映画『ゲーム』考察|トラウマを治療する|あらすじ解説|感想|デヴィッド・フィンチャー

映画『ゲーム』考察|トラウマを治療する|あらすじ解説|感想|デヴィッド・フィンチャー

概要

 『ゲーム』は、1997年に公開されたアメリカの心理サスペンス映画。監督はデヴィッド・フィンチャー。主演はマイケル・ダグラス。

 デヴィッド・フィンチャーは1962年生まれで、『セブン』(1995年)や『ファイト・クラブ』(1999年)で有名。最近では『ゾディアック』(2007年)、『ドラゴン・タトゥーの女』(2011年)、『ゴーン・ガール』(2014年)とヒット作を作り続けている。

 心理サスペンス映画はほかに『アメリカン・ビューティー』『アイズ ワイドシャット』『ユナイテッド93』がおすすめである。

 また「【2023年版】Amazon Prime, U-NEXT の最新おすすめ独占配信映画」はこちらで紹介している。

登場人物

ニコラス・ヴァン・オートン(マイケル・ダグラス):大企業の社長。48歳。誕生日は10月11日。離婚しており孤独な人生を歩んでいる。ある日、弟のコンラッドにCRSクラブのカードを渡され、トラブルに巻き込まれていく。

コンラッド・ヴァン・オートン(ショーン・ペン):ニコラスの弟。母の死後、薬物依存症になり精神科に通っている。ニコラスに「CRSクラブ」のカードを渡す。

クリスティーン(デボラ・カーラ・アンガー):レストランのウェイトレス。偶然によりニコラスの騒動に巻き込まれる。

ジム・ファインゴールド(ジェームズ・レブホーン):「CRSクラブ」の部長。

サミュエル・サザーランド(ピーター・ドゥナット):ニコラスの顧問弁護士。

エリザベス(アンナ・カタリーナ):ニコラスの元妻。再婚、妊娠している。現在もニコラスを気遣う心優しい人物。

イルサ(キャロル・ベイカー):家政婦。ニコラスの父の代から働いている。

アンソン・ベア(アーミン・ミューラー=スタール):ニコラスの系列会社の社長。損失の責任をとり解雇されそうになる。

あらすじ・ネタバレ

 サンフランシスコに住むニコラス・ヴァン・オートンは投資銀行経営者で仕事一筋。彼は幼少期に父を飛び降り自殺で亡くしており、自分は父に似ているかを気にしていた。

 彼の48歳の誕生日に弟のコンラッドと食事をすることに。そこでコンラッドから会社「CRS(Consumer Recreation Services)を紹介される。CRSは実態が何なのか判別としない「ゲーム」と称するものを提供していた。

 CRSの会社に問い合わせに行くと、ゲームに参加するための試験を行うことになり、その後不合格を言い渡される。「ゲーム」の存在自体を怪しむニコラスは、「ゲーム」を受けたと称する人にどのようなものなのかと質問すると、「目が開かれる」という謎めいたことを言われる。

 不合格と言い渡されながらも、ニコラスの回りで不可解なことが起こり始める。CRSの仕業を確信しながら翻弄されるニコラスは、ゲームに巻き込まれたクリスティーンと行動を共にする。

 事態は急変し、ニコラスに死の危険が及ぶようになる。CRSの目的がニコラスの金銭であることが発覚、クリスティーンもCRSの手下であることが判明する。無一文になったニコラスは、CRSの悪行を暴くため会社本部へと潜入しクリスティーンと再び相見える。そして…….。

解説

「遊び」と「本気」の緊張関係

 社会的に成功し他人を見下すような大の大人が、自分の行いを悔い改め涙するとしたそれは一体何を意味するのだろうか。

 この映画は一人の男性のために一つの壮大なゲームを演出する話である。全てが作りのもののゲームであるということは、結末を知った後で見直すと至る所で言明されていていることがわかる。ニコラスも途中まではそのことを信じていたようだ。水没していく車に閉じ込められたニコラスは「これはゲームだ」と自らを鼓舞することで脱出に成功できたのだった。

 ところがニコラスもはたまた観客でさえも、降りかかる災難が本当にCRSの「ゲーム」によるものなのかを、次第に疑うようになる。それもそのはず、CRSの行動もニコラスを「ゲーム」に招待したコンラッドもとても怪しいのだ。コンラッドはCRSに追われているという妄想をぶちかまし、ニコラスをCRSの手先だと疑い始める。観客はニコラスの潔白だけは信じられるため、必然的にコンラッドの怪しさが増す。CRSの行動はもっとひどい。「ゲーム」のはずなのにニコラスは車に閉じ込められて川に放り出されたり、武装集団に発砲されたりする。これではもはや「ゲーム」と信じることはできないだろう。

 「ゲーム」という「遊び」が、疑念や裏切りを介して、「本気」へと変わっていく、その境界が見えないところに本作の魅力がある。疑い始めたらそれはすでに「ゲーム」ではないが、まだ「本気」とは言えないだろう。どっちつかずの微妙な場所で神経をすり減らされることで、「ゲーム」が「遊び」ではなく「本気」だと確信したときのその確信は極めて強いことになる。

 したがって、CRSが詐欺集団であると信じたニコラスは全てを捨てて捨て身の作戦にでることができる。だが、それすら作り物で「ゲーム」であると知ったとき、そしてそれはクリスティーンによって何度も伝えられていたにもかかわらず見破れなかったと知ったとき、ニコラスは自己を破棄するほどに打ちのめされる。「遊び」だったはずなのに自分だけが「本気」と勘違いして、あろうことか人殺しまでしてしまうとは!!

考察・感想

否定されることで生まれ変わるー自己啓発セミナーの手法

 不安が蔓延した時代だったのだろうか。世紀末のこの頃、「ゲーム」らしきものに強制的に参加させられるという設定の名作が数多く発表された。ミヒャエル・ハネケの『ファニーゲーム』(1997年)、ヴィンチェンゾ・ナタリの『キューブ』(1997年)、深作欣二の『バトル・ロワイアル』(2000年)。

 このようなカルト的人気を誇る一群の作品の中でも、デヴィッド・フィンチャー『ゲーム』は他とは異なる特徴がある。「ゲーム」が主題としているのは、不条理でもなければ人間の悪性でもなくて、生まれ変わり(更生)なのだ。

 ニコラスは父親との関係で一つのトラウマを抱えている。父親はニコラスの目の前で飛び降り自殺をしていたのだった。父との関係の希薄さそして父という権威の不在は、ニコラスに自分も父と同じ闇を抱えているのではないかという不安を抱かせ、それに対抗するかのように父権的なふるまいをさせることになる。人間関係の破綻や孤独はこのトラウマによるところが大きい。自らを偽るために作り出した父権的な振る舞いと自分との間に整合性が取れないのである。

 ニコラスがCRSの「ゲーム」を断ることができたのに参加した理由は、これで明らかになったと思う。つまり、トラウマを克服したいという意思が、「ゲーム」参加者の「目が開かれる」という発言に否応なしに魅了されたということだ。48年変わることのなかったこの不整合を直すチャンスに淡い期待をかけたのである。

 信じていたものが全て嘘で、自分を根本から否定される感覚。否定したかった父の飛び降り自殺の自分による再演。自己を破壊しトラウマを乗り越えた先で明かされる、全てが作り込まれた「ゲーム」という真実。そし、てこの過程を得ることによって、ニコラス新たな自分へと生まれ変わる(更生)。

 最初の問いに戻って答えるならば、その涙は自己の否定と生まれ変わりを意味する。評論家宮崎哲弥はこの映画を「自己啓発セミナーでの人格改造の過程を映像化したもの」だと主張したのは言い得て妙だ。否定されることで、飛び降りることで、自己を破壊することで、新たな自分へと生まれ変わるのなら、それはまさに80~90年代に流行した「自己啓発セミナー」そのものだろう。

映画カテゴリの最新記事