ボーンシリーズ
2002年から続く『ボーンシリーズ』は『ボーン・アイデンティティー』『ボーン・スプレマシー』『ボーン・アルティメイタム』『ボーン・レガシー』『ジェイソン・ボーン』の五作品からなるアメリカのアクション映画である。アクションが売りのこの作品群は『ボーン・レガシー』のジェレミー・レナー(『メッセージ』、『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』に出演)を除いてマット・デイモンが主役を演じていて、迫力といいカッコ良さといい相当にレベルが高い。
シリーズも五作品も続くとなると、複雑で入り組んだストーリーを想像されるかもしれないが、そんなことはなくて、意外と単純な構造をしている。というのも大筋としては、記憶を失った元CIA職員のジェイソン・ボーンが自分の正体を知るために奮闘する話で、有り体に言えば自分探しの旅といったと感じである。
銃で撃たれ海に浮いているのを偶然発見されるところから始まるシリーズ1作目の『ボーン・アイデンティティー』は、その冒頭から自分探しの旅の過酷さを予見している。全裸で意識を取り戻すボーンの様子はまさに赤子で、負傷している原因を知らないどころではない、名前を含め一切の記憶がないのだ。唯一の手がかりは、体に埋め込まれたマイクロカプセルに入っていた銀行口座番号と無意識に反応してしまう強靭な身体だけで、この先自分の正体を掴むためにはなんとも心細い。しかしこのような設定はどうやらアクション映画の単調さに深みを与えているようだ。つまり自分探しの旅が、記憶を取り戻す物語であり、僅かな手がかりから真相を暴く探偵物語であり、赤子から大人への成長物語でもあるのだ。
スノーデンは映画内でも生きている
ボーンの正体は何なのか。物語が進むにつれて次第に明らかになるのは、ボーンはCIAの極秘作戦”トレッドストーン”という暗殺者育成プロジェクトの第一号で、すでに多くの人を暗殺していた事実である。ボーンを暗殺しようと追跡してくるのもCIAであり、妻を殺すのもCIAである。それだけではない、極秘作戦”トレッドストーン”が凍結されても、バージョンアップされた極秘作戦”ブラックブライアー”が始まっていたり、他にも幾つもの人権を蔑ろにした作戦が同時に進行していたりする。つまり正義の組織のCIAがアメリカの平和を保つために裏で悪事をなしているというのだ。
と、ここまではありきたりな設定かもしれないが、この映画群で何度も強調されることは、この物語は作り話でありながら作り話ではない、ということだ。それは映画内に現実世界で起こったことを敢えて挿入することからも分かる。例えば5作目『ジェイソン・ボーン』では、元CIA局員で史上最大規模の告発を行ったエドワード・スノーデンが、「これはスノデーン級だ!」などという形で話される。それによって視聴者は、CIAが世界を監視していることが白日の元にさらされたスノーデン以後の世界であることを意識させられるだけではない、現実の延長にあるいは現実の裏側にボーンと極秘作戦”トレッドストーン”があることを擦り込まされているのだ。
現実世界での疑惑——CIAて隠しれて何かしてるんじゃないの?——を巧みに利用することで物語に現実味を帯びさせることに成功している。
円環するアイデンティティーの旅
この映画は三つ部分に分解できる。(1)ボーンは記憶を探す。(2)CIAはボーンを追う。(3)ボーンはCIAから逃げる。通常この(1)の向かう先は、CIAでも自分でもない外の敵でなければならない。しかしボーンの過去を知るものはCIAしかいないのだ。そうすると(2)→(3)→(1)→(2)→・・・・という円環が生まれてしまう。ここに、冒頭で書いたこの映画の「単調さ」の理由がある。ざっくりいうと、この映画にはボーンとCIAしかでてこないのだ。
そのせいでストーリーは恐ろしいほどに単調で反復的である。CIAに追われて逃げる。真相を知る人を追い詰める。だが記憶は完全には戻っていない。次の作品でまた、CIAに追われて逃げる。真相を知る人を追い詰める。だが……。ボーンの最後の暗殺の記憶、レッドストーン作戦への参加の意思、父親の死の理由。次から次へとまだ核心ではないまだ真相ではない、と新たな謎(思い出せない過去)が提供されるのだが、真相の場所に異なる記憶がはいるだけでどれも同じ構図だ。
アメリカは歴史的にアイデンティティーを問い続けてきた国だ。イギリス人でもなければ、かといって原住民でもない。内部で規定することも外部に拠り所を求めることもできない。このアメリカ的な問いは映画での自分探しの問題とパラレルかもしれない。ボーンのアイデンティティーは内部にはない(記憶がない)。ところが外部にも見つからない、何故なら追っている対象によって追われているからである。ボーンを雇うのもCIA、追ってくるのもCIA、最終的な黒幕もCIAである。CIAに始まってCIAに終わるこの映画を真に楽しめるのはアメリカ人だけなのかもしれない。