『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』感想|あらすじ解説|内容考察|虚構を見破れ

『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』感想|あらすじ解説|内容考察|虚構を見破れ

概要

 『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』2019年のアメリカ映画。監督はジョン・ワッツ。「スパイダーマン」の実写映画としては第7作目。前作は『スパイダーマン:ホームカミング』(2017年)、次作は『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』(2021年)。

 「スパイダーマン」シリーズは、ほかに『アメイジング・スパイダーマン』シリーズがある。

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登場人物

ピーター・パーカー(トム・ホランド):クモに噛まれて特殊能力を得たヒーロー。高校生の傍らスパイダーマンとしても活動。アイアンマンに後継者として選ばれるも、アベンジャーズを率いることには消極的。

クエンティン・ベック(ジェイク・ジレンホール):ミステリオ。突如現れた謎のヒーローで、エレメンタルズと戦う。正体はスタークの会社の元社員で、トニーに敵対する組織を取り仕切る。

ミシェル・ジョーンズ(ゼンデイヤ):ピーターに関心があり、彼がスパイダーマンであることを薄々気づいている。ピーターと付き合う。

ニック・フューリー(サミュエル・L・ジャクソン):元S.H.I.E.L.D.長官。本作では、スクラル人のタロスがフューリーに化けていた。

あらすじ

 サノスとの戦いから8ヶ月後、ピーターたちは「指パッチン」から帰還して学校生活を送っていた。ピーターは研修旅行中にミシェルに告白しようと決意する。フューリーはトニーの遺志をピーターが受け継ぐことを望むが、高校生活を楽しみたいピーターは彼を無視する。

 ピーターは旅行先のヴェネツィアでミシェルと観光を楽しんでいると、突然、水の怪物が現れて街を破壊しだす。スーツを着ていなかったピーターは、水の怪物に苦戦する。すると異世界からきたという空飛ぶ謎のヒーローが、水の怪物を倒しピーターたちを助けてくれる。

 彼はマルチバースからからエレメンズを倒すために訪れたといい、ミステリオと呼ばれるようになる。ミステリオにトニーと似た雰囲気を感じたピーターは次第に仲良くなり、トニーの遺品である人工知能「E.D.I.T.H.(イーディス)」が搭載された眼鏡をミステリオに渡してしまう。

 だが、ミステリオは異世界からきた戦士ではなくトニーの会社を解雇された元社員であった。ミステリオは、トニーに価値を認められたかった同じような境遇の人々を集め、ピーターたちを騙そうとしてた。ミステリオらはそれぞれの専門技術を活かし、ホログラムシステムと武ハイテクドローンでエレメンズを演出していたのである。

 ミステリオが敵であることに気づいたピーターは、彼に戦いを挑むもホログラムに翻弄され負けてしまう。自分の不甲斐なさに意気消沈するが、トニーの会社の警備部長だったハッピーに励まされることで、トニーの遺志を継ぎ再びミステリオと戦うことを決意する。

 エレメンズが合体したという設定のホログラムと戦うピーター。その最大の敵に飛び込みドローンを破壊することで、ホログラム自体を壊し、勝利を掴む。クエンティンは「人は、信じたいものを信じる」と告げて死ぬ。

 戦いのあと、ミシェルとニューヨークで遊んでいると、スパイダーマンがクエンティンを殺したように編集された映像が世界に公開された。しかも、スパイダーマンの正体がピーターであるとバラされてしまう。

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解説

トニーからの継承と責任の問題

 アベンジャーズとサノスとの激闘の頂上決戦は、アイアンマンであるトニー・スタークの死と引き換えに、サノスの「指パッチン」で死んでしまった人類を復活させることで終結する。「指パッチン」の犠牲者は当時の年齢のまま生き返り、その中にはスパイダーマンであるピーター・パーカーを含まれる。生き返った人間にとっては単に5年先の未来にきたようなもので環境にすぐ順応できていくのだが、ピーター・パーカーの場合状況は少し異なる。ピーター・パーカーにとっての象徴的な父であるトニー・スタークが存在しないのだ。

 トニー・スタークは自分の後継者としてピーター・パーカーを選ぶ。それはつまり、ピーター・パーカーがアベンジャーズのトップの役割を担うこと、ひいては世界を守る象徴的な父になることを意味している。しかし、ピーター・パーカーは象徴的な父になることに肯首しない。そもそも、父になることに違和感があるのだ。したがって『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』の主題は以下のようにまとめることができる。トニー・スタークという象徴的な父を亡くした後でさえ、世界を守る「父」であることより「街の隣人」であることを望みながら、しかし強制的に責任ある立場に担ぎ上げられてなお、自身の両肩に世界平和が重くのしかかる責任のあり方に違和感を覚えるピーター・パーカーが、トニー・スタークが示した象徴的な父とは違う形で責任ある主体に成長する話だ。

 世界を救うスーパーヒーローになるより、MJとの恋愛や友達との高校生活を楽しみたいのは至極当然で、周囲の人間は忘れているかもしれないが、ピーター・パーカーはまだ高校生なのである。おっちょこちょいでミスしがちな性格は前作『スパーダーマン:ホームカミング』同様変わっておらず、そういったお茶目さや幼さはトニーが担ってた父的態度とは真逆のものである。

 継承されるのは立場だけではない。衣装はアイアンマンのようにメカっぽくなり、人工知能「E.D.I.T.H.(イーディス)」を宿した眼鏡も渡される。重要なのはこの一連の変化はピーター・パーカーが望んでいるのではなく周囲が強制していることだ。ピーター・パーカーは象徴的な父に同一化したいという願望がない、むしろ同一化してほしいと願うのは周囲の人間なのである。

 力には責任が伴う。しかしその力が外から与えられた場合責任をどのように考えれば良いのか。力の象徴である「E.D.I.T.H.(イーディス)」を使用したところ、誤った指令を与え友達を殺しそうになる。もちろんピーター・パーカーは悩むのだが、それは象徴的な父になれないとか、責任が持てない、とかではない、トニー・スタークのようには生きられない、ということだ。気をつけるべきことは、そこにルサンチマンや後悔は一切ない。ピーター・パーカーとトニー・スタークは違う、というただそれだけがあるのだ。だからピーター・パーカーはトニー・スタークに似ていて責任感のあるようにみえるベックを慕い「E.D.I.T.H.(イーディス)」を渡す。それは責任からの逃避ではない。そうではなくて、トニー・スタークが体現した象徴的な父の責任というあり方が根本的にしっくりきていないのだ。

スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム, ベックを慕うピーター・パーカー

考察

虚構の敵ー強さとは違うベクトルの強さ

 アベンジャーズ史上最大の敵であるサノスは生きとし生ける者の半分を死に至らしめた。これはもはや人類史上最強の敵といっても過言ではないし、将来サノスより強い敵が現れることはちょっと想像することができない。強さという要素では天井が見えてしまったわけだ。アベンジャーズとサノスの戦いを固唾を飲んで見守った視聴者は、サノスに次ぐ敵はどうなるのか、と楽しみにしていたのではないだろうか。宇宙からの訪問者か?それとも未来からの使者か?だがサノスより「強い」敵は現れず、「強さ」とは違うベクトルの脅威を持つ敵が現れた。それが虚構である。

 四大元素がモチーフの怪物は、神話の力を借りることで一層強大で権威ある敵役になった。その大袈裟なモチーフは自然発生の怪物というより劇作家のシナリオみたいなもので、実際この怪物はドローンを用いて作り上げたVRの幻影であった。そこには巨大で孤高な最強の敵は存在しない。各分野のプロフェッショナルがチームを組み、映像、ストーリー、音響、機械のすべてをコントロールし、幻影としての怪物を生み出しているのだ。

 権威の虚構性を明らかにしたのはこの作品が初めてというわけではない。近年では、方向性が真逆だが『スターウォーズ/最後のジェダイ』が見事に権威の虚構性を暴いている。そのシーンは伝説のジェダイ、ルーク・スカイウォーカーが弟子カイロ・レンと戦う場面で起こる。ファンが待ち望んだ子弟対決だ。ところが激闘が予想されたそのとき、スカイウォーカーはカイロ・レンにあっけなく斬られてしまう。実はスカイウォーカーの実体は遠くにあり、その場にいるように見えたのはスカイウォーカーが作り出した幻影だったのだ。カイロ・レンは父殺しを遂行しようとした。しかしそこにはもは実体すらない。正義の権威も実は虚構だったのだ。それと反対向きだが構造は全く同じことがこの作品でも起きている。今回は正義の権威だけでない、敵の権威ですら虚構なのだ。ピーター・パーカーによってドローンが打ち落とされるたびに、VRで作り上げた怪物の表面が薄れ輪郭が崩れていく様子は、正義と悪の権威の崩壊と虚構性を十二分に表している。

 ベックは自分の作品がVRによって巧みに表現されると感極まって「アベンジャーズ級だ!」と叫ぶのだが、この発言も権威の崩壊を暗に示している。いまや権威は自ら規定することができない。それは正義の権威だけではない、悪の権威すらそうなのだ。悪にとって外部の物差しである「アベンジャーズ級」という比較対象を導入することで、ようやく権威を誇示することができるのである。

信じながら疑うニューヒーロー

 スパイダーマンは糸を放つ先がない平野では強く戦えないかわりに、ビル群が乱立する空間では絶大な力を発揮する都会に特化したヒーローだ。だからこそピーターは世界のヒーローであるよりも「街の隣人」であろうとした。

 クモの糸は叩くことも、切ることも、弾くこともできない。その代わりに物や人を繋いだり、崩壊を止めたり、引っ張ったりすることができる。アイアンマンが鋼鉄で覆われた硬いヒーローであるならば、スパイダーマンは糸で崩壊を止める柔軟なヒーローだ。それを象徴するかのようにピーターは、火の怪物とベックとの戦いに参戦することなく、崩壊しそうな観覧車をつなぎとめるて友人を守ることに徹する。豪腕で敵を叩きのめすヒーローというより、味方の援護をしたり街の崩壊を食い止めたりといった補助するヒーロー像が似合っているのだ。

 しかし、補助の役割を担う脇役でも、ひょんなことから責任を持つ立場に立たざるを得ないこともある。それは成長といってもいいし、あるいは、親になると言い換えてもいい。どちらにしろ、これは誰の身にも否応なく訪れる変化のことであり、つまり親の手から離れて自らの責任で歩くということである。

 問題は子供の成長が父への同一化であってはならない、ということだ。なぜなら、父の権威は虚構であることがすでに暴かれているからである。それでも父に憧れて父権性を示そうとするならば、側から見れば単に傲慢で他人を傷つける嫌な奴に写ってしまうだろう。まとめるとピーターの課されたミッションはこういうことだ。ピーターよ、父になれ!、しかし、トニー・スタークとは違う形で。

 ピーターはドローンが生み出す虚構に何度も騙されるが、それは悪いことばかりではない、むしろピーターの良い面、他者を信じるということと表裏一体なのである。トニー・スタークなら虚構の敵に騙されることもないだろうが、逆に言えば他者を信じることもなかっただろう。ピーターはそうはならない、かといって責任から逃れようともしない。ドローンが作り出す怪物の虚像を内部から打ち破る次世代のヒーローになる覚悟を持ったピーターは、何度も騙されたベックが作り出す虚像の空間に惑わされることは、もはやない。信じることしかできなかった無垢な少年が疑うことを覚え虚構と現実を見極める時、疑い叩きのめすしかなかったトニーのような象徴的な父とは違う、

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