概要
『つぐない』は、2007年に公開されたイギリス・アメリカの恋愛ヒューマン映画。原作はイアン・マキューアンの『贖罪』。
ゴールデングローブ賞作品賞、英国アカデミー賞作品賞を受賞した。アカデミー賞では作品賞を含め7部門にノミネートし、作曲賞を受賞した。
幼い時に犯した過ちを小説家は如何にして贖罪することができるかを描いた物語。
海外文学はほかに、デフォー『ロビンソン・クルーソー』、カフカ『変身』、魯迅『故郷』、クンデラ『存在の耐えられない軽さ』、カミュ『異邦人』、リチャード・バック『かもめのジョナサン』などがある。
本作は「イギリス文学のおすすめ小説」で紹介している。
登場人物・キャスト
セシーリア・タリス(キーラ・ナイトレイ):ブライオニーの姉。家政婦の息子であるターナーに恋をしている。
(他の出演作:『イミテーション・ゲーム』)
ロビー・ターナー(ジェームズ・マカヴォイ):タリス家に仕える家政婦の息子。セシーリアと両思いになる。
(他の出演作:『スプリット』)
ブライオニー・タリス(シアーシャ・ローナン(13歳)/ロモーラ・ガライ(18歳)/ヴァネッサ・レッドグレイヴ(老年)):セシーリアの妹。想像力が豊かで潔癖的な一面がある。
グレイス・ターナー(ブレンダ・ブレッシン):ロビーの母。
ポール・マーシャル(ベネディクト・カンバーバッチ):リーオンの友人。チョコレートバー長者。
(他の出演作:『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』『1917 命をかけた伝令』)
ローラ・クィンシー(ジュノー・テンプル):ブライオニーの従姉。
インタビュアー(アンソニー・ミンゲラ):老年のブライオニーのインタビュアー。
名言
物事の結果すべてを決める絶対権力を握った存在、つまり神でもある小説家は、いかにして贖罪を達成できるのだろうか?(p.305)
あらすじ・ネタバレ・内容
想像力が豊かな13歳の少女ブライオニー・タリスは、郊外の屋敷に住んでいた。姉のセシーリアは家政婦の息子ロビー・ターナーと両思いになっていた。二人はケンブリッジ大学を卒業していて、ロビーの学費はセシーリアの両親が出費していた。
1935年、従姉妹のローラとその弟の双子がタリス家に居候する。ブライオニーはセシーリアとターナーが仲良くしている場面を見ると、ターナーが襲っていると誤解してしまう。
ターナーはセシーリアへの愛の告白を認めた手紙を誤ってブライオニーに渡してしまう。そして偶然に、ターナーとセシーリアが図書館で性交しているところを目撃してしまう。
その頃、双子が家でをしてしまい、家にいた者が総出で探索する。するとローラが何者かに襲われてしまい、駆けつけたブライオニーは目視できていないにもかかわらずターナーの犯行だと思い込む。ブライオニーが例の卑猥な手紙を警察に提出し目撃証言をしたことで、ターナーは逮捕される。
第二次世界大戦が始まり、刑務所にいたターナーは軍隊に入隊する。セシーリアは看護師になり、家族と一切の連絡を絶つ。刑務所にいた三年間、二人は文通しかできず、出兵するときも30分ほどしか一緒にいられなかった。
半年後、戦況は悪化しており、ロビーはダンケルクまで後退する。傷を負ったロビーは、セシーリアの元に戻ることを希望に持ちながら、帰国前夜に深い眠りに落ちる。
自分の過ちを自覚したブライオニーは、家族との関係を断ち、看護師研修生となっていた。多くの兵の最後を看取りながら小説を執筆する。ローラとマーシャルの結婚式に出席したことで、過去の事件のレイプ犯がマーシャルであったことを確信する。
ブライオニーはセシーリアとターナーの元を訪れ、過去の過ちを謝罪し、真犯人がマーシャルであることを告げる。そしてターナーの名誉回復のために尽力することを約束する。
小説家になったブライオニーは、77歳になって『贖罪』を出版する。実は、ロビーはダンケルクで戦死し、セシーリアは空襲で亡くなっていた告げる。二人は出会っておらず、小説の中での想像であったことが明らかになる。それでも、そのように語ることが小説家にできる贖罪であると述べ、小説の中でだけでもハッピーエンドになるようにしたと言う。
解説・考察
21世紀を代表する作品
原作は2001年に上梓したイアン・マキューアンの『贖罪』。マキューアンはブッカー賞作家で、イギリスを代表する小説家のひとり。『日の名残り』で有名なイギリスの小説家カズオ・イシグロがノーベル文学賞を受賞してしまったためにノーベル賞作家になれない可能性もあるのだが、マキューアンがノーベル賞級の作家であることは誰もが認めるところである。原作の『贖罪』は21世紀を代表する小説の一つ、未読の方はぜひ読んでみてほしい。
2005年に公開された『プライドと偏見』のスタッフ・キャストで映画化されたのが『つぐない』である。映画版『プライドと偏見』が原作の雰囲気を見事に映像に昇華していたのだから、否応なく本作にかける期待が高まる。キーラ・ナイトレイが演じるセシーリアのツンとした態度、階級に悩まされながらも実直な青年であるターナー、そして幼い者が持つ潔癖さと想像力を兼ね備えたブライオニー。どの役も個性豊かであるが故に、その個性に役者の演技が振り回されてしまいそうなところを、逆にキャラクターが持つ魅力を引き立てるのに成功している。名役者の成せる技である。
ブライオニーがセシーリアとターナーのセックスを目撃した場面で顕著なように、演劇っぽいシーンがある。映画版『プライドと偏見』から引き継がれているこの演出は、物語に入子状の構造を与えている。物語の前半でブライオニーが企画する演劇、そして終盤で明かされる小説と現実の関係。この物語は過去に起こった出来事でもあるいは完全なフィクションでもなく、何度も演じられる劇のようなものだということを暗示している。
小説版が最高
ブライオニーは幼い頃に、思い込みとか想像力の豊かさとかそういった諸々の偶然の組み合わせによって、一つの罪を負った。彼女の証言は恋する若者たちの人生をめちゃくちゃにした。ブライオニーが初めてこの過去の記憶を小説として執筆したのは1940年、事件が起きた5年後のことである。それから「5回あまりの改稿」の後、1994年に最終稿が完成した。これは事件の真相を忠実に記す告発であり、ブライオニーの贖罪でもある。彼女は罪を償うために「偽らぬことを義務と考え、すべての事情を歴史的記録として紙上にとどめた」。
彼女の贖罪は、しかし小説家であるが故に、歴史的事実の証言に収まることはない。2人の結末が悲劇として終わるとき、小説家にとって贖罪とは如何に可能か、それがブライオニーの人生を賭けた問いである。小説家は「歴史的記録」にフィクションを忍び込ませることができる。であるならば、小説家の贖罪が事実を並べ立てることで終わるはずがない。
「物事の結果すべてを決める絶対権力を握った存在、つまり神でもある小説家は、いかにして贖罪を達成できるのだろうか?」(p.305)
すべてを自由自在に作り替えることのできる創造主にとって根本的な贖罪など存在しないように思われる。子供は親に、学生は先生に、人間は神に罪を赦されることができるが、「より高き人間、より高き存在はない」者に赦す権利を持つ者はいない。このことをブライオニーは端的に「小説家にとって、自己の外部には何もない」と言う。
小説家による贖罪は、赦しを与える相手がいないとき「不可能な仕事」になるが、彼女はそれでもこの贖罪に価値を認める。彼女にとって「不可能」であることは、贖罪をしない理由にならない。「試みることがすべてなのだ」と言い切る彼女は、生涯を通じてその試みに幾度も挑んだのだ。罪と贖罪、記憶とフィクション。この不可能な仕事に全力で取り組んだブライオニーの生き方に、私は深い感銘を受けたのだった。