『プレミアム・ラッシュ』感想|あらすじ解説|内容考察|ルールを破ろう

『プレミアム・ラッシュ』感想|あらすじ解説|内容考察|ルールを破ろう

概要

 『プレミアム・ラッシュ』は、2012年に公開されたアメリカ映画。 監督はデヴィッド・コープ。主演はジョセフ・ゴードン=レヴィット。

 公開は2012年だが、撮影は2010年にニューヨークで行われた。ジョセフ・ゴードン=レヴィットは、『(500)日のサマー』や『ザ・ウォーク』に出演している。

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登場人物

ワイリー(ジョセフ・ゴードン=レヴィット):バイクメッセンジャー。スーツを着て働く生活を嫌っている。運転技術はピカイチ。ブレーキのない自転車を使いこなす。

ボビー・マンデー(マイケル・シャノン):刑事。賭博の失敗で借金をしている。マフィアから借りた金を返すために、ニマの貯めた金(=封筒)を狙う。封筒を届けようとするワイリーを追いかける。

ヴァネッサ(ダニア・ラミレス):バイクメッセンジャー。彼氏はワイリーで喧嘩中。

ニマ(ジェイミー・チャン):ワイリーの同級生。中国にいる息子を密入国させるために、貯めたお金をシスター・チェンに渡そうとしている。

あらすじ

 舞台はニューヨーク。法学部を卒業したワイリーは、バイクメッセンジャーとして働いていた。バイクメッセンジャーは、通信では送れないものを自転車で届ける職業である。ワイリーは周りにも一目置かれる技術を持ち、ブレーキ無し自転車に乗ることを信条にしていた。だが、ヴァネッサと喧嘩中で、仕事も上手くいかない日々が続いていた。

 ある日、大学の友人であるニマから、シスター・チェンに封筒を届けてほしいという依頼がはいる。しかし、届ける途中にマンデーに封筒を奪われそうになる。ワイリーはマンデーを不審に思い逃げるも、執拗に追ってくる。

 逃げ切ったワイリーは調査を依頼しに行った警察署で、マンデーが刑事であることを知る。マンデーは賭博で失敗し、借金を帳消しにするために、マフィアの依頼で封筒を盗もうとしていた。どうにか逃げ出したワイリーは、封筒を二マの大学に戻す。しかし、マンデーの策略で再配達先を変更されてします。

 ワイリーは封筒の中身をニマに問い詰めると、中国に置いてきたニマの息子の密入国のための資金だった。それを聞いたワイリーは封筒を取り戻すことを決意する。

 封筒を運ぶ同僚、ワイリー、ヴァネッサ、マンデーの自転車レースになる。死闘の結果、ワイリーは事故に遭い救急車で運ばれる。その途中、同伴したマンデーに封筒のありかを聞かれ、教える代わりに自転車を返すよう要求する。自転車を取り戻したワイリーは、持ち手に隠していた封筒を奪還し、再び逃走する。

 すぐに気づいたマンデーは、ワイリーを捕まえ拳銃で脅す。その時、ヴァネッサが呼んだニューヨーク中のバイクメッセンジャーが現れ、マンデーを妨害する。ワイリーは封筒をシスター・チェンに渡すことに成功し、ニマの息子は密入国するための船に乗れることになる。

 借金を払えなくなったマンデーは、マフィアに嘘をついていたため殺害される。ワイリーとヴァネッサは復縁し抱きしめ合う。

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解説

規範を越えよう、ルールを破れ

 現代の若手俳優はベネディクト・ティモシー・カールトン・カンバーバッチとジョセフ・ゴードン=レヴィットの二代巨頭と言われている。本作は、その一人ジョセフ・ゴードン=レヴィットの主演作なのだが、日本では当初映画館で流されなかったようだ。有志による署名活動によって、どうにか公開(レイトショー)にまでこぎつけたらしい。

 ニューヨークという世界有数の資本街で、スーツを着るのを嫌い危険な職業に従事するのがジョセフ・ゴードン=レヴィット演じるワイリーである。彼の職業はバイクメッセンジャー。渋滞の多い大都市のなか、自転車一つで信書の送達を行う。もちろん、この職業に危険はつきものだ。人にぶつかる。怪我をする。車に轢かれる。それでいて、交通規則を無視するのはあたりまえ。バイクメッセンジャーが通るところに、車のクラクションが鳴り響く。

 スーツを着ていないことからも分かるように、バイクメッセンジャーは社会からのはぐれ者だ。危険だし、汚いということで、社会から毛嫌いされている。そのおかげか、バイクメッセンジャーの結束は硬い。運営する会社は複数あり、バイクメッセンジャー同士がかならずしも仲が良いというわけではないのだが、事故をおこしたバイクメッセンジャーがいれば助けるのがバイクメッセンジャーたちの生き方らしい。社会から疎外されたバイクメッセンジャーたちの、緩やかな結束と力強い生き方は、観ていて元気をもらえる。

 ワイリーはなかでも過激なブレーキなし主義者で、バイクメッセンジャーたるものブレーキなしの自転車に乗ることが王道だと信じている。彼にとってブレーキをつけた自転車に乗ることは、サラリーマンとして働くことと同じくらい忌避される。ルールに従いサラリーマンとして働くことをあれだけ忌避したのに、何故交通ルールに縛られなくてはならないのか。止まらないことをモットーにニューヨークを駆け巡るワイリーにとって、信号で止まることはサラリーマンになることとさして変わらない。だから彼は赤信号だろうと、持ち前の圧倒的な動体視力を発揮して、車の間をすり抜ける。これによって、バイクメッセンジャーは市民からさらなる反発を招くことだろう。だが、ワイリーはそんなことはお構いなしに、自分の欲望を優先する。彼にとっては、縛られることが一番の苦痛なのである(日本においてワイリーのような感性は絶対に許されない。ルールは破ってもいい、が、人に迷惑をかけない範囲で。これが世間の目を気にする日本的感性だ。だが、最近はこれが局地に達して、ルールは破ってはダメ、なぜならどこから誰が見てるか分からない、という感性を極限まで内面化するにいたった。そこでは世間はなくなれど、内なる世間が彼を見つめている。信号を例にとってみよう。車が通らない交差点の赤信号を止まるべきか。いまやこの命題は成り立たない。何故なら、この回答は当然、止まるべきだからだ。従ってこの命題は、車が通らない交差点で赤信号のとき、加えて周りに誰もいないとき止まるべきか、となる。現代ではこれですら怪しい。車もこない、誰もいない交差点で、律儀に青信号を待つ彼らは一体何を守ろうとしているのだろうか。ある日本の哲学者がある時、行動履歴を提示しろと言われたら、それをしないせいで世界が滅んだとしても、私は自分の情報を提示しない、というようなことを書いていたと記憶している。大事なことである。ワイリーがしていることは、ルールを破ろうが、周りに迷惑をかけようが、事故を起こそうが、自分の欲望を優先するということだ。ワイリーが間違ってる?そう思うなら、どっぷりと日本的感性に染まってしまっているかもしれない。(思えば、似た感性を持った人物が、「ポケモン」の世界にいた。サトシの母親ハナコである。彼女は『ルギア爆誕』で世界を救ったサトシに「あなたがいるから世界があるの」と叱責した。こう考えると、なんとも身勝手な世界観である。『ルギア爆誕』評*なるほう堂(ところで、いま「爆誕」という単語の初出が気になった。調べたら『ルギア爆誕』が最初という説が有力らしい。素晴らしくないですか!!)))。

考察

元気と勇気をもらえる

 ワイリーと同じように社会を憂いながら社会に迎合した、ワイリーの裏面的存在がマンデーである。マンデーは刑事でありながら社会規範からずれていく。賭博をしマフィアから金を借りるし、ワイリーを追跡するのも手段を選ばない。それに加えて、彼は社会への鬱憤も溜まっている。暴力、非道、ルール破り、殺人。とにかく大変である。

 本作は非倫理的なことに溢れている。マフィアと刑事の関係、殺人、中国人の密入国。しかしこれは否定的に捉えるべきではない。本作は社会問題を扱っているのではない。あくまで、規範とそれを破るものたちの、二層があるという話なのだ。

 非倫理的と言えば、マンデーの突然の死もそうで、彼の死は想像以上にあっけない。ワイリーのルール破りを肯定的に捉えたが、当然いい面ばかりでもない。ワイリーの裏面マンデーには死の結末が待っている。社会の規範からずれることは、魅力的だが悲惨な結末を招くこともある。ようするに、やるからには責任が伴うのだ。

 ワイリーのブレーキなし自転車は、これからも止まることを知らない。彼の型破りの都市生活は我々に元気を与えてくれるだろう。

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