『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』過去を見ながら前に進む|あらすじ解説|内容考察|感想

『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』過去を見ながら前に進む|あらすじ解説|内容考察|感想

概要

 『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』は、2002年に公開のアメリカ映画。 監督はスティーヴン・スピルバーグ。原作はフランク・W・アバグネイル・Jrの自伝小説『世界をだました男』(1980年)。主演はレオナルド・ディカプリオ。ほかに出演はトム・ハンクス。

 パイロット、医者、弁護士と身分を偽り海外を転々としながら、世界各地で小切手を偽装した実在の人物・フランク・W・アバグネイル・Jrと、彼を追いかけるFBI捜査官・カール・ハンラティの追走劇をコミカルに描く。

 名言に「2匹目のネズミはあきらめず、もがきました。すると、クリームはバターになり、ネズミは助かりました」がある。

 スティーヴン・スピルバーグはほかに『ターミナル』『A.I.』『宇宙戦争』などの映画を監督している。ディカプリオはほかに『華麗なるギャツビー』で主演を演じている。

登場人物

フランク・W・アバグネイル・Jr (レオナルド・ディカプリオ):詐欺師。パイロット、医者、弁護士と身分を偽りながら、小切手を偽造して大金を得る。

カール・ハンラティ(トム・ハンクス):フランクを追うFBI捜査官。ドジなところもあるが、執念でフランクを追い続ける。

フランク・W・アバグネイル(クリストファー・ウォーケン):経営者。経営が失敗し困窮する。ジュニアのことをいつも気にかけている。

ポーラ・アバグネイル(ナタリー・バイ):フランクの母。

あらすじ

 舞台は1968年のニューヨーク、16歳のフランクは尊敬できる両親と幸せな生活を送っていた。ある日、父が経営していた文房具屋が失敗してしまい、一家は貧乏な暮らしに転落してしまう。父は銀行でお金を借りて経営の立て直しを図るもうまくいかず、母親は家をでて他の男性と再婚してしまう。

 離婚を機に幸せな家庭が崩壊してしまったフランクは、両親の関係の回復のために金に執着するようになる。父と母の二択を迫られたフランクは、耐えきれず家をでたままマンハッタンへと向かう。

 フランクは偶然見に入ったパイロットに憧れる。彼は高校の新聞記者に変装し、パイロットに取材をしながら、その職業について詳しくなる。次々に人を騙しながら、パイロットの制服をもらい飛行機に乗り込み、パイロットとしての生活が始まる。

 さらに、パイロットの制服を着ているだけで、疑われることなく銀行で小切手を使えることが判明し、世界各国で小切手の偽装をするようになる。しかし、多大な被害がでたことで、FBIも捜査を開始し、FBI捜査官のカールを先頭にフランクを追い詰める。

 ハリウッドで優雅な暮らしをしていたフランクのもとに、突如カールが現れるが、フランクは同じく捜査官のフリをすることで、その場をうまく切り抜けカールから逃れる。その時から、フランクとカールの追想劇が始まった。フランクは何度もカールから巧みに逃げることに成功する。しかし彼は理解者のいない孤独な存在だった。

 クリスマスの夜、フランクはカールに電話で話をすると、カールはフランクが友人のいないかまってほしいだけの子供だと看破する。それ以来、毎年クリスマスには電話をするようになる。

 フランクは病院で看護師のブレンダに恋に落ちる。そのため病院に医者として潜り込むも、血を見るのが怖く医者は向いていないと悟る。ブレンダの父が弁護士であることから、一転して弁護士に変身し、ブレンダとその両親と幸せな生活を営む。

 捜査を続けていたカールはフランクの居場所を突き止める。婚約パーティー中であったが、ブレンダと空港で落ち合うことを約束し逃げる。しかし空港に現れたのは、ブレンダだけでなく警察もいたのだった。またもや巧みに逃げることに成功しフランスに向かうも、そこでカールにとうとう捕まってしまう。

 禁固12年の刑に処されたフランクだったが、カールが担当している事件に助言を与え、見事事件を解決。フランクの能力を買ったカールは、FBIに協力するという約束の元、フランクを刑務所からだす。そして二人は協力して捜査に当たるのだった。

解説

フランクは何を望んでいたか?

 主人公のフランク・W・アバグネイル・Jrは実在の人物で、それを追いかけるFBI捜査官のカールは複数の人物を掛け合わせしたフィクショナルな登場人物であるらしい。逃げるフランクと追いかけるカールの、奇妙な関係をコミカルに描くのが本作の魅力だ。

 まずは題名から確認しておこう。原題は『Catch Me If You Can』で、そのまま訳すと「できるものなら捕まえてみな」くらいの意味である。英語圏では鬼ごっこのさいの掛け声であるようで、日本語にすると「鬼さんこちら」となる。鬼ごっこは少なくとも二人いないと成立しない。追いかける者と、追いかけられる者、その二人がいて初めて「鬼さんこちら」と言える。ただ、鬼から必死に逃げながらこの言葉を発してみても、振り返って誰もいないのであれば意味がない。したがって「鬼さんこちら」と挑発するときは、相手が目の前にいながら、捕まらないギリギリのところから言うのが肝心である。

 「Catch Me If You Can」と挑発するためには、すぐ後ろに相手がいなくてはならない。相手がいることを確認するためには、後ろを振り返らなくてはならない。後ろを振り返る、それはフランクの人生に対する基本姿勢でもある。フランクはパイロットとなってチヤホヤされたいのでも、医者になって権威を得体のでも、弁護士になって悦に浸りたいのでもない。ましてやそれらの肩書を利用して、お金を荒稼ぎしたいのでもない。そんなものはどうでもよくて、本当の彼の目的はただ一つ、両親の仲睦まじい関係の再生である。

 フランクの再生したい情景は、映画の冒頭にある父と母のダンスのシーンだろう。ジョークと大胆さを持ち合わせた父と、陽気で周囲を魅了する母、それを後ろから眺めるフランク、という三者関係がフランスが回復させたい幸せの形である。フランクは後ろを向く。彼は過去を見つめながら人生を進む子供だ。彼の目的は未来ではなく、過去そこにしかないのである。

考察・感想

鬼ごっこの終わりに、フランクは人生を前に進める

 フランクの心の奥には、幸せの情景と離婚という出来事が、原体験として横たわっている。したがって彼が目指すのは、創造ではなく再生であり、父になることではなく子供に戻ることである。

 そんなフランクを追うのがカールだ。カールはFBI捜査官でありながら、どこか頼りなさげにみえる。フランクとの最初の出会いは彼の潜伏するホテルの一室であり、逮捕するためにはこの上ない状況であったのだが、フランクの機転の効いた咄嗟の演技に騙されてしまう。そのあとのカールの姿はなんとも情けない。思えばカールは終始一貫、情けなく幼い存在だった。彼は一体何度フランクを取り逃したのだろうか。そしてあそこまで惨めにであったのに、何故フランクに執着できたのだろうか。取り逃しては追いかけるカールの姿は、まるで子供のようである。

 追う者と追われる者は奇妙な関係だ。追う者は追われる者の行動を予測しなければ捕まえられないし、追われる者は追う者の心理を理解しなくては逃げ切ることができない。二人は互いに理解し合わなくてはならないのだ。毎年クリスマスになると、フランクはカールに電話する。この恒例行事は、二人の奇妙な関係を象徴している。フランクが電話をかけてくる理由を、彼が寂しく孤独で話し相手がほしいとだけと看破したカールが、クリスマスの夜に一人で仕事に追われているのは何故か。彼らは似たもの通しだからこそ、追い追われの追想劇ができたのである。

 カールに捕まったフランクは、FBIで仕事をするようになる。しかしフランクは不安で仕方がない。彼は子供であるし、休日の過ごし方までは面倒を見切れないと言われてしまうからだ。フランクはもう一度パイロットに変装し、カールの元から去ろうとする。そんなフランクをカールは止めようとせず、戻ってくると信じているとだけ伝たあとこう告げる。

見てみろ。おまえを追っている者は誰もいない。

 この台詞は二つの意味がある。追われていない(=信じている)という文字通りの意味と、振り返っても何もない(=向かうべきは過去ではない)という意味。フランクは父を失い、母と新たな夫との子供を見たとき、過去のあの情景の回復が絶対に起こりえないことを悟った。彼は、子供の頃の幸せなあの情景の回復という目的を失った。でも、そろそろ、大人になるべきだ。「追っている者は誰もいない」。鬼ごっこというゲームの終わりに、振り返った時に誰もいない虚しさのあとに、過去を回復できないと悟ったそのときに、前を向いたフランクの新たな人生が始まのである。

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