うつ病の大変さ
うつ病になったことも、なった人に直に出会ったことも(多分)ないわけだが、うつ病の状態というのは大変だ。その状態に将棋棋士先崎学九段もなった。
この本ではうつ病になってから、先崎自身が回復していくまでを記している。先崎の文才によるところも大きいのだろうが、読むとうつ病というものがどんなものかよくわかる。なんとなくおかしいと気づき始める時期がまずあって、そこから最悪の状態の極悪期に移行する。先崎九段の場合は入院することで極悪期を脱して回復期に移行するが、そこでも波があって体調はよかったり、悪かったり、そのようなうつ病の波を繰り返しながら徐々に回復していって、やっと手記まで書けるようになる。現在は先崎学はプロ棋士として復活しているので、プロとして将棋で勝てるまで復活したということだ。ほええ、の一言である。
居場所があるという安心さ
印象に残っているのは、先崎九段が言われて嬉しかった言葉だ。
・・・よくうつの人には励ましなどプレッシャーをかけてはいけないといわれているが、頑張って元気になってくださいなどといわれても、私はなんとも感じなかった。落ち込んでないで頑張って気合いを入れろ、と強くいわれるがきついのであって、友人などに軽くいわれるのは全く傷つかないものだ。
もっとも嬉しいのは、みんな待ってますという一言だった。うつの人の見舞いに行く時はこの一言で十分である。
『うつ病九段』40頁
個人差はあるのかもしれないが、「頑張ってください」というのは良くないというのを聞いたことがある。すでに頑張っているからである。
しかし先崎九段は「俺だって頑張っているのに」とはならなかった。それは言われ方の問題(強く言われる)であって、何を言われるかが問題なのではないらしい。
それも驚きだったのだが、それよりも「みんな待ってます」が嬉しかったというのに妙に納得した。
うつ病というのはとにかくネガティブ思考になってしまうわけだが、ネガティブになると、この世界に自分の居場所はないと考えてしまうらしいのだ。先崎九段の場合、プロの将棋棋士であり、そこに自尊心もあったわけだが、それができなくなると、自身のアイデンティティーも失われてしまう。
逆に言えば、居場所はありますよ、まだあなたに価値がありますよ、というようなことを言ってもらえると安心する。帰る場所があるのだという気持ちになりホッとする。その言葉が「みんな待ってます」だったのだ。
これは、うつ病の人に限った話ではないのではないだろうかと思う。家にせよ、学校にせよ、職場にせよ、自分のポジションはここで、こういう役割があると周りから認められていれば、居心地の良い空間になるのではないだろうか。逆に、お前の居場所はありませんよ、と言われたり、逆にそう言われなくても自分で考えてしまうと、単純に生きるのに萎えてくる。
おそらく普通の人も無意識のうちにそれが支えとなって生きている。自覚していなくても、自分はこういうポジションで存在しているし、存在していいのだ、という肯定感によって生が支えられている。しかし先崎九段のように無限に否定的に考えることもできるわけで、生きるって難易度高めだななと改めて思った。

