新海誠『彼女と彼女の猫』考察|日常にある世界の肯定|あらすじネタバレ感想・伝えたいこと解説

新海誠『彼女と彼女の猫』考察|日常にある世界の肯定|あらすじネタバレ感想・伝えたいこと解説

概要

 『彼女と彼女の猫』は、1999年に公開された自主制作短編アニメーション。監督は新海誠。全5分弱。次作は『ほしのこえ』。

 完全に個人で制作されたアニメーションで、実質的に新海の二作目にあたる。第12回CGアニメコンテストグランプリ受賞。2016年に本作を原作として短編アニメが制作された。

 従来の自主制作のクオリティーを遥かに超えた作品で高く評価される。音楽は天門。独特な表現方法がすでに確立されおり、新海の原点ともいえる作品である。

 新海はほかに中編『秒速5センチメートル』『言の葉の庭』、長編『雲のむこう、約束の場所』『星を追う子ども』『君の名は。』『天気の子』などがある。

 アニメ映画はほかに『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』『怪盗グルーの月泥棒』『千と千尋の神隠し』『ミュウツーの逆襲』『幻のポケモン ルギア爆誕』『怪盗グルーのミニオン大脱走』『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶジャングル』『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』などがある。

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登場人物

彼女:猫と同居している。

チョビ:猫。ある時、彼女に拾われる。物語の語り手。

ミミ:子猫。ガールフレンド

あらすじ・ネタバレ・内容

 彼女と拾われた猫の物語。彼女は都会で一人暮らしをしていた。ある日、彼女は猫を拾い一緒に住むことになる。

 猫はすぐ彼女のことが好きになった。彼女が外出している時は、一人で外に行きガールフレンドのミミと遊ぶ。だけれどもミミより大人っぽい彼女のことが好きだった。

 ある日、彼女の留守電に彼からのメッセージが入り……。

解説

日常とSF、「ほしのこえ」の双璧をなす作品

 『彼女と彼女の猫』は、1999年に公開された新海誠の自主制作短編アニメーションである。新海は1998年に『遠い世界』を制作していて、本作は二作目にあたる。まだパソコンでアニメを制作することが一般に普及していいない時代に、ほかとは比べようもないほどの高い完成度をもって制作された。

 当時は会社に勤めながら帰宅後に制作していたようで、完全自主制作の大変さは想像に難くない。そのような制作環境の過酷さに比べると、アニメの雰囲気はのんびりとしたもので、彼女と猫の他愛のない日常が描かれる。生活の中にある温もり漠然とした不安や悲しみといった、日常の細やかな感情と動きが、すでにある程度確立された新海に独特のアニメーションで綴られる。

 猫のチョビの声を演じるのは新海本人。ちょっと早口で聞き取りづらいのは玉に瑕だが、声質がよく聞いていて落ちつく。次回作の『ほしのこえ』のオリジナル版でも声優を兼任していて、本作から上達がみられるのでそこに注目して観るのも面白い。

 また猫の絵がとても可愛いのも特徴的である。次回作以降、変な生物がでてくることはあれど、このような可愛い生物がでてくることはなくなった。新海の原点に可愛い猫がいたことは、覚えておいても良いだろう。

 ところで新海の作品には、「日常」と「SF」の二つのモチーフがある。「日常」を中心に描くのが『秒速5センチメートル』『言の葉の庭』で、「SF」を中心に描くのが『ほしのこえ』『星を追う子ども』で、「日常」と「SF」のミックスが『雲のむこう、約束の場所』『君の名は。』『天気の子』である。この二つのモチーフの割合が、新海のそれぞれの作品の雰囲気を大きく規定しているのだから、新海における「日常」と「SF」のイメージを把握しておくことは重要だ。そして「日常」の原点にあるのが本作『彼女と彼女の猫』で、「SF」の原点にあるのが次作『ほしのこえ』であると思われる。したがって本作と『ほしのこえ』はセットで観ると新海作品をより楽しめるだろう。

考察・感想

無根拠な確信と世界の肯定

 本作は猫の視点から語られている点において、夏目漱石の最初の小説『吾輩は猫である』を想起せずにはいられない(夏目漱石はほかに『坊っちゃん』『夢十夜』『こころ』などがある)。『吾輩は猫である』の語り手としての猫の導入は、近代化していく日本を猫という視点を借りることでユーモラスに描くことを目的としていた。威張っていようと格好つけようと、猫の視点からみれば大層滑稽だ。ここで猫は、近代化する日本人を相対化する新たな視点の役割を担っている。

 『彼女と彼女の猫』では『吾輩は猫である』とは様子が異なる。まずもって猫のチョビは彼女にぞっこんである。日常生活では目がハートになり彼女のことが好きだといい、子猫のミミをガールフレンドにしながら彼女のことを意識しつつ大人っぽいほうがいいという。チョビは彼女に強い好意を寄せて、彼女との生活に幸せを感じている。しかし、彼女がどこに行こうと全く持って興味がないし、彼女にかかってきた電話が何を意味しているのかはわからない。

 すると、のちに新海の一貫したテーマとなる「コミュニケーションの不可能性」が、すでにここで提示されているともいえる。そもそも人間と猫は言語を共有しておらず、言語を用いたある種のコミュニケーションはかなり難しい。猫は彼女と幸福を感じながら、彼女が猫のことをどのように考えているかが一向にわからないのはそのためである(この点『言の葉の庭』の謎めいた年上の女性像とかぶる)。さらにいえば彼女に起こる出来事、例えば仕事や元彼を思わせる電話、そもそも一人暮らしをしている理由などは一切猫に明かされることはない。猫は彼女の拾われ、そして一緒に暮らしている。彼女と猫の繋がりは、それだけなのである。

 ラストはこの台詞とともに唐突に終わる。

僕もそれから多分彼女も

この世界のことを好きなんだと思う。

 多分彼氏と別れショックを受けた彼女を回復させるのは、猫ではなく、時間と風景である。でも別れの後にくるのは、世界の肯定であり、テレパシーのようなものだ。「彼女も」「思う」という根拠のない確信が、「この世界のことを好き」という肯定を生じさせる。コミュニケーションの不可能性にあらわれたテレパシーのような無根拠な確信が、世界の、そして彼女と僕の肯定をもたらすのだ。最後に提示された二つの態度、肯定とテレパシーは、のちの新海作品で最も重要な位置を占めることになる。

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