『アメリカン・ビューティー』感想|あらすじ解説|内容考察|予告された殺人

『アメリカン・ビューティー』感想|あらすじ解説|内容考察|予告された殺人

概要

 『アメリカン・ビューティー』は1999年のアメリカ映画。サム・メンデスの初監督作。アカデミー賞の作品賞を受賞。主演はケヴィン・スペイシー。

 サム・メンデスは『007 スカイフォール』や『1917 命をかけた伝令』で有名。フランク・フィッツ大佐を演じるクリス・クーパーは、『アメイジング・スパイダーマン2』のノーマン・オズボーン役。

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登場人物

レスター・バーナム(ケヴィン・スペイシー):太っていてハゲかかった冴えない中年男性。家族からは嫌悪されている。アンジェラに気に入られようと筋トレを始める。

キャロライン・バーナム(アネット・ベニング):レスターの妻。仕事人。優柔不断なレスターのことを嫌悪している。不倫をしている。

ジェーン・バーナム(ソーラ・バーチ):レスターの娘。父を毛嫌いしているが、愛に飢えてもいる。

アンジェラ・ヘイズ(ミーナ・スヴァーリ):レスターの娘の友人。レスターを誘惑し好意を持たれる。のちに処女であることが明かされる。

リッキー・フィッツ(ウェス・ベントリー):フランクの息子。ドラッグの売人をしている。ジェーンと恋に落ちる。

フランク・フィッツ大佐(クリス・クーパー):元海軍大佐。ゲイを嫌悪している。しかし自分がゲイであることが、後半に明かされる

あらすじ

 広告代理店に勤めるレスター・バーナムは、妻キャロラインと娘ジェーンと一見すると幸せな家庭を築いていた。しかし実際は、中年太りの体型で頭がハゲあがっているレスターは、キャロラインとジェーンから馬鹿にされていた。一方で、キャロラインは見栄っ張りな性格で自分の成功しか頭になく、ジェーンは今時の女の子のように振る舞い反抗期を迎えていた。

 ある日、レスターはジェーンのチアガールの踊りを観にいくと、ジェーンの友人でチアガールのアンジェラ・ヘイズに一目惚れする。友人であるアンジェラに気のあるそぶりみせるレスターに、ジェーンは嫌悪感を募らせる。

 元海軍大佐でゲイ嫌いのフランク・フィッツと息子のリッキーが、近所に引っ越してくる。ジェーンはリッキーに恋をしする。一方で、リッキーが裏でしているドラッグの販売を知ったレスターは、ドラッグを買うようになる。

 ある日、アンジェラが家に泊まりにくる。レスターがマッチョなら寝てもいいと言うアンジェラたちの会話を盗み聞きしたレスターは、アンジェラとセックスをするために筋トレを始める。それ以来、レスターに変化が訪れ、キャロラインとの喧嘩でも折れることはなく、さらには会社まで退社してしまう。

 レスターとリッキーが二人でいるところを見て息子がゲイである勘違いしたフランクは、リッキーを殴る。リッキーはジェーンと駆け落ちを計画する。それを止めようとするアンジェラは、リッキーに怒られ意気消沈する。アンジェラは慰めてもらおうとレスターに近づくが、彼女が処女であることを知り彼はセックスを断念する。

 実はフランクはゲイであり、レスターとの関係を望むも断られる。また、キャロラインはレスターを殺害しようと家に向かう。だが、思いとどまったキャロラインはレスターの和解をのぞみ、アンジェラやジェーンもレスターと仲直りの兆しが見え始め、レスター本人もそれを望む。

 しかし、突然銃声が鳴り響き、レスターはフランクに殺されてしまう。レスターは「僕の愚かな取るに足りぬ人生への感謝の念が。たわ言に聞こえるだろう?大丈夫。いつか理解できる。」と言い残して幕を閉じる。

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解説

予告された殺人

 『アメリカン・ビューティー』が退屈なヒューマンドラマに陥らずに、視聴者をドキドキさせ続けることができるのは、映画の冒頭にある主人公のレスラー自身による死の宣告のおかげだろう。物語の終わりは始まりから決まっている。物語は始まった瞬間から終わっているのである。

 結末を知っているからと言って、視聴者が退屈することはない。レスラーが産んだ軋轢によって、彼が誰に殺されてしまうのか皆目見当がつかないからだ。妻のキャロラインか、妻の不倫相手のバディか、娘のジェーンか、それともジェーンの彼氏のリッキーか。もはや推理小説を読んでいる気分だ。妻と喧嘩をすればキャロラインかと疑い、ジェーンと喧嘩すれば勢い余って殺してしまうシーンを想像する。特にジェーンがリッキーに父レスラーの殺害が依頼したときは、リッキーの異常な性格も鑑みて彼がレスラーを殺すのだと思い込んでしまった。騙された、実によくできている。

 予告は物語にとって運命論的な意味合いをもつが、逆説的にそれ以外の要素では物語に深みを与えてくれる。物語はいかようにも作れてしまうからこそ、可能性に制約(有限性)をあたえることで自由(無限性)が生まれるようだ。それは物語の想像としての豊かさというより、視聴者が想像してしまうという方向で物語の豊かさを高めている。

考察・感想

大丈夫。いつか理解できる。

 1999年、アメリカではレスラー家のように崩壊しかかってる家庭は多かった。そして父親は「マッチョ」から「ヘナチョコ」へ、統率する者から虐げられるものへと転げ落ち、長いあいだ保持していた父の権威を維持できなくなっていた。だから視聴者はレスラー家の問題を自分たちの問題のように受け取っていたはずである。レスラーが変態だったからではない、どの家庭も等しく壊れかけていた。誰にも言えないがうちもそうなんだよ、と、冒頭で取り繕っていたレスラーやキャロラインのように、誰しもが心の内で弁解していたはずだ。

 どのようにしたら父として男として復活できるのか。そこで鍵となるのが、娘と同じ年齢のアンジェラである。アンジェラのような若い女性に求められることで、消えかかった自信を回復していく。家庭が崩壊した結果、内部での父権性の復活を諦めて外部に男としての復活を試みるレスラーは、筋トレと妄想に明け暮れるしかない。問題から目を背けた先で問題の解消を図ろうとするも、それは根本的な解決にはならない。したがってレスラーの行為は亀裂を生む。そして妻も娘も家族の外で、男性を発見することで埋め合わせをしようとする。

 家族三人が内ではなくそっぱを向くことは、しかし、愛情の裏返しにすぎない。ジェーンは、レスラーにかまってほしいだけとリッキーに心の内を明かすし、キャロラインも寂しいがゆえにレスラーと真逆でマッチョなバディに近寄る。愛したいし愛されたいから目を背けるし、外を向くから関係が壊れてしまう。そして愛されたいという感情の先に殺したいという真逆の感情が生じるのである。キャロラインは自分で、ジェーンはリッキーに依頼して、レスラーを殺害しようとする。愛されたいと殺したいの両極の感情は否応なく結びついている。

 だからこそ「殺したい」が一瞬で「愛」に変化することもある。愛が永遠でないように怒りも永遠ではないのだ。レスラーは物語の最後、死の直前にそれに気がつく。

美の溢れる世界で怒りは長続きしない。美しいものがありすぎるとそれに圧倒され僕のハートは風船のように破裂しかける。そういう時は体の緊張を解く。するとその気持ちは雨のように胸の中を流れ感謝の念だけが後に残る。僕の愚かな取るに足りぬ人生への感謝の念が。たわ言に聞こえるだろう?大丈夫。いつか理解できる。

アメリカン・ビューティーの最後のシーン

この映画が伝えたいのはこれに尽きる。怒りにとらわれているときは体の緊張を抜け。そしたら感謝の念があふれてくる。苛ついてしかたがない時に見るようにしたい。

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