フェミニスト現象学とは何か –– 『フェミニスト現象学入門』

フェミニスト現象学とは何か –– 『フェミニスト現象学入門』

フェミニスト現象学とは何か:「フェミニスト現象学とは何か?基本的な視点と意義」から

 『フェミニスト現象学入門』に収められている最初の論考「フェミニスト現象学とは何か?基本的な視点と意義」(中澤瞳)からフェミニスト現象学とは何か、その意味を探っていきたい。

 「フェミニスト現象学」について中澤は、哲学者大越愛子の『フェミニズム入門』(1996年)を引用して解釈しながら、以下のようにまとめている。

フェミニスト現象学(大越の言い方では現象学フェミニズム)は、現象学の方法論を用いながら、主流の現象学が見落としていた女性の経験を考察の中心に据える、いわばフェミニズムと現象学の両者の考え方を併せもつ

『フェミニスト現象学入門』2頁

 ここでフェミニズムと現象学を再定義すると、フェミニズムというのはもともと「女性の自由や平等をもとめる思想、実践」(同頁)としてはじまったが、時代とともに変遷しており、ここではより広い意味で捉えている(フェミニズムの入門書はこちら)。つまりフェミニズムは女性のための思想だけでなく、多様な性のあり方やそれらに差別を生み出す規範意識の批判にも目を向けてきたのであり、その意味でフェミニズムは差別そのものへの批判などもその射程に収める。つまりフェミニスト現象学も「女性」の体験に絞った現象学というわけではない

 次に現象学であるが、現象学はここでは、日常的な経験の一人称の記述と規定されている。この一人称的記述というのは一般的に現象学の性質を示すのによく使われる言葉で、そういった定義に則っている。また、メルロ=ポンティの反自然主義的、反本質主義的な現象学という見方も取り入れている。例えば女性を分析するにあたって、生物学的な根拠とか女性の本質とかを土台にして分析しないという態度だ。また、フェミニスト現象学の特徴として「当事者性」についても触れている。これは一人称記述に準ずる特徴とみてよいだろう。

 というわけで、一般に誤解されがちだと思われるが、フェミニスト現象学は女性の経験を記述する学問ではない。女性というよりも差別に目を向けた学問へと変遷している。その観点から中澤は「さらには「マイノリティ」と呼ばれる人々の経験について当事者の視点から探究する学」と、かなり広い射程を含んだ意味として使用している。今となっては、「マイノリティ現象学」と呼んだ方が意味としては適当かもしれない。また単にそういった経験を記述する学であるだけでなく、「女性の体験する不自由や理不尽が個人ではなく、社会の問題であることを指摘するフェミニズムの一種」(川崎、i)であり、「マイノリティ当事者にとって生活世界をより生きやすい環境に変えるための方法を見つけ出す学問」(稲原、98頁)など人によって付け加える内容はさまざまなようだ。広く何らかの実践とも結びついているとみてよいだろう。

フェミニスト現象学の歴史:出発点はボーヴォワール

 さて、フェミニスト現象学はごく最近始まったことではなくて、歴史がある。始まりはボーヴォワールである。『第二の性』はフェミニズムの古典とされているが、そこに現象学の影響が、とりわけサルトル由来の実存的現象学の影響が見られる。ボーヴォワールはサルトルやメルロ=ポンティなどの現象学者と親しくしており、彼ら共に学んだであろう現象学が『第二の性』に生かされている。

 フェミニスト現象学をさらに推進させたのがアイリス・マリオン・ヤングである。ヤングの論文集『女性の身体経験について』(2005)もフェミニスト現象学のもう一つの古典となっている。

現代のフェミニスト現象学

 女性を対象にするフェミニスト現象学からマイノリティを対象にするフェミニスト現象学へと変遷してきたことは先に述べた。それは、ボーヴォワールが土台として考えていたメルロ=ポンティの現象学が男性の経験をモデルとした現象学であり、それを乗り越えたボーヴォワールでさえ白人女性を一般化した経験の記述に過ぎないとの批判されてきたなどの理由にもよるだろう。隠され虐げられた経験がまだ存在するというわけだ。必然的に、より見逃された経験、すなわちマイノリティの経験を記述しなければならなくなる。このようにしてマイノリティ研究へと合流するのである。

 さらに、具体的に論考を見てみると「女の子の身振り」、「妊娠」、「月経」、「家に住むこと(一人暮らし)」、トランスジェンダー、男らしさ、人種差別、障害、老い、などさまざまな内容に焦点を当てた論考が並んでいる。妊娠や月経は女性の経験だが、トランスジェンダーや男らしさは女性経験ではなく、さらに家に住むこと、老いまでいくと先ほど述べたマイノリティ現象学とさえ言っていいのかあやしい。

 「男らしさ」を例にとってみよう。男らしさをフェミニスト現象学から語るとはどういうことだろうか。論考「男だってつらい?」執筆者の川崎・小手川両氏曰く、それは「性別をもったものとして男性の身体や経験を記述していく」(131頁)ことになる。例えば「男なら泣くな」という言葉があるが、これは涙がコントロールの難しさや不合理性といった液体の特徴を表しており、男性の密閉された身体というイメージから拒絶反応である。男性の身体は合理的でコントロール可能であるという先入観が潜んでいるわけだ。分析の結果、そういったイメージが「人為的なものであり、男性と女性をともに抑圧しながら男性に有利な社会を維持することに役立っていることが見えてくる」(133頁)という。つまり、フェミニスト現象学的視点からすると、男らしさというものがいかに生成されているかというのが透けて見えてくるということである。

 男らしさはマイノリティとは一般に呼べないので、さらなるフェミニスト現象学の概念の拡張を要求されそうだ。もはや何らかの個別的経験の現象学全てを包括する概念といってもいいかもしれない。結論としては、現代においてはそれほどまでに意味が拡張した概念となっている、ということは述べておきたい。

おまけ:フェミニスト+現象学?

 あまりフェミニスト現象学に詳しくない人は、そもそもこのネーミングについて疑問を持った方もいると思う。なぜフェミニスト+現象学なのか。フェミニストは人のことを指すのだから、フェミニズム現象学の方が普通ではないのか。どうやらフェミニスト現象学の祖とされるボーヴォワールやアイリス・マリオン・ヤングはこの言葉を使ってなさそうなのである(使ってたらごめんなさい)。また1章で紹介した大越も、フェミニスト現象学ではなく、「現象学フェミニズム」と呼んでいる。いったいどういった経緯でフェミニスト現象学となったのか。

 実は「フェミニスト現象学」のフェミニストという言葉は人のことを指すのではない。この言葉はフェミニズムという言葉の形容詞なのだ。

 英語(おそらくアルファベット言語はだいたい)に熟知している人なら当たり前のことかもしれないが、少なくとも英語の場合、feminism のように語尾に「ism」がついている言葉を形容詞化するときには語尾が「ist」に変化するのである。つまり、英語からそのまま翻訳すれば「フェミニズム現象学」ではなく「フェミニスト現象学」となるのである。

 ただし日本語的にはちょっと違和感を感じるだろう。例えば「リアリズム小説」という言葉があるように、英語みたいに形容詞化させずに日本語に定着した言葉があることが一つの理由だろう。もうひとつは「・・・スト」いするとどうしても人に見えからというのも大きいだろう。「リアリスト小説」というのは日本語的には、ぱっとみ「リアリストが書いた小説か?」となってしまう。

 というわけでおそらくフェミニスト現象学という言葉は、英語に熟知した人がそのまま訳したからそうなったということになるだろう、。

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参考文献

稲原美苗・川崎唯史・中澤瞳・宮原優編『フェミニスト現象学入門ーー経験から「普通」を問い直す』ナカニシヤ出版、2020年

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