夏目漱石『こころ』解説|先生の自殺の理由|あらすじ感想・伝えたいこと考察|登場人物・疑問点

夏目漱石『こころ』解説|先生の自殺の理由|あらすじ感想・伝えたいこと考察|登場人物・疑問点

概要

こころ』は1914年に朝日新聞で連載、岩波書店から出版された夏目漱石の長編小説。「上 先生と私」「中 両親と私」「下 先生と遺書」の三章からなる。

彼岸過迄』『行人』に続く後期三部作の最後の作品にあたる。新潮文庫の部数ランキングではトップの750万部で、太宰治の『人間失格』と一位を争っている。

 海で偶然知り合った先生と私の交流と、手紙で私にだけ明かされた先生と親友Kとの隠された出来事を描いた物語。

 夏目漱石にはほかに『夢十夜』『坊っちゃん』「現代日本の開化」などがある。

 日本文学はほかに漱石の弟子の芥川龍之介羅生門」「河童」「芋粥」、宮沢賢治「注文の多い料理店」、遠藤周作『沈黙』、太宰治「走れメロス」などがある。

 本作は「日本純文学の最新おすすめ有名小説」で紹介している。

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登場人物

:東京の大学生。海で先生とであってから先生と静と懇意にしており、頻繁に先生の家にお邪魔している。「上 先生と私」「中 両親と私」の語り手。

先生:高等遊民。妻である静と東京で暮らす。「私」と親しい。「下 先生と遺書」の語り手。

:先生の妻。私とも親しくする。「下 先生と遺書」では先生の下宿先の女将の娘。「お嬢さん」と呼ばれ、先生とKと仲良くしている。

K:「下 先生と遺書」に登場。堅物。先生の紹介で静のいる下宿に、先生とともに暮らすことになる。「精神的に向上心のない者はばかだ」

静の母:夫を戦争でなくしている。先生が静をもらいたいと言う相談に、承諾を与える。

:私の父親。「中 両親と私」で病が重くなり私を呼びつける。

先生の叔父:先生の財産を横取りした。

名言

もし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだ

精神的に向上心のないものは馬鹿だ

あらすじ・ストーリー

上 先生と私

 先生と私は鎌倉で出会う。学生である私は長期休暇を利用して友人と海水浴にきてみると、外国人と日本人が一緒に海水浴をしていた。その日本人が先生である。その後、偶然にあったりすることで二人の間に交流が生まれた。

 私は東京に戻ると先生の家を度々訪れるようになった。先生は友人がおらず、妻の静と下女とで穏やかに暮らしていた。私は先生と親しくなると同時に、先生の振る舞い方に距離も感じていた。

 先生には毎月一人で雑司ヶ谷の墓地を訪れるという習慣があった。一度お供した時に友人の墓であると伝えられたが、詳しいことは教えてくなかった。先生と静は仲睦まじい夫婦であったが、時折先生は静と共にいると苦しそうな表情をするのだった。

 冬になり私の父親が腎臓の病気を悪化させたので帰省することにした。会ってみると父親は元気そうで、冬休みの終わる前には東京に戻る。父の病状が悪化して以降、先生は相続ははっきりさせておくように助言する。

 人の悪意について語る先生の様子がおかしいので質問をすると、人に欺かれた過去がありまだ教えられないという。大学を卒業した私はやることも決まらず帰省することにする。9月の再会を約束して先生と静の夫婦と別れるのだった。

中 両親と私

 父親は元気そうだった。だが、明治天皇が病気で亡くなり、父親も衰え始める。東京に戻る日を遅らせることにしたところ、先生から長大な手紙が届く。

 その手紙の冒頭には、手紙が届く頃に私(先生)はこの世にいないだろう、と書かれていた。父親の容体が今にも悪くなりそうであったが、母と兄に手紙を残して急いで東京に戻るのだった。

下 先生と遺書

 手紙には「ただ貴方だけに、私の過去を物語りたいのです。あなたは真面目だから。あなたは真面目に人生そのものから生きた教訓を得たいと云ったから。」と書かれていて、先生は手紙で自分の過去について語る。

 先生は学生時代に両親を亡くし、相続を叔父に任せることにした。叔父のことを信頼していたが、叔父の娘の縁談をもってくると断ってしまう。すると叔父の態度が変わってしまい、異変に気付いた先生は両親の財産を調べると、盗まれていたことが判明した。

 それ以来、人を疑うようになった先生は、故郷を捨て東京で宿を探す。宿の奥さんとお嬢さんとの生活が始まり、性格の良い奥さんとお嬢さんのおかげで、叔父から受けた傷も癒されていく。

 先生にはKという友人がいた。家族と仲の悪いKを案じ、下宿先に呼びつけ一緒に暮らすようになる。Kもここの生活が気に入り快活になる。Kは次第にお嬢さんと親しくなるが、すると先生はKに嫉妬して気が気でない。Kに対抗するようにお嬢さんにたいして恋心が芽生えるが、突然Kからお嬢さんへの愛を告白される。しかし自分の気持ちを言い出すことはできなかった。

 だが、Kがまだお嬢さんに愛を告白していないとみるや、奥さんに先に話をつけてお嬢さんをもらうことにする。そのことをKが知らないことに後悔を覚え、奥さんの方からKに伝えてもらうことになる。Kは変わらぬ様子であったが、その二日後に自殺する。遺書にはお嬢さん以外への感謝の念が書かれていて、将来に望みがないから死ぬと理由がそえられていた。

 その後、引っ越してお嬢さんと結婚をし、毎月お墓参りをするようになった。このことがあって先生は妻の静に対して負い目を感じていたのである。それからというもの、罪滅ぼしのつもりで静には優しく接し墓参りをして今まで過ごしてきたが、明治天皇の崩御があり先生の心は変化した。自分の存在が時代遅れのものだと感じるようになったのである。

 そのことを静に伝えると「殉死したらいい」と笑われた。徐々に自死への決意が揺るぎないものになり、乃木大将が亡くなると決意を固めたのである。この過去のことは静には内緒にしてほしいと書かれているのであった。

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解説

ルネ・ジラールの欲望の三角形

 一般に広く知られているように、夏目漱石の小説には、三角関係のモチーフが頻出する。『三四郎』の里見美禰子をめぐる小川三四郎と野々宮宗八や、『行人』の妻のお直をめぐる夫の長野一郎と弟の二郎がそれだ。ほかにも『それから』や『』、『明暗』などにも「三角関係」のモチーフが随所に見られる。いわば夏目漱石は三角関係に取り憑かれた作家なのだ。

 何故、三角関係が夏目漱石にとって重要なモチーフになり得たのだろうか。それは彼が人間の欲望の根源に、三角関係があると確信していたからに他ならない。フランスの文芸批評家ルネ・ジラールは欲望の原因を「欲望の三角形」という概念で説明した。ジラールによれば、欲望とは他者の欲望の模倣でしかない。言い換えれば、純粋な欲望などはこの世に存在せず、他者の欲望を模倣することでしか欲望を持ちえない、というのだ。

 この点を踏まえて『こころ』を確認してみよう。すると「上」「中」の私ー先生ー静の関係、「下」のKー先生ー静の三角関係が浮かび上がってくる。「私」とKが入れ替わっているものの、先生と静を頂点にした三角関係が、物語の全体を貫いている。

 Kー先生ー静の関係を注意深く読み解くと、先生の静に対する感情は、Kが現れる以前と以後で大きく変化していることがわかる。Kが現れる以前、先生は静に恋愛感情など抱いていなかった。逆に言えば、だからこそ静にKを紹介することができたのである。だが、Kと静が親しくしている場面を目撃した先生は、これまで抱いたことのない感情をもつ。それが嫉妬である。そして嫉妬から逆説的に恋愛感情が芽生え、Kを出し抜く結果になってしまうのだ。

 このように先生の恋愛感情の変遷を辿ってみると、人間の欲望の核心に三角関係があることが分かるだろう。Kがいないければ、先生は静を求めることはなかった。欲望は能動的なものでなければ受動的なものでもない。他人の欲望を模倣することでしか、人間は対象を欲望できないのである。ジラールがこのことを指摘したのは1970年台のことだ。それより60年も早く、人間の欲望の本質を三角関係にあると見抜いた、夏目漱石の深い洞察力に感嘆するばかりである。

高等遊民と遺産相続——近代日本人の自意識と苦悩

 現代の視点で読むと、先生の身分に疑問を覚えるかもしれない。先生は静と二人で暮らしていながら、働いている様子は一向にみられない。この夫婦は一体どのように金を稼いでいるのだろうか。

 漱石の作品には、「高等遊民」と呼ばれる知識人階級が頻繁に登場する。この言葉が直接用いられているのは『彼岸過迄』の松本恒三に対してのみだが、『それから』の代助や『吾輩は猫である』の苦沙弥先生などもその身分の人物である。彼らは高い教養を身につけながら、定職について働くことはせず、社会に対して一風変わった見方をする。つまり、親が金持ちの知識人なのだ。漱石にとって高等遊民は決して悪い意味ではない。むしろ漱石は、高等遊民と呼ばれる知識人の苦悩を近代の苦悩に重ね合わせ積極的に描こうとしている。そしてその知識人像の延長にいるのが「先生」である。

 先生が働かなくても快適に過ごせている理由は、親の莫大な財産があったからだ。だが、財産相続を叔父に一任していた先生は、彼に騙され財産の大半を失ってしまい、細々とした生活を送ることになる。ここに先生の人間不信の原点があるのは言うまでもない。

 この遺産相続の話が些か唐突に挿入されるのは、漱石がイギリス文学に強い影響を受けていたからである。漱石は英語の教師であるだけでなく、数年ほどイギリスに留学してもいる。そしてイギリス文学で大きなテーマとなるのが遺産相続なのだ。遺産相続の話題になるイギリス文学は、ブロンテ『嵐が丘』やオースティンの『高慢と偏見』、ディケンズの『大いなる遺産』など言うに事欠かない。このように『こころ』はイギリス文学に強い影響を受けながら、日本近代の自我をテーマに探究するのである。

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考察

疑問点——同性愛文学と言われる理由

 先生とK、あるいは先生と「私」の関係は、親密以上のものだろうか。友情や師弟といった関係であることは間違いない。だがそこに男性と男性の一種奇妙な友情が芽生えてはいないだろうか。

わたくしがその掛茶屋で先生を見た時は、先生がちょうど着物を脱いでこれから海へ入ろうとするところであった。私はその時反対にれた身体からだを風に吹かして水から上がって来た。

「私」が先生と出会う冒頭の場面は、注意深く読むと、一種エロティックな描写に溢れている。「着物を脱い」だ「先生」と、「れた身体からだ」の「私」。「私」はここで西洋人をきっかけに先生を意識するようになるが、それは「屈托くったくがないというよりむしろ無聊ぶりょうに苦しむ」といった類の深刻なものである。従って「私」は「翌日あくるひもまた先生に会った時刻を見計らって、わざわざ掛茶屋かけぢゃやまで出かけ」ることになるのだが、この執拗さは異様な感じを受ける。

 そもそもこの冒頭が浜辺で始まることも、身体が目に入るという点において、エロティックだと言える。友人が帰ってしまったこの鎌倉で、「私」が一人毎日海辺へと向かったことも示唆的である。浜辺で先生と出会い彼に異常に魅せられる。それは初恋のようでもある。

 先生とK、あるいは先生と「私」の関係は、同性愛的だと言われている。先生と「私」の身体的な描写や、先生とKの絶妙な距離感は、ところどころで彼らの間にある、友情とは異なった感情を見せる。そのような観点から読むと、冒頭の不可解な文章の意味を読み解くことができる。

よそよそしい頭文字かしらもじなどはとても使う気にならない。

最後まで読んだ読者なら、「よそよそしい頭文字」がKのことを指していることがわかる。「私」は、先生がKのことを頭文字で呼ぶことを非難しつつ、それ以上の仲だから頭文字では呼べない、と主張している。私はここに、「私」のKに対する嫉妬と競争心をみる。「私」は確かにここで、Kに対して、あるいはKと親しくしていた先生に対して、唯ならぬ感情を抱いているのだ。この感情は、先生からの手紙の後、要するに冒頭の部分にまで続いている。むしろ先生とKの過去を知って燃え上がっているかもしれない。この感情とは、すなわち、同性愛である。

「明治の精神に殉死」が先生の自殺の理由?

 先生はなぜ自殺をしたのだろうか。最も一般的な解釈は、作中に書かれた理由を素直に受け取ることだろう。先生は明治天皇の崩御と乃木大将の殉死に、明治という時代の終わりを感じていた。ここには夏目漱石の思想も反映されている。事実、1912年に起きた、明治天皇の崩御を知った乃木大将の後追い殉死は、当時の日本人に大きな衝撃をもたらした。1914年に出版された『こころ』は、この衝撃のもとで執筆されている。

 先生は静にむかって「もし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだ」という。「明治の精神」とは、黒船来航に始まり物凄いスピードで近代化を推し進める時代を生きた精神のことである。明治天皇の崩御と後追いである乃木大将の殉死は、明治の精神を象徴する人物の死を意味し、これをもって明治の精神が終わりを迎えたのである。そしてこの明治の精神に、先生も囚われている。明治に生きた先生も、明治の精神の象徴的な死をもって、自ら死を選んだのだ。

 実は、この死の理由には、出版当時から現代に至るまで様々な疑問の声が挙がった。

「漱石の描いた「先生」の自殺には現実味の乏しさを覚えるのである。まさか、こんな事で人間は自殺の決行はすまいと思われる」(正宗白鳥『漱石とイプセン』「人間」昭和25年)。

「彼の作中人物は学生時代のつまらぬことに自責して、二、三十年後になって自殺する。奇想天外なことをやる」(坂口安吾『堕落論』)。

「友人を裏切ったという罪悪感が、あるいは明治が終わったという終末感が、この作品をおおっている暗さや先生の自殺決行に匹敵しないことは明瞭だからだ」(柄谷行人『畏怖する人間』)。

 このように多くの批評家・作家が、先生の自殺に不自然さを感じていた。

自殺の理由と漱石の言葉—「罪と告白」

 出版当時から疑問視されていた先生の自殺について、『モデル小説 漱石山房の人々』に収録されている漱石と江口渙との会話で、漱石はこう言及している。

江口:それにあの場合自殺そのものが不自然ですねえ。
夏目:そうかねえ。不自然かねえ。
ーー中略ーー
夏目:自分ぢや、一寸も不自然だとは思わないね。無論、もう一ぺん読み返して見なけりやはつきりしたことはいへないけれど

漱石自身は、先生の自殺を至極自然とみなしていた。作者には先生の自殺の理由が、必然性を帯びて現れているのだ。

 では、自殺の理由は他に何があるのだろうか。最も可能性があるのは、Kに対する先生の「罪の意識」である。「上」「中」において「私」に接する先生は、穏やかで落ち着いた大人という印象をうけるが、「下」に登場する先生はKにたいしてかなり姑息である。

精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と発言したKは、これに恥じぬ生き方をしていた。しかしKがお嬢さんに惚れるや否や、この発言を逆用してKに精神的ダメージを与える。このとき先生はKを慮ることもなく、ただ彼の存在を否定することでお嬢さんを諦めさせようとする。この自己中心的な考えとそれによる精神攻撃が、Kの自殺の遠因になったことは間違いない。

 先生が姑息である点を、もう一つ確認しておこう。先生はKの遺体を見て咄嗟に「失敗しまった」感じ、Kの遺書に自分の罪への言及がないことを知ると、「助かった」と思う。友人の死を前にして真っ先に自分の保身を考えた先生は、その後も「罪の意識」から逃れることができない。だから先生はKの死後、静と普通の夫婦関係を結ばず、毎月Kの墓参りをするという義務を課すのである。

 しかし贖罪だけでは、決して「罪の意識」から逃れることはできない。事実、先生は何十年も思い悩み、自らの罪を告白できる相手を探していた。「私」が「真面目に人生そのものから生きた教訓を得たい」と言ったとき、先生は罪から逃れる一つの方法を与えられた。それは「私」に対する過去の罪の告白であり、これによって先生は、人生そのものを完結させたかったのである。

感想

日本文学の金字塔にして最高傑作

『こころ』が朝日新聞に連載されたのは1914年のこと。出版から100年以上も経過した本作が、日本文学の金字塔として今尚読み継がれていることには理由がある。夏目漱石の小説には、他では見られない卓越した「ユーモア」があるのだ。

 とりわけそれが顕著にみられるのが、夏目の最初の作品『吾輩は猫である』である。西洋諸国の文化の流入によって急激な文明開花を成し遂げた日本の近代的自我を描いたこの小説は、人間ではなく猫の視点を媒介することで一風変わった見方をしている。猫は登場人物を上から眺めて小馬鹿にするのではなく、横で生活しながら面白おかしく語る。それこそが夏目漱石の真骨頂である。

 後期三部作の最後である本作には、初期に見られたユーモアが減じている。だが、先生と「私」の会話における、先生の世間の見方一風変わっていていユーモアがある。社会から外れた逸れ者の視点から日本を論じるこのユーモアのおかげで、本作は暗くて重いテーマを扱いながら、それに埋もれない豊かさを感じられる。初期にあったユーモアと後期で問われた重いテーマ、それがバランスよく混じり合い純文学として昇華している。これが本作の特異な点であり、日本近代文学の最高傑作と呼ばれる所以であろう。

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参考文献

『漱石全集』岩波書店、1993年。

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