『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌』感想|あらすじ解説|内容考察|テロを考える9.11以後の作品

『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌』感想|あらすじ解説|内容考察|テロを考える9.11以後の作品

概要

 『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌』は2003年の日本映画。監督は深作欣二と深作健太。前作は2000年に公開された『バトル・ロワイアルI』 。前作は高見広春の小説を原作としたが、本作はオリジナル作品。

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登場人物

キタノシオリ(前田愛):女子生徒側の主人公。七原の担任であったキタノの娘。七原に父親を殺されたことを恨み復讐を望んでいる。

青井拓馬(忍成修吾):男子生徒側の主人公。情緒不安定で問題児扱いされている。キレやすいが仲間思いな一面も。

七原秋也(藤原竜也):前作の主人公。反BR法組織「WILDSEVEN」のリーダー。

教師RIKI(竹内力):キタノシオリらの担任。頼りない教師だったが、バトルロワイアルが始まると高圧的な態度になる。

教師キタノ(ビートたけし):七原の担任。シオリの父親。前作で七原と中川に殺されている。

あらすじ

 七原がバトル・ロワイアルに勝利して3年後、世界はテロの時代に突入していた。七原に殺害されたキタノの娘キタノシオリは、キタノの最後の言葉を胸に七原に復讐するためバトル・ロワイアルⅡに参加を希望する。

 シオリが在学している町立鹿之砦中学校の生徒たちはスキー合宿に向かう途中に拉致されバトル・ロワイアルⅡの参加を強制される。そこで担任のRIKIが下したのが「孤島に潜伏する七原を3日以内に殺害せよ」というミッションであった。孤島に上陸した生徒たちは七原率いるテロ組織「WILDSEVEN」から発砲され次々と仲間を失ってしまう。

 数々の犠牲を払い七原の元にたどり着いたシオリたちは、七原たちの過去と目的を知り、「WILDSEVEN」と共闘して大人たちに戦いを挑む。

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解説

深作欣二の遺作

 前作の『バトル・ロワイアル』から3年後に制作された『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌』は、七原と中川が勝ち残った後に現実世界と同様3年が経過した2003年の日本が舞台である。『バトル・ロワイアル』でメガフォンをとった深作欣二を監督として『バトル・ロワイヤルII 鎮魂歌』の撮影が開始されたが、深作欣二が制作中に病に倒れたため彼の遺作となった。撮影は息子の深作健太が引き継ぎシーンの殆どを撮影したため、実質的には深作健太の作品である。

 前作の『バトル・ロワイアル』と同様、『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌』でも学生が強制的に殺し合いをさせられるという展開をとっている。暴力の理不尽さや悲惨さは前作から継承されていて、映像技術の向上もあり迫力は前作を上回っている。一方で『バトル・ロワイアル』との設定上の違いもある。クラス内の友達が敵であった前作と異なり、本作の敵は『バトル・ロワイアル』の主人公であった七原を首謀者とするテロ集団となっている。子供vs子供の構図はそのままだが、内部にいた敵はいまや外部にいる。標的が設定されているのだ。

 というわけで、前作が昨日までの友達が突然敵になって殺しあわなければならないサバイバルゲームであったなら、本作はミッションが定まった戦争サバイバルゲームとなる。七原がいるテロ集団の本拠地に向けて進軍していく様子はまさに戦争における地上戦である。

 

考察

虚構に侵食する現実 – 2001.9.11からテロの時代へ

 前作の『バトル・ロワイアル』では暴力を圧倒的な理不尽さとして描き切っていた(生き残るために決断せよ – 深作欣二『バトル・ロワイアル』*なるほう堂)。強制された殺し合いというゲームに対して、生徒たちが納得できるような理由は最後まで与えられない。暴力は単にそこに存在して、生徒たちはそれを受け入れるしかないのである。この理不尽さは、暴力の理由を安易に提示しない点で、『バトル・ロワイアル』の大きな魅力となっている。

 ところが『バトル・ロワイアルⅡ』になると、テロ対国という分かりやすい構図に陥っているようにみえる。もちろん対立軸が明確になったからと言って、作品の価値が下がるというわけではない。例えばイカゲームやハンガーゲームは構図を明確にすることによって、貧困や階級などの社会問題を映画に取り込むことに成功した良作である。だが安易に構図に捉われない想像力が『バトル・ロワイアル』には確かにあった。それを継承する道が『バトル・ロワイアルⅡ』にはあったはずなのだ。

 前作からわずか3年間で、何故これほどにまで分かり易い構図を採用するようになったのか。そこには前作と本作の間に現実世界で起こった9.11が大きな影を落としている。9.11はイスラーム過激派テロ組織アルカイダによるアメリカへのテロであり、世界貿易センタービルへの航空機の衝突という衝撃的な事件を巻き起こした。世界貿易センタービルの崩壊の音と共に、現実世界はテロの時代へと突入したのである。事実は小説より奇なり。現実の暴力がまざまざと見せつけた理不尽さは理解の範疇を遥かに超えていた。現実が虚構を超えていたのだ。

 だから『バトル・ロワイアルⅡ』は七原率いる「WILDSEVEN」のテロによって、東京の高層ビルが崩壊するところから始まる。もはや虚構でしか語ることのできない想像力は存在しない。高層タワーが崩壊しテロが跋扈するという現実を如何に整理し理解するかが、虚構の物語を作り出すためにも、喫緊の課題だったのである。

感想

反米というモチーフ : 大人-子供、アメリカ-テロ、アメリカ-日本

 『バトル・ロワイアル』が扱った暴力を媒介とした大人-子供の関係を、『バトル・ロワイアルⅡ』ではさらに社会的かつ国際的な対立へと昇華されている。大人-子供、国家-国民、そして大国-テロ組織。後者を擁護し前者の欺瞞を暴くのが『バトル・ロワイアルⅡ』だ。もう一つ大人-子供とパラレルな関係がある。アメリカと日本だ。しかしこの対立では、アメリカの暴力性だけでなく日本の主体性の欠落も非難される。

 それが明確になるのが、テロ組織である「WILDSEVEN」の拠点地にアメリカからのミサイルが撃ち込まれたときである。「あの国を怒らせてしまった」という日本の総理大臣に、テロを自国の問題として対処しようとする主体性はない。このような現状である日本を、担任のRIKIはマッカーサーの「日本は12才だ」発言を取り上げて非難する(この問題意識は日本の漫画にも通底しているところがある。詳しくは「アトムの命題とは何か – 大塚英志*なるほう堂」)。日本は子供のままなのだ。

 『バトル・ロワイアルⅡ』はアメリカの暴力性に注目し、明確に反米というモチーフを打ち出している。『バトル・ロワイアル』で殺し合いを強いてきた大人がアメリカに、それに反抗した子供がアルカイダに重ね合われされる。勿論9.11は非人道的なテロであり非難を免れることはできない。しかしそこまで追い込んだアメリカ国家の暴力にも敏感であるべきだ。

 七原の戦いは3年間で生き残るための決断主義から、欺瞞的な大人たちへの闘争に変貌をとげた。『バトル・ロワイアル』で子供に強いた暴力がテロを誘発したのである。物語としては暴力の理不尽さの消去という批判は免れ得ないように見える。しかし虚構を超える現実を咀嚼することからしか新たな物語は生まれない。その点で『バトル・ロワイアルⅡ』は早い段階で9.11に応答した注目すべき作品である。

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