『スクール・オブ・ロック』考察|自由を勝ち取れ|あらすじネタバレ感想・伝えたいこと解説|リチャード・リンクレイター

『スクール・オブ・ロック』考察|自由を勝ち取れ|あらすじネタバレ感想・伝えたいこと解説|リチャード・リンクレイター

概要

 『スクール・オブ・ロック』は、2003年に公開されたアメリカのミュージカルコメディ映画。監督はリチャード・リンクレイター。

 2016年にアメリカでテレビドラマ化された。

 夢を追う売れないロックミュージシャンが、教師と偽り着任した中学校で従順な生徒たちにロックと自由の真髄を叩き込む物語。

 他の映画に『レ・ミゼラブル』『ラ・ラ・ランド』『セッション』『コーダ あいのうた』などがある。

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登場人物・キャスト

デューイ・フィン(ジャック・ブラック):ロックを愛するニート。友人のネッドの家に居候しているが、家賃を滞納している。身分を詐称し中学教師になる。

ロザリー・マリンズ(ジョーン・キューザック):ホレス・グリーン学院の校長。

ネッド・シュニーブリー(マイク・ホワイト):デューイの親友。元バンド仲間。デューイを家に泊めている。

パティ・ディ・マルコ(サラ・シルバーマン):ネッドの恋人。デューイに対して不満を募らせている。

ケイティ(レベッカ・ブラウン):生徒。ベースを担当。

サマー・ハサウェイ(ミランダ・コスグローヴ):生徒。マネージャーを担当。
(他の出演作:『怪盗グルーの月泥棒』『怪盗グルーのミニオン危機一発』『怪盗グルーのミニオン大脱走』)

名言

ロックは成績なんて関係ない。セックス・ピストルズも無冠だ。

あらすじ・ネタバレ・ストーリー

 デューイはロックを愛するバンドマンで、友人の家に居候しながら夢を追っていた。ライブで盛り上がると観客に向かってダイブするが、誰も受け止めてくれず地面に衝突する。

 居候させてくれる友人のネッドは元バンド仲間で、現在は中学の教師をしていた。ネッドの恋人のパティは、デューイが家賃を払わないことに嫌気がさしており、家から追い出そうとしている。

 デューイがバンド練習に向かうと、身勝手な行動を理由に脱退を迫られる。ふて寝をしていると、ネッドからも滞納している家賃を入れるよう迫られる。

 ある日、ネッド宛に私立中学から臨時教師の誘いがくる。お金が欲しいデューイは、自分がネッドだと偽り、名門ホレス・グリーン学院に中学教師として着任する。

 学校は規律が厳しく、規則に従順な子供ばかりだった。ロック音楽しか詳しくないデューイは、着任早々授業を放棄し、生徒に好きなことをさせる。あるとき楽器を弾かせてみると、クラスの子供たちが音楽の才能に溢れていると気づき、子供とバンドを組んでバンドバトルに出場することを決意する。

 デューイは生徒全員にそれぞれの役割を与える。ベースやコーラスはもちろんのこと、宣伝や照明、先生を撹乱する部隊を作る。さらに、音楽の練習だけでなく、ロックの歴史や音楽の技術的側面を、強烈な熱量で教える。

 当初は困惑気味であった生徒たちも、次第にバンドバトルに向けて結束を深めるようになる。バンド名は「スクール・オブ・ロック」に決定し、バンドバトル予選に向けて順調に準備を進めていた。

 野外授業に申請が必要という校長を欺こうとするが失敗し、許可を得ないで予選に向かう。時間に間に合わず失格になるも、子供たちは小児病棟の患者でバンドバトルに出場することを夢見ていると訴え、見事出場権を得る。

 給料に関する電話をネッドがとってしまったことから、デューイが教師に偽装していたことが発覚する。さらに保護者会でうまく誤魔化すことができず、パティが連れてきた警備員によって、学校を追放される。

 バンドバトル当日、子供たちは授業を放棄し、運転手を騙してバスでデューイの家に向かう。ふて寝してたデューイは、子供たちに触発されて、みんなでバンドバトルの会場に赴く。さらに、ネッドもパティを振り切り会場に向かう。

 保護者たちも子供が脱走したことに気づき、会場に駆けつける。演奏は生徒たちのオリジナル曲を披露し、デューイは失敗したダイブのパフォーマンスを成功させ、会場は熱狂に包まれる。その様子をみていた、校長のロザリーと保護者たちは、子供の成長を感じ喜ぶのだった。

 優勝はできなかったものの、観客がバンド名「スクール・オブ・ロック」を連呼し、アンコール演奏を披露する。その後、デューイは子供たちとロックを歌い、ネッドは自宅で子供にギターを教えるのだった。

解説

純粋な子供心を持つデューイ

 観ると元気がでる非常に喜ばしい映画がある。本作はまさにそのような作品だ。

 ロックを愛してやまない主人公のデューイは、いわゆるバンドマンというやつで、大人になっても音楽で大成する夢を諦めることができない。元バンド仲間のネッドは、中学教師として立派に働き彼女と同棲しているため、デューイの社会的地位の低さが余計に目立つ。

 デューイはおそらく音楽の才能は乏しいが、ロックに対する情熱は本物だ。加入しているバンドからある日突然に脱退を促されることから、バンド愛好家の中にいても浮いていたことがわかる。バンド仲間は確かにロックを愛する人たちだ。だがそれと同時に、バンドが有名になるという社会的・金銭的な目標にも努力を惜しまない。デューイはそのような態度を卑しいと感じている、とまでは言わないが、それよりも観客にダイブするとか、伝説的なミュージシャンのように魂を揺さぶる演奏をするとかの方に熱い想いを傾けている。

 ようはデューイはまだ子どもの純粋さを保持しているのだ。ロックバンドで成功するという夢のためなら友人のネッドに迷惑をかけることも厭わないし、金の必要に迫られれば他人を騙してでも最短の道に進む。自分の欲望がまずあって、他人の迷惑は二の次の問題なのだ。

教師ではなく仲間として接する

 子供のような精神を持つデューイが、子供である中学生を教えるところに本作の面白さがある。デューイは名前と身分を偽って中学校に着任するが、当然のように教師の業務を放棄する。これは彼の知識と能力が乏しいからに他ならないが、彼の精神性にも原因がある。

 デューイは子供の精神性を保っているため、生徒との距離が非常に近い。生徒と共に練習する姿は、教師というより友達といったほうがしっくりくる。彼は生徒をバンド仲間として扱い、生徒と一緒になって規則を破った。デューイが愛するロック魂という精神は、教師とか生徒とかそういった属性を難なく飛び越えていくのだ。

考察

規則を破ることで自由を勝ち取れ

 この映画の伝えたいことはただ一つ、規則を破ろう、ということだ。

 着任早々に授業をほったらかしてロックの練習に励もうとするデューイに、バレたら相当ヤバいんじゃないかと心配になるが、そう感じた時点で私もどうやら生徒と同様、社会の規範にやられているようだ。たかだか数週間、どうってことないのである。

 ニコラ・ブルバキという数学者をご存知だろうか。彼はフランスの有名な数学者で、数多くの業績を残した偉人である。というと実在の人物に聞こえるが、実は、複数人の数学者が作った架空の人物で、グループ名といった方が正しい。ニコラ・ブルバキの名前の由来は、創始者のアンドレ・ヴェイユの友人ラウル・ユッソンが学生の時に、新入生を対象とした講義で教授に扮装し、訳のわからない内容を講演した後、「ブルバキの定理」という架空の定理で終わらせたという逸話にある。私が好きなのは、学生にもかかわらず教授だと偽りそのまま講義を進めるラウル・ユッソンの度胸だ。自分もこうありたいものである。

 デューイがやったのはラウル・ユッソン以上の規則破りである。そして彼の行為は、規則が厳しい学校でやる気を失った生徒に自由の価値を教えた。先生や親を騙しても、自分のやりたいことをやる。そう決意したとき、生徒たちはデューイを迎えにいくのだ。

セックス・ピストルズも無冠だ

 ところで、この映画はアメリカよりも日本に必要なんじゃないかと思った。日本の学校だと生徒が大人しいとか主張しないとかは序の口で、規則に従順、基本的には自由など存在しない。時間に間に合わず予選敗退した時の、生徒たちによる咄嗟の戦略も自分ができるかというと疑わしい。日本人こそ規則を破り自由を獲得する経験が必要なのだ。

 生徒はデューイに自由とロック魂を教わり、デューイ以上にロックに目覚める。親と先生を騙し、解雇され不貞寝するデューイを起こし、オリジナル曲を披露する。そこでは学校の規則や保護者の禁止は障壁にすらならない。子供たちは自由を求めて、つまりロック魂にしたがって、自らの欲求に忠実に動くのだ。

ロックは成績なんて関係ない。セックス・ピストルズも無冠だ。

優勝を逃したデューイはそのことを嘆く。そんな彼に、ロックに成績なんて関係ないと教えてくれるのは生徒たちである。これを生徒に教えたのは、かつてのデューイであった。子供たちはロック魂を教えてくれたデューイよりも、ロックな者たちに成長したのだ。

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