印象批評とは何か|意味をわかりやすく徹底解説

印象批評とは何か|意味をわかりやすく徹底解説

文芸批評理論概観

 印象批評とは批評する側の感動や印象を、つまり主観を重要視した批評のことである。だが印象批評についての詳しい解説は次の節に譲るとして、まずは批評理論の概略をまとめておこう。

 小説の良し悪しは一体何が決めているのだろうか。このように問題を設定してみると、正確に答えることは意外にも難しいことが分かる。情景描写が豊かで読者の想像をかきたてる文章が小説の価値を決めているのだろうか。あるいは感動を呼び起こする小説こそが優れているのだろうか。確かにこれらの要素は良い小説の条件かもしれない。が、これだけでは十分とは言えないだろう。

 この問いに真っ向から挑み体系化したのが文芸批評理論である。文芸批評理論の研究は100年以上にわたる歴史を持つ。小説はどのように読めるのか、小説の価値は何が決めるのかという問いは結果として、ロシアフォルマリズム(異化作用)、新批評、受容理論、現象学、解釈学、記号論、構造主義、ポスト構造主義、フェミニズム批評、ポストコロニアル批評、精神分析批評、クィア批評という数多くの批評理論を打ち立ててきた。どの理論も優れた点があれば劣っている点もある。先行の理論の欠点を克服するために次々と新たな理論が立てられてきた歴史が、列挙した批評理論の数々である。

 これらの批評理論は基本的に哲学や演劇の理論など、他の分野から輸入し応用したものが大半を占めている。例えば、現象学批評はフッサール現象学から、解釈学批評はハイデガーの解釈学的現象学から、といった具合だ。そのため文芸批評理論を学ぶということは、広範な知識・思想に触れ、それを応用するということになる。逆に言えば、文芸批評理論が起源となる文学に独自の理論という理論は存在しない。これは文学の特性に関わる問題なのだが、不思議な話でもある。将来、文学初の理論が生まれてもおかしくないという気もするのだが……。

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印象批評をとは何か

概略

 文芸批評理論の中で最初期の18世紀後半にあらわれ、現在でも頻繁に使われるのが印象批評である。印象批評は文字通り、小説の「印象」を語る批評のことだ。いいかえれば客観的・実証的な批評というよりも、主観を優先した批評ということになる。

 難しく考える必要はない。何故ならわれわれが小説作品に対して普段している評価が印象批評だからだ。「ここがグッときた」とか「まるでそこにいるかのような感覚を呼び起こされた」といった感想を考えてみれば、それが主観であることが確認できるだろう。ということでこれらは全て印象批評ということになる。もし話し相手が「そこにグッとはこなかったよ。でもこっちなら。」と反論してきたとしよう。これも主観だ。つまり印象批評である。

 すでにお分かりのように、印象批評は批評理論でありながらちっとも理論と呼べるようなものではない。理論というのはそれに沿えば誰でもできるという手法のことであって、主観で作品の良し悪しを判断してしまうのでは理論にならない。また主観に頼っていては、作品の普遍的な価値を論じるのは難しくなってしまう。印象批評は共通の価値判断に向かないのである。

 とはいえ印象批評だけをみて後続の批評理論も主観に偏った怪しげな理論だと思われるのは早計だ。印象批評が強く主観に優位性を与えてしまったために、次にくる新批評やロシアフォルマリズムは主観を取り除いたものになっている。

小林秀雄の印象批評の実例

 ここで印象批評で優れた評を残した小林秀雄の梶井基次郎『檸檬』への言及をみておこう。

頽廃に通有する誇示もない。衰弱の陥り易い虚飾もない。飽くまでも自然であり平常である。読者はこの小話で「檸檬」の発見を語られ、作者が古くからもつてゐた「檸檬」を感ずる、或ひは作者がいつまでも失ふまいと思はれる古くならない「檸檬」を感ずる。

小林秀雄「梶井基次郎と嘉村礒多」

 何かを言っているような言っていないような、それでいて迫りくる凄みがあるといった妙な印象を受けるかもしない。これが印象批評だ。その人の主観だから誰でもできてしまうわけだが、主観なのに他人を納得させなくてはならないのだから大変難しい。その点小林秀雄は凄かった。ドストエフスキーからゴッホ、モーツァルトまで縦横無尽に批評する。知識もセンスも第一級の超教養人だったのだ。

 全ての作品を読み尽くしているだろうと思われる人物が、他の文学作品と比較してこの作品が素晴らしいといえば首肯するほかない。主観が優位の印象批評は、文章の圧倒的なセンスと批評家に対する絶対的信頼が必要不可欠なのである。

印象批評の欠点と現代の問題

 とはいえ、ここまでみてきたように印象批評の弱点は明白だ。その点を大江健三郎が的確に指摘していたので引用しておこう(『文学部唯野教授』でも引用されていた)。

文学理論は必要です。評価する・あるいは否定する根拠なしの、あいまい主義的な批評にさらされている我が国の作家たちには、それも特にこれから小説を書き・発表する若い人びとには、文学理論にたつ批評がなされることほど望ましい話はないはずです。気分次第で誉めたり叱ったりする親ほど教育的でないものはないように、あいまい主義的な批評が若い作家をよく育てうるとは思いません。

「新潮」 昭和62年2月号、 「『読む』と『書く』の転換装置」

 最後に現在の状況を眺めてみよう。昨今は批評理論が発達したにもかかわらず印象批評が溢れかえっている。ツイッターでもレビューサイトでも、そこには印象批評が堆く積まれている。映画にしろ小説にしろ作品の評価は、フォロワー数の多いインフルエンサーの一声か、レヴューサイトについた星の数によって左右されているのが現状だ。小林秀雄の質的信頼が、フォロワーと星の数という数的信頼に置き換わったのである。そして「#読了」とともに流れくる140字の感想しかないこの現状に、多くの人が不満を抱いている。

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こちらは「批評理論をわかりやすく解説」で紹介されています。また「批評理論のおすすめ本」も参考にしてみてください

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