをフッサールは定立作用と呼んでいる。

定立の遮断とそれでも残るもの(『イデーン I』第三一節)

 『イデーン I』第三一節でエポケーについての記述が登場する。その章ではまず、現象学は「自然的態度の徹底的変更」を試みる必要があるという。そのために「普遍的な懐疑の試み」(デカルト)を実行する必要があるが、現象学ではデカルト的な方法的懐疑と全く同じことを行うわけではない。曰く方法的懐疑は「方法的な便法」として役に立つだけであり、フッサール自身は方法的懐疑の「本質」部分だけを抽出しようとする。そこで述べられる懐疑の本質というのが「定立をある種の具合に停止するということ」であり、これこそが遂行してみたいことだということである。それゆえ、この定立の停止は

むしろある全く固有なものである。遂行された定立をわれわれは放棄しないし、われわれは自らの確信に何ら変更を加えるものでもない。・・・しかしながらその定立は一つの変様をこうむるのであるーーその定立はそれがあるがままにあり続ける一方で、われわれはその定立をいわば「作用の外に」置き、「その定立を遮断し」、「その定立をカッコに入れる」。その定立は依然としてそこに存在しており、それはちょうどカッコに入れられたものがそれでもカッコの中に存在し、遮断されたものがそれでも回路の連関の外側で存在しているのと同じである。

Hua. III, 63.

 つまりエポケーにおける「作用の外に置く」とか「遮断する」とか「カッコに入れる」とかいうのは、これまで遂行されていた定立が消滅することではない。例えばの話、ある机の知覚について分析するとしよう。その場合は机は実在するものとして知覚されている。そのときこの状況を分析するためにエポケーを加えるからといって、その机が実在するという判断を消すことはできない、というようなことなのだ(机が本当は実在せず、全て今見ているものは夢であるというような判断に囚われる状況に陥ったら、それはある種の狂気である)。それゆえ、

われわれはただ「カッコ入れ」「遮断」という現象だけを取り出して捕まえる。・・・しかしいかなる定立に対しても全き自由をもって、この独特なエポケーを行うことができる。このエポケーは一種の判断中止であるが、この判断中止は、真理についての揺るぎない、場合によっては揺るぎえない確信とも調和するのである。というのもその確信は明証的だからである

Hua. III, 64.

 しかしエポケーの「独特さ」はそれだけではない。後半の部分が肝だ。曰く「真理ついての揺るぎない、場合によっては揺るぎえない確信とも調和する」。つまり、かりに判断停止するからと言って、すべての判断(の類)も遮断されるわけではない。この「確信」はエポケーしたあとでも残るのである。なぜならそれが「明証的だから」である。

 この「明証的」というものの含蓄は、だからこそ現象学は学問として成立するということだろう。「明証的な真理」が、エポケーを介してもある意味その外側で残り続けることによって、これから遂行される現象学的記述の正当性を現象学者は主張することができる。そしてそれらの正しい言明があるからこそ、現象学は真理の学問となるのである。

一般定立をエポケーするとは?(『イデーン I』第三二節)

 節としてはこちらの方が重要だ。なぜかというとこの三十二節の題は「現象学的エポケー」だからである。エポケーについてさらなる規定がここで語られている。さてフッサールは何を語るのだろうか。

 最初にいきなりフッサールは「エポケーの全般性を制限する」という。デカルト的な「全般的懐疑」はしないと、ここでもデカルトとの差異を強調している。「全般性」とはありとあらゆるものに適用可能というようなことで、要するにフッサールはここでエポケーの範囲を絞りたいということを述べているのだ。というのもフッサールがやりたいのは、新たな学問分野(=現象学)を打ち立てることだからである。ではどこまでに制限するのか。

 一言で言うと、制限というのは次のことである。
 自然的態度の本質に属する一般定立を、われわれは作用の外に置くということである。つまり、存在的な観点から見てその一般定立に包括されるありとあらゆるものをカッコに入れるということである。それゆえこの全自然的世界をカッコに入れるのである。

 ・・・私は、時間空間的に現にあるものに関する判断を完全に排除することによって、「現象学的」エポケーを遂行するのである。

Hua. III, 65.

 答えは「自然的態度の本質に属する一般定立」である。では一般定立とは何かというと、それは「全自然的世界」である。全自然的世界といきなり言われても意味不明であるが、曰く「常に「われわれにとって現にそこに」「目の前に」存在しており、たとえ自由にそれがカッコに入れられるものだとしても、意識された「現実」として絶えずそこにあり続ける」ようなものが全自然的世界である。

 一言でいうと、実在物(性)一般をエポケーするということだ。椅子とか机とかその全体の世界とかが実在しているということをだ。実在物が存在すると仮定して行う学問が実在論だとしたら、要するに実在論のエポケーだ。実在論を肯定すると、世界はまずもって実在することになり、その実在的世界を主体の外部に想定せざるをえない。するとそこから学問体系を組み立てることになるが、そういった態度自体を禁止するということがフッサールの狙いなのである。

 なんでこんなことを主張しているのかというと、これこそフッサール現象学の歩みそのものだからだ。こういった実在論的なものが混じっているというのが、当時の哲学や師匠のブレンターノに対する批判でもあった。それゆえそれを乗り越えた先に、実在という外部を排して、全てを内部化するという方法を発見したことがフッサールのエポケーの核心だったはずである。

 しかし、実在性一般だけにエポケーを制限するということは何かが残るということである。例えば本質直観によって直観されるエイドス(形相)などがそうであろう。しかしこの本質主義的な側面を残しておいて良いのだろうか。エポケーによってエイドスもエポケーするべきではないのか。こういったことが、後の現象学者によって問われることになる。

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関連項目

参考文献

E. Husserl, Husserliana III/1. Ideen I : Ideen zu einer reinen Phänomenologie und phänomenologischen Philosophie, Martinus NIjhoff, Haag, 1976.

フッサール『イデーンI-I』渡邊二郎訳、みすず書房、1979年。

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