小川洋子『ことり』解説|聞こえない声を聴け|あらすじ考察・感想|小説

小川洋子『ことり』解説|聞こえない声を聴け|あらすじ考察・感想|小説

概要

ことり』は、2012年に朝日出版社から刊行された小川洋子の小説。

 小川洋子は『妊娠カレンダー』(1990年)でデビュー。『密やかな結晶』(1994年)や『博士の愛した数式』(2003年)などで有名。

 鳥語を喋ることのできる兄をもつ小鳥の小父さんが、様々な人と出会い交流していく静かでゆったりとした日常を描く物語。

 似た雰囲気の小説に川上弘美の『センセイの鞄』がある。

 日本の小説はほかに遠藤周作『沈黙』、田辺聖子『ジョゼと虎と魚たち』、乗代雄介『旅する練習』、本谷有希子『本当の旅』、村田沙耶香『コンビニ人間』、石川啄木『一握の砂』などがある。

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登場人物

小鳥の小父さん:主人公。鳥語を喋る兄を持ち、兄の通訳を行う。両親が亡くなってからは、兄と二人で生活を送る。兄が亡くなった後は、幼稚園の鳥小屋の掃除をしたり、図書館に通ったりする。

:11歳を過ぎたあたりから、鳥語を喋るようになる。学校にも行かず、日課をこなす代わり映えのしない日々を送る。毎週水曜日は雑貨屋と商店に行くことが習慣になっていた。

幼稚園の園長:小鳥の小父さんに、幼稚園の鳥小屋の清掃を依頼する。兄と小鳥の小父さんを見守る温かい人物。

図書館の司書:図書館に通う小鳥の小父さんに声をかけてくれた人物。そのことをきっかけに、小鳥の小父さんと親しくなる。

あらすじ

 小鳥の小父さんは、両親と7つ歳の離れた兄とともに暮らしていた。兄は11歳を過ぎたあたりから、独自に編み出した鳥語を喋るようになる。そんな兄とコミュニケーションが取れるのは、小父さんだけで、相談した言語学者や両親ですら兄との会話を諦めていた。学校に行かなくなった兄は、毎週水曜日に雑貨屋と商店に行くことを習慣とし、そこで購入したキャンディーの包み紙で、鳥の模型を作ることを楽しみにしていた。

 数年後、両親は病気と事故で他界。兄と小鳥の小父さんの二人暮らしが始まる。小鳥の小父さんはゲストハウスの管理人として働き、兄は家でお留守番の日々が続いた。ときには外に出ようと、旅行に行く計画を立てることもあったが、準備だけで満足してしまい決まったこと以外で外出することはほとんどなかった。

 兄は、52歳でその生涯を閉じる。小鳥の小父さんは園長にかけあって、兄が気にかけていた幼稚園の鳥小屋を掃除するようになる。ここで幼稚園児たちから「小鳥の小父さん」と呼ばれるようになった。

 近所で子供の連れ去り事件などが発生し、小鳥の小父さんは不審な目で見られるようになる。犯人が発見された後もそれは変わらず、仕事に復帰できなくなる。結局、入園式の前に飼育していた鳥は亡くなってしまい、鳥小屋は取り壊されてしまう。

 その後は、図書館の受け付けの若い女性と親しくなる。借りている本が鳥に関するものだと見抜いて、話しかけてくれたのだった。また、公園でおじさんと知り合いになる。しかし、どちらも次第に疎遠になり、それ以降一度も会わなくなってしまう。

 やがて、小鳥の小父さんは頭痛を感じるようになる。病院に通うも原因は不明。人との接触が減っていた小鳥の小父さんは、庭に備えつけたバードテーブルに飛んでくる鳥たちの鳴き声で癒されていた。ある日、偶然に声をかけられた男性の誘いをうけて河原に向かうと、鳴き声コンテストが行われていた。それをみて小鳥の小父さんは、衝動的にみなが飼っている鳥籠を開けて鳥を解放してしまう。

 小鳥の小父さんの遺体は自宅で発見された。彼は竹製の鳥籠を大事そうに抱えながら亡くなっていた。警官は鳥籠を開けてしまい、なかにいた小鳥が空に飛び去っていくのだった。

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解説

ちょっと変わった、でも変わりすぎてない主人公

 なんてゆったりとした時間が流れる小説なのだろう。透き通った時間を感じさせるこの小説には、それ相応の読書の仕方があるのかもしれない。例えば、小鳥がさえずりはじめるまだ誰も起きいない明け方に、毎日数ページずつ読み進めるとか。

 『ことり』は、ちょっと変わった、でも変わりすぎてない、「小鳥の小父さん」と呼ばれる男性の生涯を描いた小説である。

 生涯を描いているとはいえ、そこにあるのは波乱万丈の人生などではない。日常の中にある些細な出来事や、他人や鳥たちとの僅かな交流を丹念に丁寧に物語る。小説内に流れる時間はゆったりとして静かだ。だから本書を1日で一気に読んでしまうのは勿体ないような気がする。小説内に流れるゆったりとした時間に合わせるように、静かで上質な読書が『ことり』にはぴったりのようである。

 主人公がポーポ語(鳥語)を喋る兄ではなくて、ポーポ語を喋る兄をもつ「小鳥の小父さん」という点が、本書を読み解くポイントの一つであろう。この小説が見せてくれる世界は、特殊な能力を持つ人間のそれではないが、かといって普通の人でもない。その中間に位置する「小鳥の小父さん」と社会との交流が描かれているのである。

 繰り返しになるが、主人公は「ちょっと変わった、でも変わりすぎてない」人物である。「ちょっと変わった」というのは、兄が話すポーポ語を理解できる世界で唯一の人物だからだ。逆に「変わりすぎてはいない」というのは、ポーポ語を話すことも鳥の声を聞くこともできないことを意味している。

 変わり者と社会を仲介(翻訳)する人、それが本作の主人公なのである。

翻訳する人から聞く人へ——「ことり」の主題

 変わり者と社会を仲介=翻訳する人であった小鳥の小父さんは、兄が亡くなったことでこれまでとは違う生き方を迫られることになる。二人だけの部屋から一歩外へと踏み出す。そうすることで、鳥を飼育している幼稚園の園長や図書館の司書と交流を持つようになる。

 しかし人との交流ができても、小鳥の小父さんは自ら喋りかけることをしない。園長が「小鳥たちは、元気ですよ」と気にかけてくれたり、司書が「いつも、小鳥の本ばかり、お借りになるんですね」と話しかけてくれることでどうにか関係を保つことができる。ともすれば、ずっと一人でいたとしても問題はないのだろう。自発的に人と交流を持てないのは、翻訳する人であるが故かもしれない。

 変わり者に対しては「翻訳する人」であった小鳥の小父さんは、普通の人に対しては「聞く人」に徹する。小鳥の声や兄の声を翻訳していた小鳥の小父さんは、今度は周りの声を聞くことで他人と関わりを持ち始めるのである。

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考察・感想

不気味さと魅力

 小鳥の小父さんは、日常が反復からずれることを極端に嫌う。例えば旅行をするときも、旅行の準備までで満足してしまい出かけることはない。小鳥の小父さんは人生が日常の繰り返しだけでできているのだ。

 そのためかこの小説は、小鳥の小父さんの生涯を描きながら扱われるエピソードが極端に少ない。繰り返される日常におこった細やかな出来事と、日常の中で関わったわずかな人間と鳥との関係だけが丁寧に描かれている。

 しかし読者に悲しみ抱かせるのは、その関係が一回きりということだ。兄、公園のおじさん、図書館の司書、どれだけ仲良くなっても結局は小鳥の小父さんの前から姿を消し、そして退場した人物はもう二度と現れることはない。兄にも鈴虫にも小鳥にも母にも死は唐突に訪れ、わずかな衝撃をもって迎えられはするものの、極めて控えめに淡々と描かれるのである。

 親しくしている人や動物が死ぬことで、その人の生活は一変する。しかし、一変した生活も繰り返されることで日常に変わっていく。出来事の衝撃を飲み込んでしまう日常という強力な磁場は、どこか読者を不安にさせるだろう。だが、それこそが『ことり』の不気味さの根源であり魅力の源泉であると思われる。

届くことのない声を聴け

 ところで、この小説、描かれていないものが2つある。1つは社会。もう1つは複数人での会話だ。小鳥のおじさんはどこにいようと誰といようと、一対一の関係を望む。そこで聞こえてくるのは、乱雑な声の重なりではなくて、一人ひとりの声であり鳴き声である。ポーポ語を喋る兄、図書館事務員の女性、公園のおじいちゃん、そして傷ついた小鳥。登場人物は変わった者や逸れ者や傷ついた者であり、そして小鳥のおじさんはいつでも眺める人であり、聴く人であり、耐える人なのである。

 だからこそ最後の行為、籠に閉じ込められた競技用の鳥を逃してしまう行為には驚かされる。成長ととるのか、狂乱ととるのか、怒りが臨界点を突破したととるのか。それは読者に委ねられている。

 だがポイントとしてあるのは、小鳥のおじさんが仲介する者であり、一対一の関係にこだわったということにある思う。変わり者の声は他人には届かない。兄の声が両親に届かなかったように。しかしそれは誰かに届くかもしれない声なのだ。その可能性があるから小鳥のおじさんは熱心に、兄の声やことりのさえずりに耳を傾けたのだろう。そしてだからこそ誰にも届かない、届く可能性すら排除された鳴き声を鳥たちに強制することが、ひどく許せなかったのではなないだろうか。

 社会から遠く離れていることりのおじさんの声は、社会には届いていない声でありながら、届くことがありえる声でもある。そしてその声を届けるのはこの小説自体だ。だからこの小説は空に向かって鳴くメジロの求愛のように美しいのかもしれない。

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参考文献(書評)

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