くるり『奇跡』歌詞解説|どこへでもいけるよ|意味考察

くるり『奇跡』歌詞解説|どこへでもいけるよ|意味考察

概要

 「奇跡」は2011年に発表された日本のロックバンドくるりの24枚目のシングル。

 2011年に公開された是枝裕和監督の『奇跡』の主題歌。大鵬薬品工業「チオビタドリンク」のCMソングにもなっている。

 2000年代における三大「きせき」歌の一つ。ほかにスガシカオの『奇跡』(2005年)、GReeeeNの『キセキ』(2008年)がある。

 音楽はほかに米津玄師『地球儀』きゃりーぱみゅぱみゅ『きゃりーANAN』オフコース『秋の気配』オフコース『言葉にできない』オフコース『YES-YES-YES』ラサール石井『おいでよ亀有』和田光司『Butter-Fly』Chara『ミルク』などを解説している。

解説

瞬間を祝うスガシカオの『奇跡』、持続を尊ぶGReeeeNの『キセキ』

 2000年代に入ると、「きせき」を題材にした名曲が矢継ぎ早に発表された。スガシカオの『奇跡』(2005年)、GReeeeNの『キセキ』(2008年)、そしてくるりの『奇跡』(2011年)である。発表年度を見ればわかるように、それらはまるで計画されたかのように3年ごとに発表された。そしてこれまた申し合わせたかのように、それぞれが時代に呼応しながら、異なる方向性の「きせき」を描き出したのである。

 この三曲は「三大きせき歌」あるいは「我らが奇跡三部作」と呼ばれ親しまれている。ここでは大雑把ではあるがそれらの曲が何を表現したのかを確認しておこう。

 スガシカオの『奇跡』とGReeeeNの『キセキ』はどちらも野球に関係して制作された。前者は全国高校野球選手権大会のテーマソング、後者は高校野球を題材としたTBS系テレビドラマ『ROOKIES』の主題歌である。ところがこの二曲の「きせき」が表す方向性は真逆である。スガシカオの『奇跡』は、社会学者の宮台真司が提唱した「終わりなき日常」における、若者の感性を「奇跡」という単語に乗せて歌い上げた。従来の「奇跡」は起こり得ない、だが、そこに「終わりなき日常」の突破口があるとふんだのである。

 GReeeeNの『キセキ』はそれとは全く異なる。そもそも野球の曲ではなくて、君との運命を謳った恋愛歌である。スガシカオの『奇跡』が消えて無くなりそうな一瞬を謳ったとすれば、GReeeeNの『キセキ』は長い時間をかけた出会いと巡り合いを謳ったと言えるだろう。「キセキ」には「奇跡」と「軌跡」の二つが含意されいている。それぞれの人生(=軌跡)が巡り合い重なりあう、そして「何十年何百年何億年」と続いていく、それはまさに「それって奇跡」と言わざるを得ない。瞬間と持続、偶然と必然、それぞれに宿る「奇跡」を異なった観点で歌ったのがこの二曲なのだ。

考察

日常にあるささいな不幸と幸福

 ではくるりの『奇跡』はこれまでの二曲とどのように異なるのだろうか。

 くるりの『奇跡』の際立った特徴は、洗練された音と削ぎ落とされた短い歌詞、それにゆったりとした曲調にある。最小限に抑えられた音から始まるイントロと、壮大で余韻に浸れるアウトロも特筆すべきだろう。さらにアウトロが異常に長く、演奏時間は6分39秒とシングル曲の中では最長であることも加えておかなくてはならない。

 歌詞もこれまでの二曲と大きく違い、奇跡の予感や恋愛の高揚感などは一切歌われていない。むしろそこにある情景は日常の中の小さな幸せといったものである。

いつまでも そのままで
泣いたり 笑ったりできるように
曇りがちな その空を
一面晴れ間に できるように

 「奇跡」という題名とは裏腹になんと控えめな歌詞であろうか。「泣いたり笑ったり」が示すのは誰もが過ごす日常の姿であるが、それが「いつまでも そのままで」「できるように」とささやかに願うだけなのだ。まるでこの日常が何事もなく進みますように、といっているかのように。例えば、童謡の『世界中のこどもたちが』の歌詞にある「世界中のこどもたち いちどに笑ったら」と比較すると、この違いの大きさに驚くことだろう。この歌詞の対象は「世界」である。「世界中のこどもたち いちどに笑」うといった夢が実現することは、まさに「奇跡」という言葉に相応しい。翻って『奇跡』の歌詞はどう考えてみても「奇跡」には程遠い。

 これに「神様ほんの少しだけ 絵に描いたよう幸せを」が続く。これもかなり控えめで、何といっても「ほんの少しだけ」なのだ。しかも「分けてもらうその日までどうか涙を溜めておいて」が付け加わる。つまりいまは辛い日々が続いていて、「ほんの少し」の幸せを得るまで耐えていようと言う。ともあれここまでは神への願いでもあることから「奇跡」が主題になっている。だがここから先はコミュニケーションの難しさへと対象が移っていく。

言葉は転がり続け
想いの丈を通り越し
上手く伝わるどころか
掛け違いのボタン 困ったな

 ここで想定しているのはかなり親密な関係にある二人だろう。何かを伝えたい、だけど言葉は上滑りしてしまい、いつしか想いを超えていってしまう。そして真意が伝わることはなくて「困ったな」というわけだ。ここに悲壮感は微塵も感じられない。もはや従来から言われているような「奇跡」が歌われていないことは明白だろう。むしろもっと日常的でもっと身近な不幸と幸せがここにはある。

あぁいつもの君は
振り向いて笑う
溜め息混じりの
僕を許してね

 日常にある小さな不幸(=溜め息)も君は笑う。日常を生きる「君」と「僕」。そこには、笑いと溜め息が混ざり合っている。

奇跡は日常にある

 日本経済は1990年代初頭から低迷期を迎える。その発端となったのがバブル崩壊である。当初はすぐに戻るだろうとされていた日本経済は、10年、20年と経っても好景気には至らなかった。「失われた10年」と呼ばれいてた低迷期は、気付けば「失われた20年」と呼ばれるようになる。そして平成も終わりを告げ新元号の令和を迎えたころには、「失われた30年」となっていた。この長い長い低迷期はすっぽり平成を覆い尽くす。平成はまるまる失われた30年のことになってしまった。この30年にも続く薄暗い低迷期の始めのころの1995年、日本全土を震撼させた地下鉄サリン事件が起こる。繰り返しになるが、社会学者の宮台真司はこの低迷期を「終わりなき日常」と看破し、その微睡の中を楽しむ生き方を推奨した。宮台はオウム真理教に陥らずはたまた鬱にもならずに生きる処方箋を提供したのである。

 その延長線上に三大「きせき」歌がある。三年ごとにこれらの楽曲が発表されたのは偶然ではない。すべてを飲み込む「終わりなき日常」の微睡が、ここではないどこかを見せてくれる「奇跡」を希求したのだ。そして最初の二曲は日常を打破する「奇跡」を発見した。消え入りそうな瞬間の中に、あるいは、人生の軌跡の重なりの中に。

 だがこの不景気がよもや「失われた30年」となると、一体誰が予想できただろうか。スガシカオの『奇跡』の歌詞には、薄切れて寂れた風景が描写される。「やけたロードショウのポスター」や「昼間のマンガ喫茶の薄いジュース」など。如何にも気怠い感じが「終わりなき日常」を見事に言い表している。だがその描写をくるりの『奇跡』の中に見つけることはもはやできない。「失われた30年」へと突き進むことが決定した2011年、「終わりなき日常」もその外部の「奇跡」も、単なる「日常」へと回収されてしまった。「終わりなき日常」が奇異にすら感じられないくらいに、「日常」がすべてを飲み込んだのである。「終わりなき日常」すらも「日常」となった「日常」の最果てにおいて、「奇跡」は「日常」を突き破るものとして想像することすらできない。そのような「奇跡」の試みは、20年間も我々を裏切り続けてきたのだ。その先では「消えてしま」いそうな奇跡の予感すらも感じることができない。否。感じると想像することすらできなくなったのだ。「退屈な毎日も 当然のように過ぎてゆく」は、そのことを如実に言い表している。

 この地点、「日常」の最果てにおいて、平凡を綴った歌詞が輝きだす。「曇りがちなその空を一面晴れ間にできる」こと、「いつまでも」「泣いたり笑ったりできる」こと、あまりに当然視されていたそれらの日常は、ささやかで温かい不可視の「奇跡」である。これまで直視することなく過ごしてきたこの日常こそが「奇跡」なのだ。それは瞬間の奇跡でも、持続の奇跡でもない。「気づかないような隙間に咲いた花」に、「来年も会いましょう」と呼びかける、そのようなありふれた日常に奇跡はある。

 だから言う。「さぁここへおいでよ 何もないけれど」、と。何もない、だけど、おいで。何故か?この日常なら、そしてここに奇跡があると理解したならば、「どこへでも行ける」からだ。この曲が発表された9年前の2002年、くるりは9枚目のシングル『ワールズエンド・スーパーノヴァ』を世に送り出した。その歌詞の最後はこう書かれている。「どこまでもゆける」。『奇跡』の歌詞の最後の「どこへでも行ける」が、この応答であることは間違いない。「どこまでもゆける」と夢想した00年代の初頭から約10年経ったいま、我々は「どこまでもゆける」と勘違いすることはもはやできない。「終わりなき日常」を「奇跡」によって突き破り、どこまでも進んでいくという試みは全て失敗したからだ。だがそのことを悲観する必要は何もない。どこまでも行けないと悟ったとき、外部への欲望こそが永遠に到達できない虚像であると知ったとき、内部にあるつまらない日常が「奇跡」にあふれ輝きだす。「どこまでも行ける」?どこまでも行かなくていい。「どこへでも行ける」?そう、この地点からならば。その当たり前の事実を直視したとき、奇跡に溢れた日常で我々は「少し身悶える」だろう。

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