『マイレージ、マイライフ』軽やかで重い人生哲学|あらすじ解説|内容考察|感想

『マイレージ、マイライフ』軽やかで重い人生哲学|あらすじ解説|内容考察|感想

概要

 『マイレージ、マイライフ』は2009年に公開されたアメリカのヒューマン映画。監督はジェイソン・ライトマン。原題は『Up in the Air』。原作は2001年に出版されたウォルター・カーンによる同名小説。ゴールデングローブ賞を含め数々の賞を受賞、ノミネートした。

 ジョージ・クルーニーが演じるライアン・ビンガムが、出張をしながら人生を見つめ直す物語。

 ジョージ・クルーニーといえば『オーシャンズ11』『オーシャンズ12』『オーシャンズ13』で好演した。

登場人物

ライアン・ビンガム(ジョージ・クルーニー): 解雇を言い渡す仕事をしている。気軽な人付き合いと、持ち物を減らすことを人生哲学としている。

アレックス・ゴーラン(ヴェラ・ファーミガ):CA。ライアンと同様、世界中を飛び回っている。ライアンと気軽な関係を結ぶ。実は既婚者。

ナタリー・キーナー(アナ・ケンドリック);ライアンが勤める会社に入社した有能な若手。解雇システムの電子化を押し進める。ライアンと行動を共にする。

クレイグ・グレゴリー (ジェイソン・ベイトマン):ライアンの上司。

あらすじ

 人事コンサルタントで働くライアンの仕事は、雇用主に代わって雇い止めの宣告をすることであった。ライアンは自分の流儀で解雇される人々に真摯に対応する。また彼は各地で講演を行い、持ち物のない軽い生き方を推奨していた。

 米国各地を飛び回るライアンが家に帰れるのはわずか数日で、いつしかアメリカン航空史上7人目で最年少の1000万マイル達成が目前に迫っていた。彼は旅行先で同じく世界中を飛び回っているアレックスと性的関係を結ぶ。

 ある日、会社に入社したてで若手のナタリーが、仕事の電子化をおしすすめ出張を無くすことを提案する。ライアンは解雇を宣告された従業員の対応が疎かになるとこの方針に反対し、上司の計らいで経験のために解雇現場にナタリーを連れていくことになる。

 ナタリーはライアンの恋愛や哲学に反対するが、ライアンは現状に満足していると告げる。そのほかにもナタリーは出張中に彼氏に振られたり、解雇した相手に叱られたりして思い悩む。

 ライアンはアレックスを誘い、妹の結婚式に出席し、頼まれて各地で撮った二人の看板の写真を渡す。新郎はこれからの人生の重さに耐えきれず結婚式をキャンセルしようとするが、ライアンの説得により無事に結婚式は行われる。そして説得するために言ったことや妹の結婚式をみて、自分の人生哲学について改めて考え直す。

 重要なことは身軽さではなく大事な人といることだと気づいたライアンは、シカゴのアレックスの家に向かう。しかしアレックスは既婚者で子供もおり、ライアンといまのままの関係を望む。ショックのまま帰る途中、搭乗員から1000万マイルに達成したことが伝えられ、機長と話す機会に恵まれる。

 ライアンは妹夫婦の新婚旅行のために50万マイルを譲る。会社では、ナタリーが解雇した人が自殺してしまい、ナタリーは辞職、電子化の方針は中断になり元の解雇システムに戻る。

 ナタリーは再就職の面接で、ライアンからの推薦状が送られていたことを知る。ライアンは空港で一人、電子案内板の前で立ち尽くしすのだった。

解説

正反対の二人、ナタリーとライアンと重さと軽さ

 チェコの作家ミラン・クンデラは『存在の耐えられない軽さ』(1984年)で、「重さか、あるいは、軽さか?」という問題提起をおこない、その問いから人生の特性を考えた。人生とは、あるいは、愛とは、重いのか、もしくは、軽いのか。そしてその相反する二つのどちらがよいものなのか。本作『マイレージ、マイライフ』は、アメリカの社会問題を軽妙に描きながら、『存在の耐えられない軽さ』と似たような哲学的な問いを内に含んでいる。

 舞台となるのは21世紀のアメリカ。大量の失業者という社会問題を抱えた現代に、家を持たず軽く生きることを推奨するライアンが、片っ端から従業員に解雇を言い渡すのが始まりにある。日本とは違い終身雇用制度もないアメリカでは、突如として解雇を言い渡されることも少なくないようだ。実際、解雇のシーンで登場する人たちは、最近失業した人たちを募集して撮られているらしい。従業員に解雇を告げるライアンは、従業員の人生を軽んじる薄情なやつかといえばそうではなくて、人生哲学である「軽さ」を強調し、解雇というピンチをチャンスに変えて新たな人生を歩むことを推奨する。彼の説得が従業員を逆上させたり自殺を押しとどめるのは、従業員に推奨する新たな生き方を彼が本当に良いと思っているからだ。会社に定住しないで新たな生き方に挑戦しよう、この機会に子供の頃に抱いていたけれど諦めて忘れてしまった夢を実現してみよう、このようなライアンの提案は絶望した失業者たちに生きる希望を与えてくれる。

 ありとあらゆる意味でライアンの反対にいるのがナタリーである。ナタリーは効率を求めて解雇システムを電子化しようとする優秀な若手で、この問題を巡ってライアンと意見が食い違う。また彼氏がいるナタリーは、人間関係を身軽なものと考えるライアンの人生哲学に真っ向から反対し、ライアンはアレックスの想いに向き合うべきだと叱責する。彼女にとって恋愛とは「重い」ものなのだ。

 ライアンとナタリーは行動を共にすることで、互いに影響を受け合いながら自らの人生哲学を変容させていく。ナタリーは解雇される側の苦痛を知り解雇システムの電子化を諦め辞職し、ライアンはアレックスと共に生きることを決心する。ナタリーは「重さ」から「軽さ」へ、ライアンは「軽さ」から「重さ」へと向かうのである。

考察・感想

重さと軽さの先にある、自由で開放的な生活へ

 ライアンとナタリーの人生哲学の変化と並行するのが、ライアンとアレックスの関係の発展と、総飛行距離1000万マイルへの挑戦である。

 アレックスは環境も価値観もライアンに似ていて、二人は気軽な関係で付き合うことを望んでいる。またナタリーによる解雇システムの電子化で達成が危ぶまれる1000万マイルへの挑戦は、ライアンの生きがいになっている。ここではアレックスとの関係は「軽さ」を、1000万マイルは「重さ」を表しているといえる。

 ここまでくると分かるようにライアンは、「軽さ」を奨励するのと「重さ」を求める二つの側面に二重化している。家に居らず荷物も人間関係も軽い方がよいと講演しながら解雇するときは直接宣告することを重要視し、家族を作ることを軽蔑しながら1000万マイルという継続の証を追い求める。この二重化は決してライアンに限ったことではなくて、むしろ人間の本性を表しているように思う。「軽さ」と「重さ」の同居と均衡こそが、人間生活を彩っているのだ。

 人間関係において「軽さ」を求めていたライアンは、妹の新郎を説得するために口にした自分の放言に再興を余儀なくされる。思わず口から出たのは人と共にいることの重要性だった。幸せな瞬間や不安に落ち入ったとき、分かち合うのも救ってくれるのも側にいてくれるその人だ。口から出任せででたこの言葉は、しかしながらライアンが密かに思っていたことでもある。彼は自分の言葉に勇気づけられアレックスのもとに向かう。彼は「軽さ」から「重さ」へと人生の起点をずらしたのだ。

 ところがアレックスの人生哲学は、「軽さ」と「重さ」の二重化の自覚に基づいたものであり、ライアンとの「重い」関係を拒むものだった。夫と子供がいる家庭という「重さ」と、ライアンとの責任のない関係という「軽さ」の両刀使いは、アレックスが言うように大人の関係である。

 アレックスの元から帰る飛行機で、彼は念願の1000万マイルを達成する。しかし機長との会話で、想像した機長との会話との内容を忘れたと言い、自らの居処を「ここ(=飛行機)」だとして悲しそうな表情をする。

 「軽さか、あるいは、重さか?」。物語の最後になって、この問いはライアンにとって問いであることをやめている。再就職先にナタリーを推薦し、一方で元の解雇の業務に戻るライアンは、複雑な表情をしている。空港の電光掲示板の前で立ち尽くすライアンが何を考えているのか、それは観客にはわからない。だが決意した明るい表情ののちに、そのわずかな荷物でさえ手放したところに、ある種の開放がある。それは荷物という「重さ」の放棄であると同時に、移動という「軽さ」を手放したことも意味するからだ。「軽さか、あるいは、重さか?」という問いをズラした先で、ライアンの軽やかで重たい自由な生活を幕を開けている。

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