概要
千葉雅也『現代思想入門』講談社現代新書、2022年。キャッチフレーズは「人生が変わる哲学」。
千葉雅也は現代の著名な哲学者兼小説家であり、著書にドゥルーズ研究の『動きすぎてはいけない』、それまでの論考をまとめた哲学論集『意味がない無意味』、芥川賞候補作『デッドライン』などがある。『現代思想入門』は2022年現在彼の最新作で、現代思想すなわちフランス現代思想(又の名をポスト構造主義)とよばれる思想潮流を解説した入門書となっている。
内容要約
全体は七章構成である。
はじめに「今なぜ現代思想か」では、現代思想の意義や現代での活かし方が概観される。
第一章から第三章では、ポスト構造主義の三人であるデリダ、ドゥルーズ、フーコーの思想が解説される。それぞれ思想の特徴が「概念の脱構築」「存在の脱構築」「社会の脱構築」と銘打たれ、入門の入門書らしく具体例も折り込みながら彼らの思想がわかりやすく解説される。
第四章から五章では、現代思想の前提と言われるニーチェ、フロイト、マルクス(現代思想の源流)やラカン、ルジャンドル(精神分析)の思想がどのように現代思想に影響を与えたのかが解説される。ニーチェ(ニヒリズムやルサンチマン、永劫回帰などの概念が有名)、フロイト、マルクスの斬新さはどれも無意識的なもの、カオスでよくわからないもの(デュオニソス的なもの)を安定的で理性的なアポロン的なものの下部構造としたことであり、このような安定よりもカオスに注目する見方をポスト構造主義は同一性よりも差異という形で引き継いでいる。精神分析は欠如の哲学であり、その哲学のうちに否定神学的なものを持ち込んでいる。ポスト構造主義からしてみれば、それは批判の対象である。このようにニーチェやフロイトのようなカオスを重視する見方を引き継ぎながら、20世紀前半に隆盛していた精神分析な見方に対抗しようというのが、ポスト構造主義なものだということが明らかにされる。
第六〜七章はポスト構造主義以後の話である。ポスト構造主義的見方の原則が示された後、ポスト・ポスト構造主義の哲学であるマラブーやメイヤスー、思弁的実在論の哲学が紹介される。彼らの哲学も本質はポスト構造主義と似ているが方向性が異なる。ポスト構造主義は同一性と差異の差異の方向性を肯定したのに対し、ポスト・ポスト構造主義は同一性の方向性を肯定する。これは差異が重要ではないということではなく、差異の思考を押し進めるためにもう一度同一性の方に注目してみるということである。
最後に付録「現代思想の読み方」も収録されている。
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考察・感想:フーコの「自己への配慮」の重要性
この現代思想入門は単なる入門書ではないし、単なる入門書の入門書でもない。著者の千葉氏の思想が前面に出ている生き方の指南書でもある。この本を読むとどうやってこの現代を生きたらよいのか、ということが問い詰められているような気がするのだ。
現代思想というのは逸脱を尊重する哲学であると同時に生き方なのだ。生き方に直結していかない哲学など哲学ではない、そのようなメッセージも伝えられているように思える。
その中でも千葉氏が最も推しているのがフーコーの「自己への配慮」という考えだと思う。フーコーは『性の歴史IV』で古代的な主体性、すなわち有限的な自己に回帰するのだが、それを最終章の第七章で再び取り上げ(第三章のフーコーの章でも取り上げられていた)、否定神学的システムから逃れる現代の処方箋として取り出すのである(否定神学の代表であるジジェクの否定性の思想はこららから)。
すなわち、謎のXを突き詰めず、生活のなかでタスクがひとつひとつ完了していくというそんなイメージの、淡々とした有限性です。
『現代思想入門』210頁
謎のXを突き詰めるというのは否定神学システムに取り込まれているということであり、人間が有限性を自覚してからそれが人間を闇へと墜れる一生付き纏われる暗黒であるのだが、古代人のあり方はそれを乗り越えるのだ。フーコーが示した古代的なあり方を、このような否定神学システムに取り込まれない新しい有限的主体と捉えるのである。そしてその有限性を肯定すること、否定神学的Xを目指すことなく、謎を謎のまま残しつつ、今ここの有限性に取り組むこと、この肯定性を受け入れるのである。
この提案は非常にラディカルで参考になる生き方だ。本書を読んでより問いを深めていきたい点も見つかったので、ここで少し考察していきたいと思う。
まずこの有限性についてである。これは、フーコーが近代的自我の先駆けとしてアウグスティヌスに発見したものである。フーコーによると、アウグスティヌスは原罪をある種の心の問題として捉え、それによって大括りの罪の意識「やってはいけないこと」という意識が生じた。つまり常に罪悪感を感じるという状態が生じ、ケースバイケースでなくなったのである。それが人間の個人化・心理化の先駆けであり、近代的自我、有限性につながっていくのである。
問い1。日本ではどうなのだろうか。罪の意識というのはキリスト教における原罪のことであるが、日本には文化的にそのような背景はない。罪というよりも、一般的に言われるのは(これはそうではないといわれることもあるが)、「恥」の文化であり、恥における個人化というのはどういうものか、という謎が持ち上がってくる。少なくとも、ヨーロッパ的な精神が本格的に入ってくるのは明治になってからであり、それも結局借りものである。日本における個人や主体とは伝統的に西洋とは異なる。この観点から、日本文化における自我や主体とは何かということについて、問い直した本を読んでみたい。ここらへんは『「甘え」の構造』で少し述べられている。
問い2。問い1と関連して、この近代的自我というのはヨーロッパ的なのではないかということである。つまり今の日本にそれほど浸透しているのかということである。宇野常寛『母性のディストピア』によれば、日本における戦後的成熟というのは、戦後のアメリカとの関係におけるねじれの中で「あえて」を演じることであった。いかにそれが矛盾していることわかっていても、パフォーマンスとして「あえて」憲法9条反対を唱え平和を唱えるのである。大きな文化的背景としては、否定神学的Xを求める主体は日本にはあまり浸透しなかったのではないか。
それでは現代はどうであろうか。千葉氏の本は生き方が変わる哲学だ。しかし、同一性と差異におけるこの同一性は果たして日本にあるのだろうか。それは「あえて」ではなかっただろうか。宇野常寛によれば、今に至ってはこの「あえて」さえないそうである。3分だけお時間をくださいとCMが叫んでいる。嫌である。すると同一性に苦しむ主体は、もちろん個体としては存在するが、文化論的にはいないのではないだろうか。この停滞した気分を生み出しているのは、感覚的に明らかにXを求めることではない。逆にXを求める人などいないことだ。千葉氏がいうように、同一性があるからこそ差異を強調する価値がある。同一性なき差異は純粋な散逸である。しかし、現代(の日本)はこの散逸に近い状況なのではないか。ここはさらに考察を発展させていかねばならないところだと思う。
おすすめ著作
格好のデリダ入門書:高橋哲哉『デリダ 脱構築と正義』
千葉氏によれば本書は「入門書の入門書」である。つまりステップアップとしては、ここから現代思想の哲学者の入門書にいくのが望ましいだろう。千葉氏も本書でどれがおすすめ・必読かについて述べているので、それに沿って紹介していきたいと思う。
デリダの入門書はこちらがおすすめ。高橋哲哉『デリダーー脱構築と正義』(講談社学術文庫)である。これは千葉氏がお勧めている入門書である。
ドゥルーズはまずはこれから:『ドゥルーズ・キーワード89』
ドゥルーズの入門書もいろいろあるが、まずは『ドゥルーズ・キーワード89』で気になる概念をみてみるのが良いだろうというのが千葉氏の考えである。そのあと代表的なドゥルーズ研究者の研究、檜垣立哉『ドゥルーズ 解けない問いを生きる』や國分功一郎『ドゥルーズの哲学原理』に進むと良い。
フーコーの入門書:『ミシェル・フーコー 自己から抜け出すための哲学』
千葉氏曰く「初期から後期までバランスよく説明されてい」(89頁)るとのこと。フーコーの著作はデリダやドゥルーズに比べると分かりやすいが、それでも難解な文体である。迷ったらこの入門書に行くのが良いだろう。
慎改康之『ミシェル・フーコー 自己から抜け出すための哲学』岩波新書、2019年。
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