概要
「幸福な王子」は、1888年に刊行されたアイルランドの作家オスカー・ワイルドの子供向け短編小説。「幸福の王子」と訳されることもある。
教科書に掲載されている。平易でありながら詩的な格調の高い文体で、ワイルドの小説・戯曲の中で最も有名な作品の一つである。
町に建つ自我を持つ幸福の王子の像と、王子の望みで彼の宝石を苦労や悲しみにくれる人々に渡すつばめの、博愛と自己犠牲の物語。
教科書に採用された小説はほかに魯迅『故郷』、ヘルマン・ヘッセ「少年の日の思い出」、中島敦「山月記」、夏目漱石『こころ』「夢十夜 第一夜」、梶井基次郎「檸檬」、デフォー『ロビンソン・クルーソー』などがある。
また「海外小説のおすすめ有名文学」と「イギリス文学のおすすめ小説」で、おすすめの小説を紹介している。
登場人物
幸福な王子:町の円柱の上に建てられた像。かつてはサンスーシ宮殿(無憂宮)で生活し幸福だったが、像になってからは高いところから町の惨めさと醜さが見えてしまい泣くようになった。つばめに頼んで身につけている装飾品や宝石を、苦労や悲しみの中にいる人々に運んでもらう。
つばめ:葦に恋をしたためにエジプトに向かった仲間たちに取り残される。寝床を探すうちに幸福な王子と出会い、彼の願いを聞き入れ、宝石などを悲しみのうちにある人々に運ぶ。
葦:つばめが恋した相手。
市長:金箔の剥がれた像をみて取り壊しを決定する。
名言
わたしの心臓は鉛でできてはいるが、それでもわたしは泣かずにはいられないのだ(p.12)
でも、わたしのくちびるにキスしなさい、わたしはお前を愛しているのだから(p.23)
あらすじ・ストーリー・内容
ある街の空高く、丸い円柱の上に、「幸福な王子」と呼ばれる像が建っていた。この像の両目には青いサファイア、刀の柄には真っ赤なルビーが輝き、体全体は金箔で覆われ、心臓は鉛でできていた。幸福な王子は街にいる人々の称賛の的で、市長は「風見の鳥みたいに美しい」と絶賛し、ものわかりのよい母親は子供に向かって「なぜ幸福な王子さまみたいになれないの?」と叱った。
ある夜、小さなつばめが街の上空を飛んでいた。つばめはの仲間たちは6週間前にエジプトに向かったのだが、彼は葦に恋をしていたためにあとに残っていた。つばめは葦に求愛するも聞き入れてもらえず、結局「おもちゃにしていたんだね」と怒って飛び出し、1日かけてこの街についたのだった。
寝床を探して王子の足元に降り立つと、幸福の王子から大粒の涙が降ってきた。彼は元々この国で幸せな生涯を送った人物で、記念として建てられた像に魂が宿っているのだった。生前は屋敷に住んでいて幸せだったのだが、像になって高いところから街を見下ろすと、無数の不幸な人々が目に入り悲しみに暮れていた。
王子はつばめに、剣の柄にあるルビーを病気の子供に届けるよう頼んだ。つばめはエジプトに向かわなくてはならなかったが、王子の頼みを受け入れ、病気の子供にルビーを運んだ。続いて、片目のサファイアを飢えた若い劇作家に、もう片方をマッチ売りの幼い少女に持っていくように頼む。つばめは王子の目が見えなくなることを心配するが、王子は頑なに渡すことを望む。
両眼を失った王子のために、つばめはエジプトに渡ることを断念し、王子と共に過ごすことを決意する。つばめはこれまでに見てきた異国の話を聞かせてあげる。すると王子は、街にいる悲惨なものたちを助けるために、体の金箔を与えてくるよう頼む。
やがて冬が訪れ、王子は灰色の体になり、エジプトに渡り損ねたつばめは衰弱していた。つばめは最後の力を振り絞り、王子にキスをして、彼の足元で力尽きる。その瞬間、王子の鉛の心臓は真っ二つに割れてしまう。輝きを失った王子は柱から下され、溶鉱炉で溶かされる。溶かすことのできなかった鉛の心臓は、つばめと一緒に塵の山に捨てられた。
天国では神様が天使に向かって、「町じゅうでいちばん貴いものをふたつ持ってきなさい」と命じる。天使は王子の鉛の心臓と死んだつばめを持ってきた。神は天使の選択を正しいと褒めた。そして王子とつばめは、天国の神の庭で永遠に幸せになった。
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解説
伝えたいことは、キリスト教的な救済
「幸福な王子」は、オスカー・ワイルドの子供向け短編小説である。悲しみの中にいる町の人々に自らの装飾品を与える幸福な王子の像と、王子を気遣いながらも献身的に役割を果たすつばめの、博愛と自己犠牲の尊さが描かれる。
本書のテーマは、キリスト教における「救済」。宝石や金箔などを身に纏う幸福な王子と協力者のつばめは、貧しき者に富を与えることで、現世では朽ち果てるが神の国に迎え入れられ救済される。彼らは献身的な自己犠牲をすることで、苦しみのなかにある人々を救うだけでなく、自らも神によって救われる。
だが、この作品はそれだけのテーマに収まる作品ではない。オスカー・ワイルドは社会風刺に長けた作家でもある。実際この作品でも、市長や数学の教師が幸福の王子の像に言及したり、貧困や苦しみの中にいる者たちがいる一方で宮殿で衣装を待つ金持ちの少女が登場したりする。本書の伝えたいことは、「救済」に加えて、貧困や悪徳、美学の複合的な問題である。
リアリズムとファンタジーの入り混じった構造
本書は、鳥と幸福な王子の像の友情を描くファンタジーである。両者は奇妙な友情で結ばれ、人間に善行を施す。
幸福な王子の像は「物」でありながら、生前の裕福で幸福な記憶を保持している点は注意すべきであろう。王子は生前の自分のような境遇のものたちではなく、そこからは見えなかった貧困者に目を向けている。
ところで、この作品には、ファンタジーの要素だけでなく、リアリズムの要素が混ざり合っている。つばめが幸福な王子と会話をするのは勿論ファンタジーの領域である。だがその前後にある、市長と市議会議員の駆け引きや、数学者と子供たちの天使に関する会話は、リアリズムの領域にある。冒頭と終盤にあるリアリズムに囲まれるファンタジーという構成は、最後に登場する神と天使の会話を効果的にしている。すなわち、王子とつばめの会話というファンタジーを介することで、神の国(ファンタジー)の救済というモチーフがより現実味を帯びているのだ。
このリアリズムとファンタジーの橋渡しをするのが、葦というアンヴィバレントな存在である。つばめは葦に恋をして、仲間たちがエジプトに向かってなおあとに残り求愛を続ける。葦はつばめの「あなたを好きになってもかまわない?」(p.9)の問いに首を垂れるが、「ぼくといっしょに出かけない?」(p.10)の問いには頭を横に振る。つばめは「きみはぼくをおもちゃにしてたんだね」(p.10)と叫び飛び立ってしまう。この冒頭に挿入された葦とのやりとりで重要なことは、葦が発言していないこと、言い換えれば、リアリズムの側にいるかもしれないということである。
「話もしてくれないし、それに、なんだか男たらしみたいだな、いつも風とふざけあってるから」。たしかに、風の吹くたびに、葦はこの上なくしとやかなお辞儀をしたのです。(p.10)
ここからも分かるように、葦はつばめの問いに意思をもって応えたのではなく、風にゆられて返事をしたかのようにみえているだけの可能性がある。葦はつばめを「おもちゃにし」たのではなく、つばめが葦が会話できる者だと勝手に思い込んでいただけかもしれないのだ。葦の両犠牲はリアリズムとファンタジーの架け橋であるだけでなく、存在自体がリアリズムとファンタジーの中間に位置していることから生じている。
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考察・感想
壁の中にある偽りの幸福と壁の外にある醜さとみじめさ
リアリズムからファンタジーに物語が移行しても、リアリズムの視点がファンタジーの影から見え隠れする。病気を抱えた男の子を育てる貧しい針子、寒さに震えながら戯曲を書く青年、親に虐待されるマッチ売りの女の子、貧困と寒さに苦しむそれらの人々は、生前の王子には認識することのできなかった社会の現実である。
また悲壮のうちにあるこれらの人々は、対極に位置する、宮殿で衣装を待つ女の子、戯曲を書かせる劇場の支配人、女の子を打つ父親の存在をほのめかす。特に、宮殿の女の子は生前の幸福な王子と同等の存在である。恋人は女の子に「愛の力はなんとすばらしいことでしょう!」と呟き、女の子は衣装が間に合うかを心配したのちに「お針子なんて、とても怠け者ですものね」(p.15)と不平を漏らす。勿論彼/女らが認識しないものは、宮中の外にある貧困と苦痛である。そして宮中における「愛の力」や「幸福」(p.12)とは、「壁のむこうに」(p.12)ある悲壮を隠蔽して初めて現れる偽りの空っぽの感情である。
だが、町の柱の上に建てられた幸福な王子は、「壁のむこうに」あるものを認識せずにはいられない。彼はいまや「町の醜さとみじめさがすっかりみえてしま」い、「わたしの心臓は鉛でできてはいるが、それでもわたしは泣かずにはいられないのだ」(p.12)。塀の内側で幸福に生きた王子は、死後、鉛の心臓を持った幸福な王子という名の像に生まれ変わる。そして自己犠牲ののちに生を終えたとき、ようやく神の国に迎え入れられる。
幸福な王子の像にとって生涯を終えるということは鉛の心臓が真っ二つになることを意味する。心臓が割れるのは、つばめが最後の力を振り絞り王子にキスをしたあとで、これは『白雪姫』や『眠れる森の美女』と現象は真逆だが同じモチーフである。つまり、キスをした対象が目覚める『白雪姫』や『眠れる森の美女』とは反対に、「幸福な王子」ではキスをすることで幸福な王子は真の眠りにつくことになる。
王子との同性愛、葦との異性愛
何故つばめのキスが王子を救済へと導くのか。それを紐解くためにここでも鍵となるのが葦である。
つばめは葦の元を去る前、「なるほど、出ぎらいな女だ、しかしぼくは旅が好きなんだから、ぼくの妻たるものも、旅が好きでなくてはいけない」(p.10)と発言しているが、このことは極めて重要である。何故ならこのあとつばめが一生を添い遂げる幸福の王子も、その場所から動くことのできない「出ぎらいな」存在だからだ。動けないという意味において、葦と王子は同等の存在ということになる。しかしながら、つばめが王子を救済すると同時に、葦ではなく王子だけがつばめを救済できる。
前述したように、実は葦は喋ってはいない。それにも関わらず、葦は「男たらし」の「女」(p.10)と断定される。フェミニズムの観点から読み解けば、喋ることができず風に吹かれるだけの受動的な存在として葦が描かれるのは、女性の抑圧ともいえる。だが注目すべきはむしろその後に登場する王子=男のほうである。女として描かれた葦に翻弄され「おもちゃ」にされたつばめは、男として描かれる王子に一生を捧げる。この観点から、同性愛者であるオスカー・ワイルドの長編『ドリアングレイの肖像』同様、「幸福な王子」も同性愛文学として読みうる。
つばめの王子に対する愛は、葦に対するものと質的に異なる。つばめは「葦に恋をし」求愛を「夏のあいだじゅうずっと続」(p.9)けているが、王子に対してはそのような行為をしていない。だがつばめは「王子を愛してい」(p.23)て、より高位な愛の行為を行なっている。それはつばめが渡り鳥でありながら、王子のもとに居続けたという点だ。動けないという意味において同等である葦と王子とは反対に、つばめは生きるために動くことを義務付けられている。だからこそ葦に葛藤を覚えたつばめは、「ぼくの妻たるものも、旅が好きでなくてはいけない」と迫るのだが、王子に対しては自らの性質を裏切ってまで共にいようとする。つまり、葦に対しては自らの性質に合わせることを求めるが、王子に対しては相手の性質に合わせているのだ。
ここに王子のとは違う、もう一つの自己犠牲がある。葦は愛のために自らの性質を裏切るのだ。相手に要求する異性愛的な愛から、相手に寄り添う同性愛的な愛へ。そしてこれは王子とて同じ気持ちなのだ。「お手にキスさせてくださいませんか?」(p.23)と伺うつばめに、王子は「でも、わたしのくちびるにキスしなさい、わたしはお前を愛しているのだから」と言う。ここに隠れた二人の愛が実ったのだ。金を纏った王子が存在を保証してくれる装飾品を与えるという自己犠牲、生きるために動くことが必要なつばめが王子のためにそばに居続けるという自己犠牲、そして同性愛の達成。この三つの愛の実践の奇跡的な融合が、神の国へと道を開いたのである。
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参考文献
オスカー・ワイルド『幸福な王子』西村孝治訳、新潮文庫、2003年