東京と残りのもの——武内英樹『翔んで埼玉』

東京と残りのもの——武内英樹『翔んで埼玉』

概要

 『翔んで埼玉』は、2019年に公開された日本のエンタメ映画。監督は武内英樹。原作は1982年から『花とゆめ』に連載された魔夜峰央による同名漫画

 イタリアの第21回ウディネ・ファーイースト映画祭でマイ・ムービーズ賞を受賞、第23回ファンタジア国際映画祭でアジアン最優秀長編作品賞・金賞を受賞した。

 東京都民に虐げられてきた埼玉県人を解放するために、麗と百美が奮闘する物語。

 邦画は他に『怒り』、『告白』、『君たちはどう生きるか』、『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』、『君の名は。』、『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』などがある。

 

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登場人物・キャスト

壇ノ浦百美(二階堂ふみ):東京都知事、壇ノ浦建造の息子。東京の私学、白鵬堂学院の生徒会長。少女のような風貌の男子。麗に恋心を抱くようになる。

麻実麗(GACKT):白鵬堂学院に転入してきた青年。東京都民指数が高く、学生から一目置かれている。丸の内にある大手証券会社の御曹司。正体は、埼玉県の大地主である西園寺家の子息。埼玉解放戦線のメンバーでもある。

阿久津翔(伊勢谷友介):建造の執事。千葉県出身者。千葉解放戦線のリーダー。先代のリーダー、エンペラー千葉の子息。

神奈川県知事(竹中直人):神奈川県知事。東京都知事の建造とは、裏取引をしており仲が良い。

名言

:埼玉愛はないのか?

あらすじ・ネタバレ・キャスト

 越谷に住む菅原一家は、娘の愛海の結納のために、東京に向かっていた。東京都民になれると愛海が喜んでいると、ラジオから東京都と埼玉の激闘の歴史が語られ始める。

  19XX年、埼玉は東京から迫害を受けていた。境界には関所が設けられ、通行手形なしでは東京に入ることができない。そんなある日、超名門校である白鵬堂学院に、海外帰りの美青年、麻実麗が転校してきた。

 都知事の息子で生徒会長でもある壇ノ浦百美は、埼玉県人を擁護し仲間からの信頼を得ている麗をやっかみ、東京各地の空気の匂いを当てる東京テイスティングという問題をふっかける。当初は回答不可能に見えた問題であったが、麗は全校生徒の前で全問正解してみせる。その様子から百美は次第に麗に惚れていく。

 百美と麗がデートをしていると、麗の家政婦おかよが埼玉急襲部隊に捕まりそうになっていた。咄嗟におかよを助けた麗は、草加せんべいを踏むよう強要され、拒否したことで埼玉県人であることがバレてしまう。麗は通行手形の撤廃を目的とする埼玉解放戦線のメンバーだった。

 埼玉県人であることに拒否反応を示す百美であったが、愛のために麗と共に逃走する。その頃、都知事建造の秘書で千葉解放戦線のリーダーである阿久津翔は、千葉の通行手形を撤廃するために埼玉に抗争を仕掛ける。江戸川を挟んで対決する両軍であったが、実は、都知事が不正に溜め込んだ金塊を百美が群馬県で発見したことで埼玉と千葉は和解していた。

 両県の住人が東京になだれ込み、不正貯蓄を暴いたことで建造は失脚する。東京を倒した百美と麗は、埼玉の文化を全国に広める日本埼玉化計画を開始する。

 この物語をラジオで聴いていた菅原一家は、夫婦喧嘩をやめて涙を流す。愛海は呆れ返るが、婚約者の春翔も同じラジオを聴いていてらしく、埼玉愛に目覚めたことで新居を春日部市に建てることを決意していた。東京に住めないことになった愛海は愕然とするのであった。

解説

ダサい=だって埼玉=ダサいたま

 二階堂ふみとGACKTのW主演映画『翔んで埼玉』がここまで人気を博したのは、埼玉県人の故郷に対する自虐的態度が現実を的確に捉えていたからだ。実際は東京都に入るための通行手形があるわけではないのだが、東京都民とそれくらいの精神的距離を感じていることはある。かたや日本の中心、かたや「ダサい」の語源(諸説あり)。この環境の差が人々の信条に与える影響は計り知れない。

 原作は1982年から『花とゆめ』に連載された魔夜峰央による同名漫画。どうやら埼玉県人の自虐的精神は何十年も前からあるようだ。埼玉という土地に生まれた平凡を是とする文化、自慢する場所も特徴もない街並みが、自虐精神を醸成し成熟させ隅から隅まで浸透させてきた。物語の終盤に総埼玉化していく日本は、文化とともにこの自虐的精神も蔓延することになるだろう。

歴史性のない埼玉

 本作は埼玉の迫害の歴史を物語る。海に接してないことを恥じる埼玉人は、荒廃した土地から東京を夢見る。東京に入るためには許可証が必須で、無断で入ろうものなら警察に連行されてしまう。東京都民にも身分制が導入されているが、都民の最下層のさらに下にいるのが埼玉県人である。奴隷やバイ菌のように扱われる埼玉県人には、反骨心ではなく奴隷精神が根付いてしまっている。

 埼玉には自慢することも特徴もないばかりか、歴史すらも乏しい。戦国時代の名所もなければ、明治の文明開花の名残もない。あるのは埼玉古墳群だけである。そんな埼玉にも歴史があったのだ、と主張したのが「クレヨンしんちゃん」の劇場版『嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』である。このアニメ映画では、戦国時代の春日部にタイムスリップしたしんちゃんたちが戦国武将の合戦に巻き込まれていく様子が描かれる。そこでは今や誰にも知られていない名もなき戦国武将と姫が叶うことのなかった愛を誓い合っていた。住んでいても知ることのない歴史が春日部にもあったのである。

考察・感想

埼玉県人の自虐的精神

 本作でも埼玉の歴史が描かれる。だがそれは『嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』で示された勇ましさとは違う、埼玉県人が迫害されてきた過酷な歴史である。

 作中で奴隷としてへりくだる埼玉県人は、フィクションだけの存在だろうか。確かに、現実の世界にも関所も奴隷もない。しかしながら、現実に生きる埼玉県人は、圧倒的な自虐的精神を持っている。埼玉県人は、自分はダメなやつだからとか、埼玉って微妙な街だよね、といった前置きから会話が始まる。実は、この言葉に悲観的な意味はほとんどない。自らが所属する組織をまずはボコボコにする。その意見を共有し、その前提のもとで組織を語る。それによって相手も自分も同じ立場であること、つまり、同胞感が出るのである。この独特な手法、というか語り方こそが、埼玉県人の特徴であるように思われる。

 何故このようなことが起こったのだろうか。なぜ埼玉県人は奴隷であることに反発しないのだろうか。何故自虐するところから会話を始めてしまうのか。その長年の謎の答えが、本作に描かれているというのだ。

残りのもの

 埼玉はどのようにして誕生したのだろうか。元々この地区には武蔵国という令制国があった。現在の東京都と埼玉県及び神奈川県の川崎市、横浜市にあたる。それがのちに分割され、現在の形になる。つまり、元々東京人と埼玉県人は同じ国の者であったのだ。

 突拍子もないと感じるかもしれないが、この時の分割が埼玉県人の自虐精神の起源であると思われる。埼玉が東京都民に迫害され疎外されて、埼玉ができたわけではないところに重要なポイントがある。すなわち、東京都が設立した時、東京に流れ込んだイケイケ者たちではない、残りのものとしてこの土地に留まったのが埼玉県人なのである。ここで誤解してはならないのは、のちの埼玉県人と呼ばれる武蔵人にとって、埼玉に残ることは大した決断ではなかった、というより、選択さえしていなかったという点である。のちに埼玉と呼ばれる土地にその時住んでいた、ただそれだけのために埼玉県人と呼ばれることになったこの人たちは、決断や意思を持つ以前の状態にいたにもかかわらず、事後的にまるで埼玉に残ることを選択したと感じるようになった。この人たちは埼玉をみずから選択したイケてない人種であり、つまり、武蔵の民からイケイケで日本の中心にいる東京人を差し引いた残りのものである。

 迫害や疎外があれば、抵抗や反抗もできる。だが、残りの者たちにはその権利すら与えられていない。何故ならそこに住むのは、埼玉県人の意思によるものだからだ。もちろんこの意思は事後的に作られた見せかけの意思である。だがこの最初の意思の発生こそが、現在まで続く埼玉人の自虐精神の起源となる。

 だらか、麻実麗と壇ノ浦百美が東京都民の暴挙に反抗し革命を起こすことができても、埼玉県人の自虐精神を取り除くことはできない。自虐精神に侵された埼玉に生まれた文化。この文化の全国への浸透こそが、埼玉県人の革命的行為である。

 これはニーチェが論じたキリスト教の布教方法に似ている(ルサンチマンニヒリズムを参照)。だが違いもある。ルサンチマンは自らが弱いが故に尊いという価値の逆転を行なったが、埼玉県人はそのような価値の反転を行なわない。埼玉県人は東京人に虐げられたのではないことを知っている。自らの怠惰、あるいは、無知によって残りのものになった埼玉人の精神の浸透は、残りのものとして自らを捉え直すことをすべての人に強いるのである。

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