心理を操る技法について『羊たちの沈黙』

心理を操る技法について『羊たちの沈黙』

概要

 『羊たちの沈黙』は、1991年に公開されたアメリカのサイコホラー映画。監督はジョナサン・デミ。原作はトマス・ハリスの同名小説。次作は『ハンニバル』。

 第64回アカデミー賞で主要5部門を受賞。2011年にはアメリカ国立フィルム登録簿に新規登録。

 連続殺人事件を追う女性FBI訓練生と、彼女にアドバイスを与える猟奇殺人犯で元精神科医との奇妙な交流を描く。

 映画はほかに『マイノリティ・リポート』『ファイト・クラブ』『アイズ ワイドシャット』『ミスト』などがある。

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登場人物・キャスト

クラリス・スターリング(ジョディ・フォスター):FBI訓練生。将来有望で期待されている。
(他の出演作:『タクシードライバー』)

ハンニバル・レクター(アンソニー・ホプキンス):精神病院に収監されている天才的な精神科医。
(他の出演作:『ジョー・ブラックをよろしく』、『ミッション:インポッシブル2』)

ジャック・クロフォード主任捜査官(スコット・グレン):行動科学課の主任で、クラリスの上司

バッファロー・ビル(テッド・レヴィン):巷を騒がせている連続殺人鬼。女性の皮を剥いでいる。

フレデリック・チルトン医師(アンソニー・ヒールド):精神病院の院長。クラリスがレクターに面会する際に色々と説明をした。

名言

レクター:そう、クラリス、子羊たちの悲鳴は止まったかい?

レクター:もっと長く話していたいが、古い友人と夕食なものでね

あらすじ・ネタバレ・内容

 カンザスシティを皮切りに、アメリカ各地で若い女性を標的とした連続猟奇殺人事件が相次いで発生する。川に投棄された遺体はいずれも皮膚を剥ぎ取られており、犯人はその手口から「バッファロー・ビル」と呼ばれていた。

 FBIアカデミーの訓練生であるクラリス・スターリングは、バージニアでの実習中に、行動科学課(BSU)のクロフォード主任捜査官に呼び出される。

 クロフォードは事件解明のため、拘束中の凶悪犯たちの心理分析を進めていたが、かつて精神科医であり、自らも連続殺人を犯した囚人ハンニバル・レクターは、FBIへの協力を拒んでいた。そこでクラリスは、クロフォードの代役として助言を得るべく、レクターが収容されているボルティモア州立精神病院を訪ねることになる。

 レクターはクラリスに強い関心を示し、冷たく突き放す態度を取りながらも、協力をほのめかす。レクターやクロフォードの老獪さと底知れぬ存在感、さらに殺人事件に関わる緊張の中で、クラリスは自ら封じ込めてきた過去の記憶を引き出されていく。

 心理的に揺さぶられた末、クラリスは、保安官だった父の突然の死や、引き取られた牧羊家の叔父の家で子羊が屠殺される光景を目撃し、衝動的に助け出そうとした幼少期の体験を語る。夜明けとともに訪れる死を前にしても動かない羊たちと、どれほど必死にもがいても救えなかった恐怖は、施設で育ち大人になった今も、彼女の心に深く刻まれていた。

 その頃、新たに上院議員の娘がバッファロー・ビルに誘拐される事件が起きる。精神病院の院長チルトンは、自身の名声と昇進を狙い、レクターを上院議員に売り込む。

 母親である議員は、捜査協力の見返りとして、レクターを警備の緩い刑務所へ移送することを約束するが、レクターは移送中の隙を突いて警察官や救急隊員を殺害し、脱獄に成功する。

 一方クラリスは、レクターが残した数々の示唆を手がかりに被害者の足取りを追う中で、犯人と最初の犠牲者が面識を持っていた可能性に気づく。クロフォードたちも真犯人を突き止め自宅へ踏み込むが、そこはすでに空き家だった。

 最初の被害者の関係先を調べるクラリスは、ある家を訪ねるが、現れたのは高齢女性ではなく、その知人だという若い男だった。暗い室内で裁縫道具やメンガタスズメを目にしたクラリスは、彼こそが犠牲者の皮膚を使って自己変容を目論むバッファロー・ビルだと確信する。

 男は地下室へ逃げ込み、クラリスは人質殺害の時期が迫っていることから規則を破り、単独で地下室に踏み込む。暗闇の中で恐怖に翻弄されながらも、間一髪で犯人を射殺し、人質を無事救出する。

 事件は解決し、クラリスは同期生とともに正式なFBI捜査官となり、祝賀会に出席する。その最中、国外へ逃亡したレクターから彼女のもとに電話がかかってくる。

 声を潜めて応答するクラリスに、レクターは「子羊たちの鳴き声は消えたか」と問いかけ、事件解決と捜査官就任を祝福する。そして「今夜は古い友人を夕食に招いている」という言葉でチルトン殺害を示唆し、通話を終える。ちょうど空港に降り立った彼は、人混みの中へと姿を消していく。

解説

アカデミー賞で主要5部門を受賞

 アカデミー賞で主要5部門を受賞している映画は、2026年現在でたったの三作品しかない。『或る夜の出来事』、『カッコーの巣の上で』、そして『羊たちの沈黙』である。この中でも『羊たちの沈黙』は唯一のホラー映画である。本作がアカデミー賞の長い歴史の中でも、特別なものであることがここからも分かるだろう。

 ちなみに主要5部門とは、作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞、脚本賞のことである。レクターとクラリスの間にある緊張感や物語展開の意外性から作品賞の受賞は妥当であるし、ジョディ・フォスターとアンソニー・ホプキンスの演技が凄まじいので、主演男優賞と主演女優賞のダブル受賞も文句なしである。

 アンソニー・ホプキンスの演技もさることながら、ハンニバル・レクターというキャラクター自体に並々ならぬ魅力がある。そのため『ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密』にグリンデルバルト役で登場したマッツ・ミケルセンが演じるレクターを主人公としたドラマ『ハンニバル』が制作された。マッツ・ミケルセンとは違いホプキンスのレクターは、中年、太っちょ、禿頭で一見すると脇役以下の見た目である。悪役といえばたとえば『3時10分、決断の時』のダンとか『ブレードランナー』のロイといった力強くかっこいいキャラが相応しい。だがレクターには他にはない力がある。初登場時から刑務所に収監されている彼は、監獄の中にいながら檻の外にいる人間の生死を操ることができるのだ。実際、クラリスに失礼を犯したというだけで、刑務所でお隣にいた犯罪者を言葉だけで死に追いやることに成功した。

 相手の心理をよみ精神を掌握する力、これがレクターの力です。相手のトラウマを見抜きそれを抉る。決して物理的な力は必要ないのである。

考察

二重の関係性

 「羊たちの沈黙」とは何か。それはクラリスの回想で明らかになる。保安官の父を亡くしたクラリスは、引き取られた牧羊家の叔父の家で殺されそうになった羊を逃がそうとするが、叔父にバレてしまい羊は殺されてしまう。殺される前に泣き叫ぶ羊たち、クラリスにとってはこの光景がトラウマになっていた。

レクター:そう、クラリス、子羊たちの悲鳴は止まったかい?

したがって物語の終盤にあるクラリスに対するレクターのこの問いかけは、トラウマを克服できたのかという意味となる。

 クラリスとレクターの関係はとても歪である。クラリスは警官でレクターは犯罪者、クラリスは追いレクターは逃げるのだが、逆にクラリスはレクターに教えを乞う者でもある。他の犯罪の手がかりをレクターに持っていき助言を得る。レクターはいつでもクラリスを無視できるがゆえに、彼女は立場が低い。さらに、上記の引用からも分かるように、レクターは彼女を気にかけトラウマを治し生き方を教える父のような存在でもある。

 この関係は映画『ジョー・ブラックをよろしく』でアンソニー・ホプキンス演じるビルとブラッド・ピット演じるジョーと似ているかもしれない。ビルは現世に来た死神ジョーに生死を握られているが、逆にジョーはビルに生き方を教わるのである。

初対面での演出

 レクターの巧みさを理解するためにクラリスと出会う場面に注目してみよう。

 監獄の中にいるレクター、その前にある椅子へと向かうクラリス。レクターは静止し、クラリスは動く。そこでレクターは身分証明書は?と問いかける。それに応えるように身分証明書を取り出るクラリスに、見えるように近づくよう指示する。このわずか数十秒の間、クラリスはレクターに従うのみである。そして差し出された身分証明書には目もくれずクラリスをじっと見て、匂いについて言及する。ここでレクターがクラリスに伝えようとしていることは、与えてくれる情報はどうでもよくて、クラリス本人に興味があるということだ。その後クラリスを椅子に座らせることで、指示するー従うの関係に加えて、上下の関係にもなったのである。

 レクターは追われるだけでなくクラリスを導く者である。本作の魅力であるレクターのクラリスの二重の関係性は、どのように生まれ、違和感なく視聴者に認められたのか。実はこの初対面に巧みな演出が隠されていたのである。

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