『記憶にございません!』考察|しがらみのない国会運営|あらすじネタバレ感想・伝えたいこと解説|三谷幸喜

『記憶にございません!』考察|しがらみのない国会運営|あらすじネタバレ感想・伝えたいこと解説|三谷幸喜

概要

 『記憶にございません!』は、2019年に公開された日本のコメディー映画。監督三谷幸喜。出演は中井貴一。

 フジテレビ開局60周年記念作品。第43回日本アカデミー賞で優秀主演男優賞を受賞した。

 憲政史上最悪の内閣支持率を記憶した黒田が一般人の投げた石によって記憶喪失になったことで、政治の闇に切り込み国民のための政治を行うようになる物語。

 映画は他に『怒り』、『告白』、『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』、『パンチドランク・ラブ』などがある。

登場人物・キャスト

黒田啓介(中井貴一):第127代内閣総理大臣。憲政史上最悪となる内閣支持率2.3%を記録する。演説中に頭に石が当たり記憶障害を起こし、政治家になってからの記憶がなくなる。

井坂(ディーン・フジオカ):首相秘書官。優秀な秘書で、黒田を補佐する。自分より間抜けな黒田の全てを奪うために、聡子と不倫をしている。

黒田聡子(石田ゆり子):啓介の妻。秘書官の井坂と不倫をしている。

番場のぞみ(小池栄子):事務秘書官。黒田を力強くサポートする。
(他の出演作:『鎌倉殿の13人』)

寿賀(斉藤由貴):首相官邸料理人。黒田にも物おじしない。

鶴丸大悟(草刈正雄):内閣官房長官。日本ゴルフ協会の名誉会長。国民の人気が高く、10年間も官房長官を務めている。政界で最も権力を持っていて、大臣や総理の進退を裏で操作する。

古郡祐(佐藤浩市):フリーの記者。過去は魂のある政治記者だったが、今は金だけで動く。
(他の出演作:『誰も守ってくれない』)

名言

黒田:あらゆる意味で総理大臣は憧れでないといけない

あらすじ・ネタバレ

 ある日、病院のベッドで目覚めたある男性は、自分の記憶がないことに驚く。事情がわからないまま、病院を抜け出しラーメン屋に入ると、テレビに自分が映っていた。どうやら自分は内閣総理大臣の黒田啓介で、演説中に一般人から投げられた石に当たり記憶障害を起こしていた。しかも自分は強権的な態度から、憲政史上最悪の2.3%の支持率で、国民の大半から嫌われていた。

 ラーメン屋にから出ると、秘書たちが総理を迎えに来ていて官邸に戻された。総理の記憶喪失は秘書を含め僅かな人にしか明かされず、最高機密として扱われる。政治家になってからの記憶は一切無くなってしまったので、政権運営もままならず、また家族との仲も理由もわからないまま最悪になっていた。

 しかし国民に対する誠意ある行動を見て、事務秘書官の馬場や恩師がサポートしてくれる。さらに元ジャーナリストの古郡も味方につけ、政界のドンである鶴丸を失脚させようと奮闘する。

 そんな中、アメリカの大統領が来日し、日米首脳会談が始まる。接待ゴルフや手料理を振る舞うなどして和やかに会談が進むが、アメリカンチェリーの関税をめぐって黒田は強気に出る。しかしそれに好感を持った大統領は、記者会見でその旨を発信し、対等な外交関係を結ぶことを約束する。

 そして黒田は、あるスクープ写真を入手することで鶴丸を失脚させることに成功する。最後には黒田は妻である聡子に、国会答弁中に帰ってきてくれとカメラに向かって発言し、それを聞き入れた聡子とヨリを戻す。それでも支持率は上がらなかったが、これからもしがらみのない国会運営をしていこうと決意するのだった。

解説

記憶も記録もございません

 国会答弁における魔法の言葉「記憶にない」。この言葉が国会で最初に使われたのは、1976年に起きたロッキード事件に関する証人喚問の時であった。呼び出されたのは国際興業グループ創業者の小佐野賢治。小佐野はこのとき何度も「記憶にございません」と発言した(読売新聞オンライン)。便利で卑劣なこの言葉は、この年の流行語になり、これ以降国会答弁で頻出することになる。

 この言葉を発言しておくことで、様々な批判を掻い潜ることができた。まずこれは「無言じゃわかりませんよ!?」「何か言ったらどうですか!?」といった批判を原理的に封じた。「記憶にございません」が実質として何も言っていないことは百も承知で、「だから、記憶にないのです!」と言い返せるのである。第二に嘘をつく必要が無くなった。虚偽答弁をするとのちに嘘がばれた場合、国民の信頼も失うし立場も危うくなる。だが「記憶にございません」と言っておけば、どのような新事実が発覚したところで嘘をついたことにはならない。数億円規模の賄賂、天下りに横領など、裏での取引の醜悪さが世に明かされたとしても、答弁をしたその瞬間「記憶にない」ことは嘘にはならない。「いや、だからああなた賄賂受け取ってたんでしょ!?」「いえ、そのようなことは、記憶にございませんでした」。そして、この言葉の利用者にとって最大の利点は、他人には誰であっても心のうちを読み取れないため、「記憶にない」ことを絶対に実証できないという点にある。「本当は知ってるんでしょ?」「記憶にございません」「「記憶にない」っていってたけど嘘だったんでしょ?」「「記憶にございません」と言ったことを「記憶にございません」」。

 記憶にないなら、仕方がない、だって記憶にないんだから。この堂々巡りの不毛な蟻地獄に落とす最悪の言葉「記憶にございません」が、嘘であることは誰でも知っているし、言うまでもなく本人が一番よく分かっている。誰でもいつでも「記憶にない」と言えるから、「記録」が必要なのだ。だが「記録」があっても「記憶にない」と答弁する、厚顔無恥のとんでもない奴もいる。その時、この言葉を発した者が失うものは何か。それはおそらく、『ハリー・ポッター死の秘宝part2』で明かされたヴォルデモートの秘密のように、魂の一部なのだ。「記憶にございません」が(本人も含めて)誰にとっても嘘であるとき、この言葉は奇妙な軽さを帯びて身体はユラユラと浮遊し始め、議論は空転しながら魂は次第に分裂する。ダンブルドア先生の言葉を借りてこう言おう。そこにいるのは「わしらには救えぬものじゃ」。

考察・感想

目的は政界に残り続けること

 憲政史上最悪の内閣総理大臣である黒田啓介は、内閣支持率2.3%という前代未聞の数字を叩き出していた。凶暴で強欲、大衆の気持ちを慮ることなく、身内や親しい者の意見だけを聞いて政治を強引に進めていく。2.3%もいることのほうが驚きという向きもあるかもしれないが、実際、演説中に石を投げつけられて頭に怪我を負うのだから革命前夜と言っても差し支えない。ニュースキャスターですらかなり厳しめのコメントで黒田を牽制する。

 公開当時の総理大臣は安倍晋三で、黒田とそこまで似ていないのが、国政の内部のいざこざを面白おかしく風刺している。政界で最も権力を持つのはトップの黒田ではなく、内閣官房長官の鶴丸大悟。総理大臣が5回も変わる中、彼一人が内閣官房長官の職を10年間続けていた。10年も権力を持ち続ければ、いずれ凝り固まり腐敗する。もはや鶴丸の承認無くしては、総理になることも大臣を続けることもままならない。「政界に残り続けることだよ」は、鶴丸だけでなく彼に擦り寄る国会議員の全ての人の本質を言い当てている。夢も理想もない、あるのはこの業界に残り続けること。残ることを自己目的化したら、良い政治ができるはずがない(岸田文雄を見よ)。こうしたい、こうあるべき、という理想と共に政治はあるべきなのだ。

 強権的な黒田は頭に石が当たって記憶障害を起こすことで、一転して物腰の柔らかい国民に寄り添う総理になる。そんな黒田を演じるのは中井貴一。記憶障害になってからの黒田の様子は、『パパとムスメの7日間』の舘ひろしが演じる恭一郎を想起させる。つまり黒田は記憶をなくしただけで、何故か女性化(?)する。そしてコケた記者や石をぶつけた大工に、「聞く力」を発揮するのである。

記憶がないの突破力

 議論を空洞化させあらゆる批判や追及を無力化する「記憶にございません」という最悪の言葉は、しかし、しがらみを打ち破る魔法の言葉でもある。「記憶にございません」とは、過去の因縁や義理から解放されたことをも意味する。記憶にないから政治ができないのではない、しがらみと私利私欲しかない政界では、記憶にないからこそ新たな活路を見出せるのだ。黒田は政治を改善するために、標的を鶴丸に決める。

 他の出来事は、風刺が効き人情にあふれていて、おもしろく観た。アメリカ大統領が買わせようとするアメリカンチェリーを跳ね除けたらそれこそが対等な外交だと良好な関係を築けたり、黒田を売ったフリーの記者が最後には元新聞記者の魂を見せつけたり。こうなったらいいのかもしれない、と思う。

 ただ、『THE 有頂天ホテル』(2006年)や『ザ・マジックアワー』(2008年)などの過去の作品の方が面白い。アイデアもありきたりという感もあり、笑いどころもメリハリがない。少しずつ信頼できる仲間を作って、秘書とわずかな協力者の少数先鋭で鶴丸を倒す。それはいい。けどそこには、闘志はあれど理想はない。結局黒田の理想は明かされず、人の話を聞く善き人になっていく。それはこれまでの政治とどれくらい違うと言えるだろうか。

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