『木のぼり男爵』解説|いや、抵抗するのだ|書評|あらすじ考察|カルヴィーノ

『木のぼり男爵』解説|いや、抵抗するのだ|書評|あらすじ考察|カルヴィーノ

概要

 『木のぼり男爵』は、1957年に発表されたイタロ・カルヴィーノの長編小説。カルヴィーノはほかに『パロマー』がある。

 主人公コジモが、父に反抗して木に登ったことをきっかけに、一生を木の上で暮らす物語。

 海外文学はほかにヘッセ少年の日の思い出』、カズオ・イシグロ日の名残り』、キャロル『不思議の国のアリス』、クンデラ『存在の耐えられない軽さ』、カミュ『異邦人』、カフカ『変身』、ル=グウィンオメラスから歩み去る人々』、魯迅『故郷』、サン=テグジュペリ『星の王子さま』、フロベール『ボヴァリー夫人』、ポー『黒猫』『モルグ街の殺人』『ウィリアム・ウィルソン』、チャペック『白い病』、サルトル『嘔吐』などがある。

 本作は「海外小説のおすすめ有名文学」で紹介している。

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あらすじ

 舞台は18世紀のイタリア。主人公は男爵家の長子コジモ。

 12歳のある日、コジモは父にかたつむり料理を食べさせられそうになる。その要求を拒否したコジモは、庭園にある樫の木に駆け登った。最初誰もが一時的な反抗だと考えたが、その後もコジモは地上に降りることはなく、次第に木の上の暮らしに慣れ始める。

 語りである弟の協力を得ながら、木の上の生活を快適なものにしていく。道を作り、木の移動を自由にこなし、猟で食事を得、さらには読書に勤しむ。木の上で暮らす男爵は、その奇抜な暮らしによって次第に有名人になる。

 それと平行して、盗賊「荒ら草ジャン」や領内の女たちと交流し、パリの「百科全書派」と文通をする。やがて世界は革命と戦争の時代へ突入し、コジモのもとに軍隊がやってきて……。

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解説

ネオレアリズモの小説家イタロ・カルヴィーノ

 イタロ・カルヴィーノの長編小説『まっぷたつの子爵』『木のぼり男爵』『不在の騎士』は「我らが祖先」三部作と銘打たれている。三部作とはいえ内容はそれぞれは独立していて、『まっぷたつの子爵』は<善>と<悪>に分裂した子爵の、『不在の騎士』は甲冑の中身が空っぽの騎士の、そして『木のぼり男爵』は木の上で生活する男爵の話である。「我らが祖先」と銘打ちながら、三部作の主人公たちは現実世界の祖先には存在していなかったことは断言できるが、しかしどこか親しみやすい。幻想的で寓話的な「我らが祖先」三部作は、リアルを追求していないからこそ読者を刺激し想像を掻き立ててくるのである。

 カルヴィーノはイタリアの小説家でネオレアリズモという文化運動の潮流に属する。ネオレアリズモは1940年代から1950年代のイタリアで起こったファシズムとナチズムに対抗する文化運動で、それに属する映画や小説は闘争や労働や暴動などのテーマが描かれる。ネオレアリズモの映画はロベルト・ロッセリーニの『無防備都市』やヴィットリオ・デ・シーカ『自転車泥棒』が有名で、小説はイタロ・カルヴィーノ『くもの巣の小道』(1947年)が代表作だ。そのような流れの中で、カルヴィーノが『くもの巣の小道』を発表した10年後、1957年に書かれたのが『木のぼり男爵』である。

 『木のぼり男爵』は前述のとおり木で一生を過ごす男爵の話だ。なぜ男爵は木の上で生活をするようになったのか。事の発端は主人公のコジモが12歳のときに、姉が調理したカタツムリ料理を父親がコジモに無理やり食べさせようとしたさいのことである。カタツムリを拒むコジモは父親から逃げるように部屋を出て、いきおい家の前の木に登っていく。拗ねた子供が似たような行動をとるのをみたことがあるだろう。怒ってみたり泣きわめいてみたり、兎にも角にも外の世界に自分は不満だということを訴えている。しかしその反発の訴えも長続きすることはなく、時間が経てばあるいは他のことに気がとられてしまえば、すぐさま癇癪は治り不満は解消され怒っていたことは初めから無かったことになる。ところがコジモの場合、そうはいかない。驚くべきことに、一度木に登ったコジモは二度と木から降りてこないのである。馬鹿げた、一時的な、子供じみた反発の行為が、本気の、永続的な、大人びた決意に変化してしまうのだ。

考察

狭間としての木の上の生活

 この小説はネオレアリズモの潮流に属しながら、しかし戦争や暴動が直接的に描かれることはない。天と地の間、木の上という狭間で生活するコジモは、地上の出来事、例えば革命や戦争にコミットすることはない。では地上の人々にたいして無関心で常に高みの見物を決め込んでいるかというとそうでもない。ナポレオンと会話し、ルソーと文通し、水路を整備し、海賊を撃退するコジモは、むしろ地上のものにこそ興味を覚え関わりをもとうとしているのだ。コジモは世俗に興味がありつつ興味がない。関わろうとしつつ関わらない。世俗に対するアタッチメントとデタッチメントの中間の態度は、生涯を通じて変わることがない。

 一見するとコジモは二つの精神、人と会話し、恋をし、集団行動を望む共同体の精神と、人と関わらず、本を読み、狩をする孤独な精神に分裂している。しかしそれは本当に分裂しているのだろうか。むしろ人間に備わる本質的な精神であり、それを保持することは重要なのではないか。

 共同体だけを望む精神は、簡単に集団に埋没し共同体に飲み込まれてしまう。それは家族に、民族に、そして最終的には戦争にさえ没入してしまう可能性がある。だが逆に孤独を望む精神は、他者を拒み自己に埋没し世俗の興味を失わせてしまう。それは最悪なアイロニカルな態度のようだ。気をつけなくてはならないのは、どちらの精神もあまりに本質的で魅力的であるがために、無意識にどちらかに偏ってしまい両立することが困難な点だ。その両方をどうやって保持し続けるか、それを深く哲学的に考察したのが、コジモの文通相手『孤独な散歩者の夢想』と『社会契約論』の著者で哲学者であるジャン=ジャック・ルソーであるが、ここでは言及だけに留めて、コジモがいかにこの二つの精神を保つことができたかについて考えてみる。

 重要なのは土地の制限である。どういうことか。

 相反する二つの精神、近づきたいと近づきたくないという欲望を保持することは、原理上不可能性なことだ。一時的にはこの矛盾した状態も可能かもしれないが、長期的には不可能性に耐えきれず、どちらかを無意識に選んでしまうか、精神を分裂させるしかない。意識をしているかぎり、矛盾を克服することはできないのだ。そこで矛盾した問題系をつまり意識をズラすために導入されたのが、もう一つの問題系が木を降りないという自己に課す禁止である。「関わらない」でも「関わる」でもない「木から降りない」という土地の制約は、後者が前者と関わりがない故に、前者の不可能性を超克する可能性がある。

 コジモは12歳のとき地上から木の上へ、言い換えれば直接性から間接性へと移動した。それ以降、地上に降りて人々と行動を共にすることはなかった。この変化は作者カルヴィーノの小説の戦争への向き合い方の変化、つまり『くもの巣の小道』から「我らが祖先」三部作への移行とパラレルだ。戦争もコジモの父親への抵抗も革命も暴動も、リアルに直接的に描くことはできる。が、小説のレベルでいえば寓話的で幻想的でなければ、コジモの立場でいえば木の上でなければ、描くことができないものがあるのだ。

いや、抵抗するのだ!

 コジモは木の上であらゆることをする。書物を読み漁り、狩りをし、学者と文通をする。しかし何かが足りない。そう、恋がないのだ!

 そんなある日、コジモは噂を聞きつけて駆けつけた先で国を追われて木の上で暮らす人々と出会うことになる。初めて出会った同種の人間の存在に喜び、さらにそこの娘の一人と恋に落ちる。コジモは長年の間に蓄えた知識を人々に伝え、教えることの喜びを覚え、充実した日々を過ごすことになる。

 しかし幸せは長続きしない。追放した国の王が人々を許し、国に戻ることを認めるのだ。喜ぶ人々は国に戻ることを、そしてコジモも一緒に来ることを提案する。だが国に戻るためには木を降りなくてはならない、それはできない、とコジモは伝える。

逃げるのか!?

いや、抵抗するのだ。

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「逃げるのか?」それは我々の提案から、恋をした相手から、地面から逃げるのかという複数の意味にとれる。コジモの態度は、子供じみた反抗、全てにノーを突きつける否定の行為に、そしてあたかも嫌なことから逃走する敗者の姿にみえるのだ。ところが、コジモは「逃げるのか」の問いかけに、「いや」と否定する。そうではない、「抵抗するのだ」。

 コジモが木に登るきっかけは父への「反発」であり、それは父殺しというありふれたテーマの反復かに思われた。しかしそうではなかったのだ。コジモは全てにノーを突きつける「反発」から——それはコジモの人生を父が支配しコジモの主体性が奪われていることしか意味しない——「抵抗」へと態度を変えたのだ。木での生活が否定ではなく肯定で規定され、「逃走」から「闘争」へと変化した。コジモの生活は一つの制約により不自由な生活を余儀なくされているように思われる。しかし、自由とは制限のなかにしか現れない。降りる=自由であることの不自由な誘惑を退け、降りない=不自由であることの自由を守るために、「反発」から「抵抗」へ「逃走」から「闘争」へのコジモの転向は「アタッチメント」と「デタッチメント」の誘惑に対する有効な「抵抗」になり得るのだ。

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