最終回から観る大河ドラマ①『鎌倉殿の13人』

最終回から観る大河ドラマ①『鎌倉殿の13人』

大河ドラマの最終回を見ている時、つかの間、彼は自由になる。

1年の時をかけてつぶさに辿ってきた支流の一つ一つが、合流して大きな流れとなり轟音を伴って海に注いで行く。

誰にも邪魔されず、気を遣わず、そのさまを眺め愉悦に浸るという孤高の行為。

この行為こそが、現代人に平等に与えられた、最高の癒しと言えるのである。

*この記事は、NHK大河ドラマの最終回を分析しながら、そこに表れる出来事がいかに他の回とリンクしているかを語り、1年間かけて大河ドラマを観るという喜びを、全話未視聴の読者にも追体験してもらうことを目的にします。第3節以降は特に重要なネタバレを含みますので、鑑賞状況や目的に合わせてお読みください。

「人の誠の値打ちというものは己が決めることではございません」

「では誰が決める?」

「時でござる」       — 『真田丸』(2016)最終回

「よろしいですか?よろしいですか?たとえ、たとえですね。明日死ぬとしても…

やり直しちゃいけないって、誰が決めたんですか?誰が決めたんですか?

…まだまだこれからです」 — 『古畑任三郎』第3シリーズ(1999)「古い友人に会う」

 三谷幸喜脚本によるNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』(2022)。その最終回(2022.12.18放送)冒頭は、誰の予想をも裏切る形で始まる。次回作『どうする家康』(2023)の主人公、徳川家康が寝転んで『吾妻鏡』を読んでいる場面で幕を開けたのだ。『吾妻鏡』は鎌倉幕府の公定歴史書であり、いわば『鎌倉殿の13人』の「原作」とも呼べる存在である。最終回を目の前にしている視聴者と同じく、「いよいよ承久の乱かー」と胸躍らせている家康は『どうする家康』と同じく松本潤が演じており、次回作への粋なエールとなっている。そういえば三谷幸喜は、前回脚本を担当した『真田丸』(2016)の終幕近くにも、真田幸村と腹心の高梨内記の対話という形を取って、井伊家の物語『おんな城主直虎』(2017)に対する「次回予告」を行っていた。

「相手に不足はございません。あちらにも赤備えがおりますぞ」

「あれは井伊直孝だ、かの井伊直政の次男坊だ」

「井伊でございますか」

「向こうにも、ここに至るまでの物語があるんだろうな」

「一度、聞いてみたいものですな」 

『真田丸』第45話「完封」

 さらに、「アバンタイトルに徳川家康が登場してその回に関連した話をする」という骨子だけ取り出せば、前作『青天を衝け』(2021)での徳川家康(北大路欣也)が解説役を担う仕掛けとも呼応している。往年の大河ドラマファンを自認する三谷幸喜は、大河ドラマが「年々続いていく」形式を取る「伝統芸能」的ジャンルであることに誰よりも自覚的な書き手だと言えるだろう(小栗旬と松本潤が『花より男子』(2005)のF4以来の繋がりを持っていることにまでも、自覚的であったのかどうかはわからないが)。

 それでは、三谷が今回『鎌倉殿の13人』で、1年間・毎週放送という時間の制約の中で表現したかったものは何か。私の考えでは、それは「」である。最終回は「報いの時」と題され、義時が築き上げてきた鎌倉から、義時自身が「報われ」、さらに「報いを受ける」さまが描かれることになる。執権が北条時政・義時・泰時と偶然「時」の字を持つ者らによって担われたことから発想されたのではと思う回(▶第38回「時を継ぐ者」)もある。自らの「許せない!」という言葉により処刑された者が出たことに動揺した政子に、「我らはもうかつての我らではないのです」とどこか寂しげに語る(▶第17回「助命と宿命」)義時は、衣装を登場時の若草から次第に漆黒の袴に変え、何より形相によって時間の経過とその苛酷さを物語る。物語内の時間で15年ぶりに再登場した仏師の運慶(相島一之)が、義時を形容する「悪い顔になった」という変化を現実には半年で体現する、小栗旬の演技力に驚嘆せざるを得ない。

 「時の経過」—視聴している私たち自身さえも1年間の中で変化を強いられる大河ドラマという枠は、この主題を表現するのに何と適していることだろう。

1. 承久の乱 出来事が「歴史」になる時

 タイトルに続き映し出されるのは、北条政子(小池栄子)の感動的な演説(▶第47回「ある朝敵、ある演説」)を受け、後鳥羽上皇(尾上松也)との一戦に一見血気盛んな鎌倉の様子。しかし三浦義村(山本耕史)は、「できれば皆、戦いたくないんだ」と相変わらずシニカルに見ている。和田合戦の際に、和田側で参戦しながら「先に言っておくが、この乱は失敗する。俺が向こうにつくからだ」と北条サイドへの裏切りを宣言し、しかし和田の妻・巴御前(秋元才加)に起請文を書かされたうえ灰を飲まされて寝返れなくなり、「小四郎、すまん」とつぶやいて再度北条を裏切ろうとしたある意味であっぱれな姿(▶第40回「罠と罠」)は、視聴者の記憶に新しい。この男、北条側で戦う気があるのやらないのやら…と思って観ていたら、しばらく後に「合流すると見せかけて[…]泰時の首を手土産に、そのまま京へ入る」と言っているので、やはり今回も裏切る気満々のようだ。

 前回、捨てるつもりだった命を政子に生かされた格好の主人公・義時は、朝廷との戦に向けて皆と策を練っている。強硬策の大江広元(栗原英雄)、慎重策の息子・泰時(坂口健太郎)。軍議は強硬策優勢となるが、そこに「老骨に鞭打って」三善康信(小林隆)が登場。満を持して、(実はさっき義時も言っていた)京へと進軍する策を提案する。「時を無駄にしてはなりません、一刻も早く出陣すべきです」、しかしこのやりとり自体が壮大な無駄である。この場面だけでなく、人が無残に死んでいく陰鬱な展開の中で和やかな笑いを提供してくれた三善。しかし思い返せばそんなうっかり者の早とちりから、以仁王の令旨を受け取って切羽詰まった頼朝の挙兵は始まったのであった(▶第3回「挙兵は慎重に」)。

 かくして、鎌倉側は泰時を総大将に京へ向かうことに決まる。兵の数が僅かであることを、義時は息子に告げる。

「初めは何人で行くのですか?」

「頼朝様も、山木攻めの時は24騎であった」

「今回は?」

「18人」

「私を入れて19人か」

「お前を入れて18人だ」

 義時が言う「山木攻め」は、頼朝(大泉洋)が伊豆目代・山木兼隆を襲撃し平家討伐の狼煙を挙げた事件。山木が館にいるかどうかは、頼朝の元妻・八重(新垣結衣)が白い布を結んだ矢を射ることで義時らに知らせた(▶第4回「矢のゆくえ」)。確かにこの時も兵はなかなか集まらず、兵力管理を担当していた義時が途中、頼朝に(この時と同じく)兵の数を「18人」と伝える場面もあった。義時が頼朝の挙兵を思い出して引用する心情も、理解できる。

 勝者にとって、過去の出来事はあっという間に「歴史」になっていく。現在を生きる者達は、有難がって勝者の「歴史」を引用する。しかし、現実に起きた出来事と語られる「歴史」、さらにその故事が適用される文脈との間には、避けえない齟齬がある。例えば、山木攻めの総大将頼朝は、兵を率いてはおらず、現地にもいなかった。戦の映像を見るかぎり(▶第5回「兄との約束」)、24人よりは多い人数が攻めているようである(これは当時の兵力の数え方に依るので、現実の人数と一致していなくても不思議ではないが)。さらに、一地方の目代の館を奇襲するのと、朝廷の官軍を正面から相手にするのとはスケールが異なりすぎる。義時が「山木攻め」の故事を引用するのは、「歴史」を現在のために都合良く再利用するレトリックにすぎない。

 それでも、出来事は進行していく。泰時の軍勢は膨れ上がり、木曽川で藤原秀康(星智也)率いる官軍を撃破。京の最終防衛線である宇治川を挟んで両軍のにらみ合いが続く。宇治平等院での軍議では、三浦が源平合戦の故事を披露する。しかし、義時の次男・北条朝時(西本たける)に「じじい、うるせえんだよ」「わけわかんねぇんだよ、じじい」と野次られて、「誰が言ったー!」と怒る始末。源平合戦の経験にとらわれる義時・三浦の世代と、現実の戦を見据える義時の息子たちの世代差があらわになった。三浦は、源実朝(柿澤勇人)が作らせた大船を動かすために見事な上半身を披露した(なのに八田知家(市原隼人)と異なり特に綱を引っ張りもしなかった)が(▶第42回「夢のゆくえ」)、あの時もドラマ上の見た目が若かっただけで、実は一座の中で誰の発言かも判別できないほど老いていたという、残酷な真実までもあらわになる。鎌倉殿を支える宿老の合議体に「佐々木のじいさん」や「千葉のじいさん」を入れる案に対し、「もう死にました」「もうすぐ死にます」「じいさんはやめておきましょう」と放言していたあの三浦が(▶第27回「鎌倉殿と十三人」)、である。

 さて、宇治川の戦いで泰時は、兵を筏に乗せ板で覆い矢を防ぎながら渡河する作戦を思いつく。和田合戦の時に用いた重装歩兵戦術の応用であり、その時の映像も挿入される(▶第41回「義盛、お前に罪はない」)。しかし、体験していない泰時は知る由はないにせよ、もし義時がこの場にいたら、もう一つの戦を想起したに違いない。源義経(菅田将暉)が指揮した、壇ノ浦の戦いである。宇治川に浮かぶ筏を上空から捉えるカメラワークも、壇ノ浦での海戦と共通するものだ。「筏の押し手に犠牲が出る」ことを心配する泰時の発想は、「(戦闘員ではない)漕ぎ手を射殺す」ことを提案して武士の道に反すると周囲の大反対を受けた義経(▶第18回「壇ノ浦で舞った男」)の、以後の時代を生きているからこそ生まれる。ウサギを手に入れるための野武士との弓矢競争に、飛距離比べを持ちかけておきながらまず野武士を射殺した義経の発想第8回「いざ、鎌倉」は、戦の常識を変えてしまったのだ。

 案の定、押し手は矢で射られ始める。泰時の竹馬の友・鶴丸(きづき)も左胸を射られて流血、動揺する泰時に「おまえは、総大将なんだ。兵一人やられたぐらいで、立ち退くな!」と叱咤する。義時は、孤児の鶴丸に平盛綱という名を授け、御家人に取り立てようとするほど目をかけていた(▶第39回「穏やかな一日」)。これは実朝が反対し、義時との溝を深めることになるが、鶴丸としては戦の活躍で恩に報いた形となる。

 鎌倉の義時は、小さな観音を掌で挟み、泰時の武運を祈っている。幽閉されていた頼朝がこの二寸ほどの観音を大切にする姿は、初回から映されていた(▶第1回「大いなる小競り合い」)。政子と実衣(宮澤エマ)も祈祷している。実衣は息子の阿野時元を鎌倉殿にしようと画策したが、あえて挙兵させた義時によって時元が自害に追い込まれ、自らも一度は処刑を覚悟した(▶第46回「将軍になった女」)。「ゲン、ダー、ウン!」の祈祷は本来、兄・頼朝のために奥州藤原氏の藤原秀衡(田中泯)を呪詛していた夫・阿野全成(新納慎也)のものであり(▶第13回「幼なじみの絆」)、実衣も途中からそこに加わってハーモニーを生んでいた。寄って引くカメラワークまであの頃と揃えた今回の演出は、ハーモニーの不在によって、夫と息子を失った実衣の孤独を浮き彫りにする。

 敗北した藤原秀康は、後鳥羽上皇の出陣を奏上する。武芸に秀でる後鳥羽上皇は乗り気である。しかし、藤原兼子(シルビア・グラブ)が後白河法皇(西田敏行)の遺言を思い出させる。無音の映像で、「守り抜いた…わしは守り抜いたぞ…守り抜かれよ…」(▶第22回「義時の生きる道」)。「ここから、出るわけにはいかぬ」と後鳥羽上皇は出陣を見合わせ、朝廷側の敗北が確定する。

 敗者となった後鳥羽上皇は、北条の使者時房(瀬戸康史)を「此度の大勝利、見事であった」と称えることで、朝廷を「守り抜こう」とする。かつて蹴鞠で勝負し意気投合した折のように第43回「資格と死角」)、「トキューサ」と呼びさえする。上皇の豹変を聞いた義時は「後白河法皇様も同じことを仰せだったな」とぼやく。視聴者の脳裏に、義経には頼朝追討の宣旨を、頼朝有利と見るや頼朝には義経追討の宣旨を下した後白河法皇の節操の無さがかすめる―怪人二十面相顔負けの、脇に毬を挟んで死を装うトリックとともに(▶第19回「果たせぬ凱旋」)。

 結果、義時は後鳥羽上皇を隠岐配流にする沙汰を下す。罪人向けに逆さにした輿の担ぎ手にはなぜか文覚(市川猿之助)がおり、後鳥羽上皇は「頭まで噛んだではないか」と悲鳴を上げる。文覚と頭骨ということで思い返せば、義朝のものと称したドクロを頼朝に持ち込み、挙兵のきっかけを作ったのも文覚であったことを視聴者は思い出す。「これからは武士を中心とした政の形を長く続くものにする。その中心にいるのがわれら北条なんだ」と時房は語る。こうして、「承久の乱」は、後世に家康に読まれるような「歴史」となった。 

2. 「歴史」になる前の出来事

 意外にも、承久の乱は開始20分で終了し、最終回の大半の時間は乱後の処理と義時の生きざま(死にざま)に費やされる。

 京から帰ってきた時房は義時に、京でりく(宮沢りえ)に会った話をする。元夫・北条時政(坂東彌十郎)の、若い女に看取られた穏やかな最期を伝えると、「あの人はそういうところがあるのよ」と納得していた。どこか悲し気な表情のりくは、時政をけしかけ、武蔵総検校職の座をめぐって対立する畠山重忠(中川大志)を謀反人として陥れさせたこと(▶第36回「武士の鑑」)、実朝を鎌倉殿の座から降ろして娘婿の平賀朝雅(山中崇)に継がせようとしたこと(▶第37回「オンベレブンビンバ」)、その際政子や義時を消そうとしていたこと、等を果たして記憶しているのだろうか。時政自身は、「りく、やっぱりわしら、無理のし過ぎじゃあねえかな」と最初からギブアップのサインを出していた(▶第35回「苦い盃」)のだが…。それを言うなら、時政は亀(江口のりこ)の件で政子に逆ギレした頼朝に激昂した後、「言っちまった。[…]鎌倉の暮らしは窮屈で性に合わん。伊豆へ帰って米を作っておる方がいい」(▶第12回「亀の前事件」)と言っていたので、上昇志向のりくとの結婚には無理があったか。

 承久の乱が終わり、世に平和が訪れる。刺客のトウ(山本千尋)は仕事が減り、政子から戦で親を亡くした子どもたちの武芸指導を頼まれる。13人の子どもを集めて「ひい、ふう、みい、刺す、よ!」と教えるさまは殺気に溢れすぎていて笑ってしまうが、トウ自身が政争に巻き込まれて親を失った子であったことを考えると、彼らの立場が誰よりもわかると言える。頼朝に疑いを向けられた源範頼(迫田孝也)を善児(梶原善)が暗殺する(▶第24回「変わらぬ人」)ことがなければ、範頼に仕えていた両親も殺されずに生きていたはずだから。

 そして、義時が急に倒れる。義時の正確な死因を、後世のわれわれは知らない。だからこそ、大河ドラマが想像力で補う余地が生まれる。

 義時は回復して執務に戻るが、廃位された幼い先帝(仲恭天皇である)を復位させようとする動きが京で起きていると伝えられる。大江広元は「災いの芽は摘むのみ」と断じ、義時は「我らはこれまでもそうやってやってきた」と言い切る。源頼家(金子大地)が危篤状態から息を吹き返した折、義時は頼家の長男・一幡の存在を「あれは生きていてはいけない命だ」と決めつけ、刺客の善児にすら「(殺す事は)できねえ」と拒否されていた(▶第32回「災いの種」)。善児は修善寺の頼家を暗殺しに行く際、畳に「一幡」の文字を目にして動揺し返り討ちに遭い、その後弟子トウに両親の敵として(善児が範頼と両親を殺した修善寺で)殺される(▶第33回「修善寺」)。

 まさに義時と大江は、幼子の命を先手を打ち奪う方法で政(まつりごと)を「やってきた」のであり、少しでも慈悲を見せると善児のように命を落としてしまう―それが彼らの時代のことわりだった。それに対し泰時は、「新しい世を作るのは、私です!」と異を唱え、時房は「今、新しい世が来る音がした!」と興奮する。出来事は進んでいき、時はもはや、義時のものでなくなりつつある。そして仏師の運慶は、悟りとはほど遠い、醜くひしゃげた仏像を「今のお前に瓜二つよ」と義時に贈る。義時は仏像を斬ろうとするが、くず折れるように倒れる。医師は「アサ!」と麻の毒が盛られていることを告げ、毒消しを届けると約束した。

3. 現在進行形の「歴史」 『鎌倉殿の13人』は『古畑任三郎』である

 義時はこの後、三人の人物と一対一の対話を重ねていく。そのいずれもが、かつて三谷幸喜が脚本を担当した『古畑任三郎』の、古畑と犯人との対決シーンのような、一語たりとも聞き逃せないような緊張感を帯びている。唐沢寿明が犯人役を演じた第2シリーズの傑作「VSクイズ王」にならい、対話の相手を「VS○○」と表記したい。

【ここからは、多くのサプライズが含まれます!できれば鑑賞後にお読みください】

① VS のえ

 まず義時は、最近薬効があると称し謎の液体を飲ませてくる妻ののえ(菊地凛子)と話す。

「医者が言うには、誰かが毒を盛ったらしい」

「さあ。毒には効くかしら」

「誰が盛ったか気にならんか?」

「誰が盛ったのですか?」

「お前だ」

「誰かが毒を盛った」という情報を「誰が?」と聞かずにスルーしてしまったのえ。自白同然の発言であり、「あらばれちゃった」と悪びれもせずに認める。「もっと早く、お前の本性を見抜くべきだった」と悔いる義時に「あなたには無理。私のことなど、少しも見ていなかったから」と泣き顔で告げる。かつて八重の元にキノコを運び、頼朝に「八重は小鳥が好きでな。キノコは好まぬ」と訂正されていたにもかかわらず(▶第10回「根拠なき自信」)、「女子というものはな、大体キノコが大好きなんだ」とドヤ顔で泰時に教える(▶第29回「ままならぬ玉」)などまったく女性のことがわかっていない義時は、のえがキノコを「大好きなんです!」というのを信じ込んでいた(▶第34回「理想の結婚」)ように、のえのことを見ていなかった。一方の泰時は、義時の言葉を信じて贈ったキノコを後に妻となる初(福地桃子)に全部突き返されてから目覚めたのか、のえが義時からもらったキノコを侍女たちに「持っていきな。私キノコ嫌いだから」と言っている場面を目撃できている。

 泰時ではなく息子の政村に後を継がせたい―それがのえの宿願だった。八重は頼朝に逆らった伊東の娘、比奈は北条が討った比企の娘、そんな女の産んだ子たちがなぜ北条家の嫡男なのか、と。ある意味、のえの論は正当だ。比企の出でありながら盗み聞きによって比企家の情報を義時に流し、比企を滅ぼす手伝いをしてしまった(▶第31回「諦めの悪い男」)比奈(堀田真由)は、出自に悩んだ果てに自ら離縁を申し出、義時もそれを受け入れたのだから―。だからこそ義時は「行け!」と怒鳴るほかに何もできず、のえは「死に際は大好きな姉上様に看取ってもらいなさい」「毒を手に入れてくださったのは、あなたの無二の友、三浦平六殿よ」と二つの呪いを残して去って行く。そして義時は、この二人と対決することになる。

② VS 三浦義村

 義時は「まあ、一杯やってくれ」と三浦に酒を勧める。のえが用意した薬を酒で割ったものだ、と。三浦は固辞するが、義時が「ほかに飲めない訳でもあるのか」と質すと、押し負けて飲んでしまう。三浦は、飄々とした振る舞いの下に隠してきた黒い思いを告白する。

「俺はすべてにおいてお前に勝っている。子供の頃からだ。頭は切れる、見栄えはいい、剣の腕前も俺の方が上だ。お前は何をやっても不器用で、のろまで。そんなお前が今じゃ天下の執権。俺はと言えば、結局、一介の御家人にすぎん。世の中不公平だよな!」

 確かに、義時よりも三浦の方が状況判断は巧みだった。頼朝をかくまった義時たちに「首はねちまえよ」「疫病神なんだよ」と言っていた昔(▶第2回「佐殿の腹」)から、実朝暗殺を実行した後助けを求めて自分の館に逃げ込んできた公暁を容赦なく殺す近年(▶第45回「八幡宮の階段」)まで、彼の行動は一貫している。しかし敢えて言えば、この機敏すぎる頭脳が、彼と義時の命運を分けたのかもしれない。

 のえの「薬」を混ぜた酒だというのは、義時の罠であり、ただの酒だった。騙された三浦はお返しとばかりに、「大昔、俺はお前に教えてやった。女子は皆、キノコが好きだと。[…]あれは嘘だ。出任せよ」と明かす。義時が呆然として「早く言って欲しかった…」と言った時だけ、大昔の小四郎のあどけない顔に戻る小栗旬の演技が素晴らしい。心にもない言葉を言う時に三浦は襟を直す癖があると義時は泰時に教え(▶第44回「審判の日」)、八幡宮事件の後「私に死んでほしかったのではないのか」という義時の言葉を否定した後に襟を直して去って行く三浦の姿を私たちは見た。しかしこの日の対話中、三浦は一度も襟を直さない。初回から欠かさず出演し続けた北条義時と三浦義村は、最終回のこのひと時だけ、かつての小四郎と平六に戻れたのかもしれない。

 義時と政子との対話を前に、泰時は文書を書き、初に見せる。学の無い御家人でも読めるような易しい言葉で、武士が守るべき定めを記しているのだという。後の御成敗式目である。頼朝と義時が行ってきた力と恐怖による統治への反省から、ルールと正義による統治の方へ、泰時は踏み出そうとしている。それは、「こう見えて、俺は素直な男でな。素直な男は損得で動く」と言った上総介広常(佐藤浩市)に「はっきり申し上げて、われらに付いても、得はないかもしれません。しかし、これだけはわかっていただきたい。[…]平家に気に入られた者だけが得をする、そんな世を改めたい。われらのための坂東を作る」と語った頃の若かりし義時(▶第7回「敵か、あるいは」)の思いを、そのまま生かすことでもあった。習字が下手で原義も知らずに頼朝を「武衛、武衛」と呼んでいた上総介も、御成敗式目なら読めるという気になっただろうから。

③ VS  政子

「たまに考えるの。この先の人は、わたくしたちのことをどう思うのか。あなたは上皇様を島流しにした大悪人。わたくしは身内を追いやって、尼将軍に上り詰めた稀代の悪女」

 政子はふと後世の評価を考える。ここではまだ、義時も政子も「歴史」の人物にはなっておらず、現在を生きている。義時は「言い過ぎでしょう」と返すが、小学校の「歴史」では、少なくとも政子は悪女ということになっているのを、彼らは知らない。

『鎌倉殿の13人』は一貫して、『吾妻鏡』に記された「歴史」を、今・ここで起きる出来事の次元に引きずり降ろして見せた。だからこそ、承久の乱を前にした政子は「頼朝様の御恩は山よりも高く…」の演説を途中で止めて原稿を捨て肉声で語り始めるのだし、一の谷の戦いでの義経は有名な「鵯越(ひよどりごえ)」ではなく、「その時その場をこの目で見て」決めた結果鉢伏山から駆け降りる(▶第16回「伝説の幕開け」)のだ。冒頭のナレーション(長澤まさみ)も、「栄華を極める平家の世に、小さなほころびが生じようとしている。」「歴史が、うねり始めている。」(第1話)と現在形を多用する。となれば、義時と政子が何を話すのか、誰にもわからない。

 義時は言う。

「それにしても血が流れすぎました。頼朝様が亡くなってから何人が死んでいったか。梶原殿、全成殿、比企殿、仁田殿、頼家様、畠山重忠、稲毛殿、平賀殿、和田殿、仲章殿、実朝様、公暁殿、時元殿…これだけで13。」

「鎌倉殿の13人」というタイトルの割に、鎌倉殿を練達の宿老衆が助けるという構図にはいつまでたっても全くならず、それどころか宿老が粛清されて数が減っていくことに半年ほど違和感を感じていた視聴者は、ここで戦慄する。13人は、「鎌倉殿」という制度を成り立たせるための、死者の数だったのだ。ダブルミーニングの技法は各回のタイトルで頻繁に使われ、特に「帰ってきた」が平泉にでなく義経の鎌倉への無言の帰還を意味しているとわかった回(▶第20回「帰って来た義経」)は出色だったが、ドラマのタイトル自体もダブルミーニンだったとは誰が気づいていただろう。

 しかし政子は、あることに気づく。

「待って。どうして頼家が入っているの? だっておかしいじゃない、あの子は病で死んだとあなたが…」

 失敗に気づき、息を飲む義時。そして、政子は古畑が言いそうな一言を放つ。「駄目よ、嘘つきは自分のついた嘘を覚えておかないと…」

 『古畑任三郎』が「倒叙ミステリー」という手法で犯人視点での犯行をまず描き、それによって視聴者が犯人のミスに気づけないようにしたのと同じ手法(例えば、第2シリーズ「しゃべりすぎた男」)を、三谷幸喜は大胆にも大河ドラマに適用した。考えてみれば、犯行の暴露と古畑の勝利が決まっているのに犯人に共感してヒヤヒヤする『古畑任三郎』と、歴史が決まっているのにどうなるかハラハラする大河ドラマは構造そのものが似ている。

 そして「犯行」の犯人は頼朝であり、義時だ。頼朝は、伊藤祐親(浅野和之)を千鶴丸を殺害したかどで善児に殺させておきながら、表向きは自害として処理し義時に「伊藤祐親は意地を通したのだ。あっぱれなことよ」とまで言う(▶第11回「許されざる嘘」)。義時は頼朝の方法を受け継ぎ、頼朝の意にかなうように洗練していく。曽我兄弟の頼朝暗殺未遂の際、比奈の元を訪れてたまたま難を逃れていた頼朝の代わりに、兄弟は工藤祐経(坪倉由幸)を殺してしまう。しかし、義時の「これは、敵討ちを装った謀反ではなく、謀反を装った敵討ちでございます」と、まるで工藤を殺すことが真の目的であったかのように処理される。頼朝が「わしの治めるこの坂東で、謀反など起こるはずもない」と振舞いたいだけの目的で(▶第23回「狩りと獲物」)。義時は、こうして「ポストトゥルース」を生み出して現実を操作できるという状況に慣れきってしまい、自分が何を生み出していたか・誰がどこまで知っているのかを、政子との対話では一瞬忘れてしまっていた。政子は、そこを衝いたのだ。

 病に苦しむ義時は、「私にはまだやらねばならぬことがある。隠岐の上皇様の血を引く帝が、返り咲こうとしている。何とかしなくては」と言い、政子に毒消しを取るよう頼む。しかし息子である頼家の死に義時が関与していたことを聞かされ、まだ手を汚そうとしていることも知った政子は、薬を床に撒き、袖で拭う。烏帽子が脱げ、腹這いになって息絶えようとしている義時。赤い紐で髪を束ね縁側に横たわっている姿と形相は、明らかに、かつて頼朝によって御家人を恐怖で結束させる「足固め」のための捨て石にされ、義時に「政とは何か」を強烈に植え付けた、上総介の死にざまを反復している(▶第15回「足固めの儀式」)。

 政子は、泰時が「賢い八重さんの息子」であることを希望として語る。(八重が生きていた時は、元妻が頼朝の侍女として仕えたいとは何事か、と現在の妻として激怒していた(▶第9回「決戦前夜」)のだが、「時」が解決したのだろうか) 

「太郎は賢い子。頼朝様やあなたができなかったことをあの子は成し遂げてくれます。北条泰時を信じましょう。賢い八重さんの息子…」 

「確かにあれを見ていると…八重を…思い出すことが」

 八重は泰時の中に生きている。八重が川で溺れていた鶴丸を助けて三浦に預け、自らは命を落としたのだが、八重は鶴丸の中にも生きている。平盛綱となった鶴丸は、宇治川の戦いで矢を胸に受け命を落としたかに見えたが、「私はいつも誰かに守られているのです」と語り元気な姿を見せた。平盛綱としての鶴丸は、歴史上では内管領として執権体制を支えることになる。鶴丸は気づいていないにせよ、「誰か」とは八重である。「水遊び」という名目で善児が千鶴丸を連れ出して殺した初回の衝撃的なシーンから、『鎌倉殿の13人』では多くの幼子の命が犠牲になった。千鶴丸、入水した安徳天皇、一幡…(幼子とは言えないが、木曽義仲の子・義高や阿野時元、頼家・実朝・公暁も犠牲となった若者である)。彼らは、「歴史」という大河の濁流に呑み込まれて命を落としていった。しかし、鎌倉幕府の物語自体、平清盛が幼子の頼朝という芽を摘まなかったことで始まった。その終わりに、宇治川で鶴丸が死なずに生き残るのは、希望を与える結末である。

 そして政子も、義時に薬を与えないことで、幼い先帝の命を救う。それによって、義時に罪を重ねさせないようにするのが、姉の愛だと悟ったのだろう。義時は、奇しくものえが言ったように、「大好きな姉上様に看取ってもらい」生を終えることができる。

「姉上…あれを太郎に」

 最期の息で義時が指さすのは、小さな観音像。幽閉中の頼朝が大切にし、作り手の比企尼には「観音様は捨て申した」と言っていた(▶第24回「変わらぬ人」)のに、亡くなった頼朝の髻(もとどり)から出てきた(▶第26回「悲しむ前に」)、あの観音像。泰時は一度「父上が持っているべきなんだ」と言っていたが、義時は再度泰時に継承する。そこには、大きさは異なるもう一つの観音像、頼朝の代わりに取りに行った北条宗時(片岡愛之助)が命を落とす結果を生んでしまった観音像も重ねられている。時政からそちらの観音像を手渡された時(▶第6回「悪い知らせ」)、義時は宗時の言葉を思い出す。「坂東武者の世を作る。そして、そのてっぺんに北条が立つ」。鎌倉殿には頼朝から代々(偽物の)ドクロ(=力)が継承されたが、真に頼朝から義時が受け継ぎ泰時に継ごうとしたのは、この二体の観音像(=理念)の方だった。

「姉上…」と息を引き取ろうとする義時の顔つきは、あの頃の小四郎に戻っている。北条家のホームドラマとして始まった『鎌倉殿の13人』は、姉と弟のドラマとして終ろうとしている。ならば私たちも、政子とともにこう言おう。「ご苦労様でした、小四郎」。

4. 考察 『鎌倉殿の13人』は『太陽にほえろ!』である

(第4節は新年にアップします。)

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