『アポロ13』感想|あらすじ解説|内容考察|失敗を乗り越えろ

『アポロ13』感想|あらすじ解説|内容考察|失敗を乗り越えろ

概要

 『アポロ13』は、1995年に公開されたアメリカ映画。監督は『ビューティフル・マインド』や『ダ・ヴィンチ・コード』シリーズで有名なロン・ハワード。原作はアポロ13号の船長であるジム・ラヴェルのフィクション『Lost Moon』。アカデミー賞で編集賞、録音賞を受賞。

 主演はトム・ハンクス。トム・ハンクスはほかに『ターミナル』で好演した。

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登場人物

ジム・ラヴェル (トム・ハンクス):アポロ13号の船長。冷静沈着。事故後もリーダーシップを発揮。

ジャック・スワイガート(ケヴィン・ベーコン):アポロ13号の操縦士。ケンの代わりに乗船。

フレッド・ヘイズ(ビル・パクストン):アポロ13号の乗員。

ケン・マッティングリー(ゲイリー・シニーズ):アポロ13号に乗船予定だった凄腕の操縦士。

ジーン・クランツ(エド・ハリス): NASAの管制官長。地球から指揮を取る。

あらすじ

 宇宙飛行士のジムは三回の宇宙飛行を経験したベテランで、アポロ14号が最後のミッションのはずだった。だが13号の船長が病気になってしまい、代わりにジムが行くことに。妻のマリリンは13という数字に不安を覚えるが、ジムは同じ乗組員のケンとフレッドとともに準備を進める。

 打ち上げの二日前に予備隊員が風疹を発症、操縦士のケンにも疑いがかかる。ジムの決断でケンの乗船は見送りになり、代わりにジャックが操縦士となる。ジャックには技術的な不安があるものの、1970年4月11日にアポロ13号は出発、打ち上げに無事成功する。

 ところが、月へ向かう途中に様々な災難に遭遇。さらに突然の燃料不足や電力不足に見舞われ、月面着陸せずに地球へと帰還することが決定される。宇宙船の操縦困難、二酸化炭素濃度の増加、操縦室の気温低下など生存の危機にも陥る。度重なる事故を乗り越え、大勢の協力のもと地球へと帰還する。

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解説

1970年、宇宙飛行が日常になってしまった

 「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である(That’s one small step for [a] man, one giant leap for mankind)」。これは人類で初めて月面を歩いたアポロ12号の宇宙飛行士ニール・アームストロングの言葉である。この言葉には科学技術の発展への称賛と、来るべき人類の飛躍への大きな期待が込められていた。1969年7月20日のことである。

 それから一年後の1970年、アポロ13号は再び月面を目指すのだが、このときアポロ12号のときに込められていた国民の期待と宇宙への憧れはもはや薄れていて、宇宙遊泳の瞬間が全国テレビで放送されることも大衆の話題をさらうこともなかった。月面旅行が夢であり理想であり国民の期待を一身に背負う時代は、急速に終わりつつあったのだ。

 1970年にアポロ13号が不整備により機体が壊れ、月面に降り立つことなく地球に帰還したという出来事は、この後にくる時代を象徴していたようにも思える。1972年のアポロ17号をもって、1962年から始まったアポロ計画は終わりを迎える。10年にもおよぶ宇宙への旅は、そして人類の発展と夢はいったんここで途切れるのだ。そしてそれ以降、人類はだれひとりとして月面に降り立っていない。

 このことは遠く日本で論じられていた時代論と通じる部分がある。社会学者の大澤真幸は、1970年を境にして日本は「理想の時代」から「虚構の時代」に移行したと主張した。戦後25年間つづいた理想を追いかける時代から、虚構に没入する時代へと変化したのである(詳しくはこちら:不可能性の時代とは何か – 大澤真幸*なるほう堂)。この議論は日本論として語られているのだが、世界の動向に通じるところがあるようにも思われる。1970年のアポロ13号の月面着陸の失敗と月面着陸という出来事が話題にならないという理想の日常化は、アメリカの「理想の時代」の終焉を象徴していたように感じられる。偶然ではあるが『アポロ13』が公開されたのは、大澤が「虚構の時代」から「不可能性の時代」への転換点としていた1995年と同じ年であった。理想を追う時代の象徴であったのアポロ13号の宇宙飛行という1970年の史実を、『アポロ13』として1995年に映画化したということは、アメリカでの時代の移行が日本とパラレルに進行していたことを示唆しているのかもしれない。。

考察・感想

人間的な泥臭さと温かさが見所

 事件や出来事、戦争や災害の記憶は次第に薄れていく。ましてや当時を知らない世代はそれらを知識として学ぶことしかできない。だからそれらを題材にした映画は、視覚的に体験できるという点で歴史的にも教育的にも重要であるし、観ているだけで楽しい。映画が映しだすのは時系列に沿った出来事の連続ではない。時代の雰囲気や価値観が服装や言動から溢れ出て、われわれは当時の空気を疑似的に体験できるのである。

 アポロ計画の時代を体験していない世代の人は、この映画をみて驚いたのではないだろうか。宇宙飛行機は最先端の科学技術の結晶であり、コンピューターが事故を未然に防ぎ月まで自動で宇宙飛行士を送ってくれる、そう想像したくもなる。

 ところが事故がおこったあとの人類の対応は、スマートでも科学的でもなくどこまでも泥臭いものであった。四角形の穴に円形の筒をさして固定するにはどうすればいいか、ただし宇宙船にあるものだけで。地上ではNASAの多くの職員がこの難題に必死に取り組む。あるいは、この計算が合ってるかそちらでも確かめてくれとジムに頼まれると、数人が手動で答え導き答え合わせをする。計算ですら人間がやっていたのである。さまざまに起こるトラブルをジムたちは試行錯誤して解決していく。機械が使えなくても諦めることはなく、人力でどうにでもしてしまう。

 科学技術とその失敗を描いた本作が観せてくれるのは、「工夫」という人間的な泥臭さと温かさである。だから NASAの管制官長であるジーンはアポロ13号の失敗を評してこういうのだ。「お言葉ですが、私は栄光の時になると信じています」。

 最後に一つ。ジムは月に最接近したとき、月面を歩く自分の姿を夢想する。月を目の前にして歩くことができなかったのは無念だったろう。しかしこのシーンは作中で一番綺麗だった。

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