『ジョーカー』考察|表面にある真実|あらすじ解説|感想|トッド・フィリップス

『ジョーカー』考察|表面にある真実|あらすじ解説|感想|トッド・フィリップス

概要

 『ジョーカー』は、2019年に公開されたアメリカのサイコスリラー映画。監督はトッド・フィリップス。主演はホアキン・フェニックス。キャッチコピーは「本当の悪は笑顔の中にある」。ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞、アカデミー賞で11部門にノミネートされ三部門で受賞。

 DCコミックス「バットマン」シリーズの敵であるジョーカーが主役だが、どの「バットマン」シリーズ(クリストファー・ノーラン監督の『バットマン ビギンズ』『ダークナイト』『ダークナイト ライジング』など)とも世界観を共有していない。

 スコセッシ監督の『タクシードライバー』のオマージュ作品。

 狂気を題材にした映画はほかにデヴィッド・フィンチャー監督『セブン』、『殺人の追憶』『アメリカン・ビューティー』『バトル・ロワイアル』『セッション』『マッドマックス 怒りのデス・ロード』などがある。

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登場人物

アーサー・フレック / ジョーカー(ホアキン・フェニックス):道化師。コメディアンとして有名になることを夢見る。緊張すると突発的に笑いだす病気にかかっている。現実と妄想の区別が曖昧。

ソフィー・デュモンド(ザジー・ビーツ):シングルマザー。アーサーと同じアパートに住む。

ペニー・フレック(フランセス・コンロイ):母親。認知症。ウェインにメイドとして仕えていた過去があり、助けてくれるようウェインに手紙を送り続けている。。

マレー・フランクリン(ロバート・デ・ニーロ):大物芸人。テレビ番組「マレー・フランクリン・ショー」の司会者。

トーマス・ウェイン(ブレット・カレン):著名人。市議会議員に選ばれる。医療制度を解体したことで貧困層から批判される。

ゲイリー(リー・ギル):同僚の道化師。小人症。アーサーを気にかける唯一の存在。

ランドル(グレン・フレシュラー):同僚の道化師。アーサーに拳銃を渡す。

ギャリティ(ビル・キャンプ):ゴッサム市警の刑事。

名言

Joker : Is it just me, or is it getting crazier out there?(狂ってるのは僕か? それとも世間?)

Joker : The worst part about having a mental illness is…that people expect you to behave as if you don’t.

Joker : I used to think my life was nothing but a tragedy, but now, now I realize it’s all just a fucking comedy.(人生は悲劇だと思っていた。だが今わかった。僕の人生は喜劇だ)

Joker : You would’n get it.(理解できないさ)

あらすじ・ネタバレ

 1981年、ゴッサム・シティは失業者に溢れ、貧富の差が広がっていた。道化師アーサーはピエロとして働き、母ペニーを介護しながら暮らしていた。彼は緊張すると笑いだしてしまう病気のため、市が運営するカウンセリングに相談し薬を服用していた。しかし彼にはコメディアンになると言う夢があり、大物芸人マレーが司会する番組に呼ばれることを夢見ていた。

 ある日、ピエロとして街で宣伝していると、若い不良たちに看板を強奪されボコボコにされる。上司はこのエピソードに見向きもせず、看板を失くしたことを責め立てる。気にかけてくれたのは小人症のゲイリーだけで、同僚のランドルは強引に拳銃を渡してくる。母ペニーは30年前に雇われてたトーマスに救済を求める手紙を送っているが返事がない。精神的に余裕がなくなっていたアーサーは、同じアパートに住むソフィーと挨拶を交わす仲になり、それ以降、彼女をストーキングするようになる。

 ある日、ピエロとして小児病棟を訪れると、拳銃を落としてしまいクビになる。絶望のなか地下鉄に乗ると、スーツの男性三人が一人の女性に突っかかっていた。無視しようとした矢先に笑い病が発症し、矛先が自分に向かう。暴力をふるわれたアーサーは、三人を銃殺してしまう。

 殺害した三人はウェイン証券のエリートであり、貧困者による殺害と報道される。トーマスは犯人をピエロだと批判するも、貧困に苦しむ市民は犯人を支持する。予算不足でカウンセリングが封鎖になるも、初舞台に登壇し、笑い病が発症しながらなんとかやり遂げる。その勢いでソフィーと関係を結ぶ。

 アーサーはペニーの手紙に、自分がトーマスの息子であると書かれていた。ペニーに確認したアーサーは、トーマス家を訪れ息子のブルースに出会う。すると執事のアルフレッドが駆けつけ、アーサーがトーマスの息子というのはペニーの妄想だと告げる。

 帰宅すると、ペニーが救急車で搬送されていた。ソフィーとともにペニーに付き添っていると、テレビのマレーのトークショーで自分の初舞台の姿が放送されていた。だがその姿はアーサーが記憶していたものとは違い、笑い病が止まらず観客の笑いは起こらない惨めなもので、マレーはアーサーをジョーカーと呼んで笑う。一方、街ではピエロの仮面を被る講義でもが勃発し、トーマスへの避難の声も上がっていた。

 アーサーは映画劇場のに侵入し、トイレでトーマスに接触する。トーマスの息子かと尋ねるアーサーに、ペニーは精神障害があり肉体関係も持っていないと告げ去っていく。ショックをうけたアーサーのもとに、前の放送の反響が良かったためにマレーの番組から出演依頼がくる。アーサーはマレーがまた笑いものにすると知りながら承諾する。州立病院でペニーの診断書を事務員から強奪し確認すると、トーマスが正しいばかりか自分がペニーの恋人に虐待されていたこと、それを笑っているからという理由で止めなかったことが記されていた。

 絶望の底に落ちたアーサーは、ソフィーの部屋を訪れる。しかしソフィーは初対面のような対応で出て行ってと告げる。二人の仲が深まっていたのは、アーサーの妄想だったのだ。ペニーの病室で自分の人生は悲劇ではなく喜劇だと悟り、ペニーを枕で窒息死させる。

 マレーの番組で自殺する計画をたて、一人で練習するアーサー。その日、元同僚のゲイリーとランドルが訪れる。ランドルは地下鉄事件の犯人がアーサーであると勘付き、口裏を合わせるために来たのだった。アーサーはランドルを殺害し、ゲイリーに感謝を伝え番組出演のために外に出る。しかしギャリティ刑事たちに見つかり、電車の中に逃走する。そこはピエロの仮面を被ったデモ集団で埋め尽くされていた。混雑の中でギャリティは誤射し、集団暴行をくらってアーサーを逃がしてしまう。

 スタジオに着いたアーサーは、自分のピエロの格好は社会情勢とは無関係であると告げ、ジョーカーと紹介してほしいと頼む。番組が始まると、地下鉄殺傷事件は自分がやったと告白し、社会の不条理を訴えたあと、マレーを殺害する。

 この様子はテレビで放送され、町中で暴動が起きる。そしてアーサーを乗せたパトカーに暴徒が激突する。その頃、トーマスたちは舞台鑑賞を終えて暴動を避けようとしていたが、暴徒に襲われブルースだけが生き残る。アーサーは目覚めると立ち上がり、暴徒たちの中心で手を上げて喝采を受ける。

 アーサーは精神病棟にいた。ジョークを思いついたと言うアーサーに話してと迫ると、理解できないとはねつける。そして部屋ら出たアーサーの足跡には血がこべりついていた。

解説

悪に生まれたのではない、悪になるのだ

 『ジョーカー』は、DCコミックス「バットマン」シリーズのヴィランであるジョーカーの誕生の過程を描く。極悪非道で狂気の体現者であるジョーカーは、何を想い、何故生まれなくてはならなかったのか。

 しかし本作は原作となる「バットマン」シリーズやそれをもとにした映画、アニメーションのどれとも世界観を共有せず、完全に独立したジョーカーを作り上げている。その代わりに『ジョーカー』は現代のアメリカ社会の危機を反映し、疎外され祭り上げられた悪というジョーカー像を打ち出している。貧富の差の拡大、社会保障の欠落、病人への厳しい目。描かれるその社会は、現代のアメリカそのものだ。不満が蔓延し不安定になった社会においては、いつの時代でも弱者が迫害される。そしてその社会によって疎外されたアーサーは、望まずして悪に取り憑かれてしまう。

 したがって『ジョーカー』の主題はこのように言うことができる。アーサーは悪に生まれたのではない、悪になるのだ、と。ジョーカーが体現する悪は後天的であり、本作の背景に現代のアメリカ社会がある以上、アーサーは物語の登場人物と割り切れる存在ではない。アーサーは我々の鏡写しであり、そして、現実世界に生きる誰もがジョーカーになる可能性を秘めているのだ。

フィクションと現実の関係ー山上徹也の場合

 2022年7月8日、安倍元首相が銃撃された。彼は選挙活動のために奈良の街頭で演説をしていた。銃撃をしたのは山上徹也。のちに明らかになるように、山上は親子の関係に問題を抱えていた。両親が宗教にのめり込み、そのことで不遇な人生を強いられていたのだ。そこから複雑な思考回路を経て、安倍元首相を銃撃することになる。

 山上は過去にツイッターで『ジョーカー』に言及している。

原作やダークナイトの純粋な『悪』というジョーカーから考えるとアーサーはジョーカーではない、というのはあり得る。彼はジョーカーに扮した後でも、自分ではなく社会を断罪しながら目に浮かぶ涙を抑えられない。悪の権化としては余りにも、余りにも人間的だ(2019年10月16日)

 ここで私は、山上の『ジョーカー』評を吟味したいのではない。ただ彼が『ジョーカー』に魅かれ、ジョーカーのように犯罪を犯したということは確認しておきたい。もちろん数あるツイートの一つで『ジョーカー』に言及していたからといって、何か重大な意味が見出せるというわけではない。ましてや、フィクションの危険性を訴えたいのでもない。だが一方で、社会問題を扱った多くの映画の中から、『ジョーカー』にある程度魅了されていることもまた事実である。しかし一体、この作品の何がそこまで人々の心を揺さぶるのだろうか。

考察

ホアキン・フェニックスの演技力

 社会から疎外され続けるアーサー/ジョーカーを演じるのはホアキン・フェニックス。減量し浮き出た脇腹から、この役にかける本気度が窺える。その年のアカデミー賞では11部門でノミネート、3部門で受賞した。受賞したその一つはホアキン・フェニックスの主演男優賞である。

 実際この映画の魅力はホアキン・フェニックスの演技によるところが大きい。殺人を犯した後の意味のないアーサーの踊りは、言語化することのできない人殺しの高揚感と、悪へと否応なく堕ちていく未来を妖しく示している。また緊張した時に起こる突発性の笑いは、狂気と病気の境界を揺るがし観客を不安にさせる。現実世界で突然笑い出す人を見かけたら、不快に感じるのは想像に難くない。観客は彼の笑いが病気だと知りつつ、彼を煙たがる登場人物に感情移入せざるを得ない。

 しかしホアキン・フェニックスの演技に頼り切っている分、社会の描き方がわかりづらいところがある。特に、仮面を被った貧困層のデモ集団がどのように拡大していったかがわかりづらい。現代だとSNSで拡散するのがメインになるだろうが、舞台は1981年、どのように運動は広がっていったのだろうか。そこらへんがもう少し分かりやすいと親切だと思う。

繰り返される否定

 アーサーは生まれながらの「悪」ではない。むしろ元々は他人を笑わせようと奮闘する善良な人物である。しかし社会が彼を善良のままではいさせない。カウンセリングが打ち切られ、マレーに笑い者にされ、無慈悲に会社を解雇される。唯一気遣ってくれるのは、同じく社会から除け者にされている小人症のゲイリーくらいだ。

 社会から排除されても、周囲の助けを借りて力強く生き続ける人もいる。フィリダ・ロイド監督の『サンドラの小さな家』が描くのは、まさにそのような人たちだ。社会から弾き出されても家族に否定されても、対等な立場の人たちの助け合いがあれば自力で家を建てられる、というのがこの作品の主張である。あるいはチャップリンの『ライムライト』では、仕事を失った二人の相互の助け合いを描かれる。どちらの作品でも主題にあるのは、社会の保護がない状況における他人との温かい助け合いである。

 しかしアーサーには他人の助けすら与えられない。それどころか、他人からの二重三重の否定が待ち受けている。社会、会社、尊敬するマレー、父かもしれないトーマス。アーサーは、社会に、他人に、親に、同僚に助けを求める。だが誰一人として彼の想いに応える者はいない。

 そして彼に最大の否定が突き付けられる。母と恋人である。このとき注意すべきは、ソフィーが恋人というのは彼の妄想で、実は初対面に近い関係だということだ。それ以前から自分の舞台での失敗の記憶などを都合の良いように書き換えていた。彼はショックを和らげるため、あるいは、自らを癒すために記憶を改竄し妄想をみていたのである。カズオ・イシグロの『日の名残り』の語りは、記憶が混乱していることから「信用できない語り手」と呼ばれているが、原因は違うにしろ本作もそれと同じような語りである。ジョーカー視点で語られるこの映画は、どこまでが現実でどこからが妄想なのかを判別することができない。

表面にあらわれた真実を直視せよ

 ここで描かれるアーサーは、山上がいうようにある意味でジョーカーではない。『インセプション』『TENET テネット』で有名なクリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト』に登場するジョーカーは、理性を超えた狂気の人物であった。彼は社会や規範の外部にいて、だからこそ底の見えない恐ろしさがあったのだ。本作のジョーカーはそれに比べると随分わかりやすい。彼はありとあらゆるものから疎外され、そして疎外したものに復讐するという、単純な二項対立の中でもがいている。

 その分かりやすさは、仮面の意味を変容させている。一般的に仮面は、裏にある本当の自分を隠すために用いられる。仮面は偽物で、裏に本物がある。仮面は本物を隠すために、理解の外に追いやられた他人は不安を覚えるのだ。

 しかし、アーサーの場合、事態は異なる。彼は表面に、つまり仮面に真実があるのだ。突発的に起こる彼の笑いは病気ではあるのだが、その一方で彼の望みでもある。コメディアンを目指すアーサーは、他人を笑わせたいし笑いたい。その笑みに彼の本当が現れているのだ。表面が嘘で、裏が本当だと考えているから、彼の笑いが他人の目には狂気に映ってしまう。だが本来、ありのままをみるべきなのだ。

 メイクをしたアーサーが刑事に追われ電車を降りたあとを観てほしい。彼の堂々とした態度と裏腹に、彼のメイクされた左目はまるで涙を流しているようではないか。あるいはマレーを殺害し陽気なダンスをしたあと、連行されるパトカーで窓にもたれかかり街の暴動を笑うジョーカーの左目には青い線がはしっているではないか。

 ジョーカーは「理解できないさ」という。しかし答えは、願いは、救いの声は表面にあらわれているのだ。それが理解できないことを、ジョーカーは嘲笑っている。

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