深作欣二『バトル・ロワイアル』感想|あらすじ解説|内容考察|生き残るために決断せよ

深作欣二『バトル・ロワイアル』感想|あらすじ解説|内容考察|生き残るために決断せよ

概要

 『バトル・ロワイアル』は2000年に公開された映画。監督は深作欣二。原作は高見広春の小説『バトル・ロワイアル』。中学生が殺し合うため、暴力的な描写が多くR-15指定された。世界的に評価されていて、特にクエンティン・タランティーノが高い評価を与えている。

 主人公は藤原竜也で、ビートたけし、山本太郎、柴咲コウが出演。柴咲コウは翌年に映画『GO』で最優秀助演女優賞を受賞した)

 次作は『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌』である。

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登場人物

七原秋也(藤原竜也):平凡な中学生。中川と行動を共にする。

中川典子(前田亜季):内気な中学生。夢にキタノが現れる。

キタノ(ビートたけし):七原らの担任。中川を特別視している。

川田章吾(山本太郎):以前に行われたバトルロワイアルの勝者。そのときに亡くなった恋人のためにバトルロワイアルの真相を探る。

相馬光子(柴咲コウ):不良少女グループのリーダー。武器の鎌を使い、相手を容赦無く殺す。

あらすじ

 修学旅行に向かう城岩学園中学3年B組の生徒たちは、和気藹々とお喋りをしていた。突然、生徒全員がバスの中で睡眠ガスによって眠らされる。無人島に建てられた学校の廃墟で目が覚めた生徒たちは、そこで元担任のキタノからBR法(バトルロワイアル法)に基づき殺し合いを命じられる。

 首に爆発物を装着され武器を支給された生徒たちは、学校から放り出される。三日以内に残りの人数が一人にならなければ全員殺されるという条件のせいで、生徒たちは各々ランダムに渡された武器を手に殺し合いを始めてしまう。

 躊躇なく相手を殺せる人や、怖気付く人など、対応は様々であった。殺し合う生徒や状況に耐えきれず自殺するカップルもいる中で、殺し合いを取り仕切るキタノと政府の軍に反旗を翻そうとする生徒も現れる。

 そのような状況の中、主人公の七原は、中川、川田と共に行動を開始し、ゲームを生き抜くために三人で協力する。参加人数も徐々に減っていったあるとき、川田が三年前におこなわれたバトルロワイアルの優勝者であることが判明する。川田はそこで最愛の人を守れなかったことを後悔し、バトルロワイアルの真相を突き詰めるために今回のに参加したのだった。

 桐山の襲撃を受けた七原たちはバラバラになるも、必死に生き抜く。強者である相葉たちも殺されてしまい、残りわずかになる。最後の力を振り絞り、桐山を倒した3人は、川田だけが生き残ったように偽装する。

 バトルロワイアルが終了し自衛隊は撤収する。キタノは学校で川田に対面するも、それは策略であり、七原と中川も登場する。最後は、中川に銃を向けるキタノを七原は射殺する。

 3人は船に乗り無人島を脱出するが、川田は重傷を負っていたため、ええ友達ができて良かったと、二人に伝えて息を引き取る。全国指名手配された七原と中川は、東京の喧騒の中を手を取り合い歩き出す。

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解説

「デスゲーム」モノのパイオニアであり金字塔

 2000年に公開された深作欣二監督の『バトル・ロワイアル』は、突如として集団で殺し合いを強制させられる「デスゲーム」モノのパイオニアであり、20世紀の終わりを象徴しさらには21世紀の幕開けを宣言する記念碑的な映画である。

 『バトル・ロワイアル』が与えた影響は日本国内だけには留まらず海外でもカルト的人気を誇る。特に、暴力的表現を用いて人間の本質を問うことを得意とするクエンティン・タランティーノから格別に高い評価を得ており、タランティーノは『バトル・ロワイアル』を1992年から2009年の映画の中で最も優れた作品としている。

 海外では例えば『ハンガーゲーム』や『イカゲーム』などの作品が『バトル・ロワイアル』的想像力の影響下にある(革命的行為は内部に宿る – 『イカゲーム』*なるほう堂)。どちらの作品も世界的な大ヒットを収めていることからも分かるように、強制的に戦わせられる「デスゲーム」モノは国籍問わず多くの人々の感性に響くようだ。

考察

ナイフを持って生き残れ – 決断主義のススメ

 キタノの冒頭の演説はあまりにも有名だ。バトル・ロワイアルは元担任であるキタノの「ちょっと殺し合いをしてもらいます」という一方的な宣言によって始まる。バトル・ロワイアルを拒否する権利は生徒たちに与えられていない。非常に理不尽な話である。しかしこの理不尽さが物語に与える緊迫感は、この映画の魅力だと言っていい。戦う理由もなければ逃げることもできない、そういう状況で人はどう行動するのか。この極限状態であらわれる生徒たちの行動は、ひるがえって人間の本質をあぶりだすのである。

 何故子供たちはこのような理不尽に耐えねばならないのか。キタノを含めた大人たちは子供たちの自業自得だという。生徒たちは荒れに荒れ学級崩壊を起こし、少年犯罪は増え校内での暴行事件で教師が1200人も死んでいるというのだ。子供たちの無邪気で自分勝手で残酷な暴力は、大人たちを死に追いやる。最初に理不尽を敷いたのは子供たちなのである。とはいえこのような理由で殺し合いを強制されるのは堪ったものではない。実際この現状に適応できた少数の生徒を除き、大半は殺し合わない道を模索することになる。

 批評家の宇野常寛はゼロ年代の想像力の基底にあるものを決断主義とよび、90年代からの想像力の変化をセカイ系からバトル・ロワイアル系への移行と捉えた。決断主義とは、理念や理想という「大きな物語」が喪失したあとで価値が相対的と知りながらあえて特定の価値観を選び行動すること、と定義される。絶対的価値が喪失した後、閉じこもることが反転してセカイへと繋がる回路を形成するという感性がセカイ系だとすれば、閉じこもることすら許されない状況で戦わなくては生き残れないという感性がバトル・ロワイアル系である。

 決断主義を体現するのが本作のヒロイン中川である。中川は人を殺すことを最初から最後まで拒み続ける。七原や川田に守られながら生き延びる中川は、本作で唯一の汚れなき無垢な存在だ。キタノに銃を突きつけられ死を前にしても、中川は銃の引き金を引くことができない。生死を賭けたゲームの中ですら戦うことを決断しないのだ。ところがバトル・ロワイアルを生き延びた先にある世界は、安泰とした平和な社会ではなく指名手配犯としての逃亡生活であった。バトル・ロワイアルに終わりはない。戦い続けなくては生き残れないのだ。そしてついに中川は決断する。昔に国信がキタノを刺したナイフを手に取り、七原との逃亡生活を選択するのである。

 ちなみに七原も決断主義を代表する人物にみえるかもしれない。七原も中川と同様に人を殺すことを拒み、それでも戦うことを決断するからだ。しかし七原の根底にあるのは相対的な価値の選択ではなく、中川を守るというマッチョイズムと親友である国信との友情である。これらはむしろ旧来の揺るぎない価値だ。七原と川田は女性との関係で価値づけを行う。いやむしろ女性との関係でしか行動原理を見いだすこができない。だが女性との関係が失われたとき、彼らはこの社会を生き残れるのだろうか。恋人であった慶子が最後に見せた笑顔の理由を理解した川田に、この社会で生きる目的はもはやない。そう告げるかのように川田は、バトル・ロワイアルを生き抜いたにもかかわらず、船の上で満足げに死んでしまうのである。七原とて川田のこの問題を乗り越えてはいない。

理解不能を噛み締めて

 冒頭で述べたように『バトル・ロワイアル』は海外の作品にも大きな影響を与えた。代表的なものに『ハンガーゲーム』や『イカゲーム』などがある。これらの作品は世界的な大ヒットとなり「デスゲーム」モノのポテンシャルを示すものでもある。

 だが私はこれらの作品に物足りなさを感じてしまう。管見を述べると、これらの作品は社会問題を組み込むことで世界的な人気を得たように思われる。資本主義によってますます広がる格差に呼応するように、階級や貧困の問題が「綺麗に」問われているのだ。これらの作品は理解しやすい構図が与えられている反面、物々しい迫力に欠けている印象を受ける。そもそも暴力や理不尽は理解することができない要素を内包しているはずで、加えられ奪われ失うことに理由など存在しないのだ。

 『バトル・ロワイアル』に理屈はほとんど存在しない。黒幕もいない。提供される情報は、国がBR法を施行した、これしかない。謎解きもなく理不尽だけが残るのである。

 理屈がなく理解ができない作品が人気を得ることは難しい。しかしその分からなさに理由を与え、道筋をつけて視聴者を導き共感させることだけが作品の価値ではないはずだ。我々は安易な分かりやすに飲み込まれるのではなく、その一歩手前にとどまるべきだろう。決断主義を生み出した絶対的な価値の喪失という状況は、評価基準のない『バトル・ロワイアル』そのものだ。ならば我々は中川のように、映画をそのまま受けいれて評価するほかない。それこそがまさに価値基準が崩壊した現代を生きる決断主義の本質なのだから。

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