『メメント』考察|嘘から始まる殺人事件|あらすじ解説|感想|クリストファー・ノーラン

『メメント』考察|嘘から始まる殺人事件|あらすじ解説|感想|クリストファー・ノーラン

概要

 『メメント』は、2000年に公開されたアメリカの映画。監督はクリストファー・ノーラン。原作は監督の弟ジョナサン・ノーランの短編『Memento Mori』。出演はガイ・ピアース、キャリー=アン・モス。アカデミー賞は脚本賞、編集賞にノミネート。2017年にアメリカ国立フィルム登録簿に追加。

 二つのストーリーを交互に挟みながら、妻を殺した犯人を追う男性の物語。

 ノーランはほかに『バットマン ビギンズ』、『インセプション』、『ダークナイト』、『ダークナイト ライジング』、『インターステラー』、『ダンケルク』、『TENET テネット』などの作品がある。

 ガイ・ピアースはほかに『タイム・マシン』で主演、キャリー=アン・モスは『マトリックス レザレクションズ』に出演している。

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登場人物

レナード・シェルビー(ガイ・ピアース):妻を殺害した犯人を追っている。妻の殺人犯に殴られたことで、記憶が短期間しか持たない。過去には保険会社の調査員をしていた。

ナタリー(キャリー=アン・モス):バーテンダー。レナードの依頼であるカーナンバーの持ち主を調査する。

テディ(ジョー・パントリアーノ):レナードの犯人探しを手伝う謎の人物。冒頭で殺害される。

バート(マーク・ブーン・ジュニア):モーテルのフロント係。

レナードの妻(ジョージャ・フォックス):故人。

サミュエル・“サミー”・ジャンキス(スティーヴン・トボロウスキー):レナードのかつての顧客。レナード同様、記憶障害がある。

名言

レナード:俺が忘れようが同じさ。忘れたとしても、復讐が無意味になるわけじゃない。目をつむったとしても、世界が消え去るわけじゃないだろ?それに、たぶん思い出すために写真も撮るさ。刺青も入れる
Leonard Shelby:Doesn’t make a difference whether I know about it. Just becuase there are things I don’t remember doesn’t make my actions meaningless. The world doesn’t just disappear when you close your eyes, does it? Anyway, maybe I’ll take a photograph to remind myself, get another freaky tattoo.

レナード:目を閉じた時、そこにも世界があると思わなければ。(目を閉じる)世界はまだここにあると信じられるか?本当に世界はそこにあるのか?あるさ。誰もが、自分が何者かを思い出すために鏡を必要としている。俺だってそうだ
Leonard Shelby:I have to believe that when my eyes are closed, the world’s still there. Do I believe the world’s still there? Is it still out there?… Yeah. We all need mirrors to remind ourselves who we are. I’m no different.

レナード:さてと・・・ここはどこだ?
Leonard Shelby:Now… where was I?

あらすじ

#本作は白黒のシークエンスとカラーのシークエンスから成り、それら二つの出来事が交互に描かれる。白黒は過去の出来事で順行、カラーは白黒の後の出来事で逆行で時間が進む。こらら二つの出来事は同じ時間軸上にあり、最終的には同じ場面に到達する。ここでは白黒のシークエンスからカラーのシークエンスまで時系列順に述べる。

白黒のシークエンス

 レナードはモーテルで目覚めるが何も思い出せない。左手の「サミーを忘れるな」をはじめ、全身に重要だと思われる言葉が刻まれている。そこには強姦・殺害された妻の復讐を果たせという言葉と、犯人に関する「事実」と手掛かりが記されていた。レナードは妻を殺した犯人に頭を殴られて以来、短期の記憶が続かず、記憶が消える前に写真にメモを書き添えるようにしていた。

 レナードの目的は犯人ジョン・Gを探しだすこと。彼は協力者だと思われる電話の相手に、保険調査員時代に担当していたサミーについて語る。サミーは事故でレナードと同様の症状があったが、事故以前の記憶と習慣は問題なく保持していた。サミーは条件反射による学習もできなかったため、心因性と判断され保険はおりなかった。

 事実を知りたい妻は、自らの命を危険に晒すことで、サミーの記憶力を確かようとする。妻は短期間にインスリン注射を打つようサミーに頼むが、言われるままに注射を打ち続け、記憶力は戻らず妻は死んでしまう。

 話を終えると、電話の相手は麻薬捜査官ジョン・ギャメル(通称テディ)と告げ、麻薬の売人ジミー・グランスが犯人ジョン・Gで、彼は麻薬取引場の廃屋に現れると教える。レナードは現場に向かい、ジミーを殺害した後、衣服に盗み着替える。

カラーのシークエンス

#カラーシークエンスは時間が逆行するため、映画内では最後から始まる

 レナードはジミーを地下に隠す。ジミーが知り合いのような反応をしていたことに疑問を抱いたレナードは、後に到着したテディを問い詰める。実は、ジミーを捕まえるためにレナードをおとりにした麻薬捜査であり、そもそも真犯人のジョン・Gはテディの協力で一年前に殺害していた。さらに、サミーの逸話は自分自身に起こったことであり、真相は生き残った妻が記憶障害を持ったレナードに絶望し、インスリンを彼に打たせ死んだのだ。サミーの逸話は罪の意識から逃れるための作り話であった。ジョン・Gを殺しては新たなジョン・Gを探し何度も繰り返すと責めるテディを恨んだレナードは、事実をあえてメモせずにテディの写真に「奴の嘘を信じるな」とメモし、「事実6」に彼の車のナンバーを記す。ジミーの車を奪ったレナードは、記憶と現実の曖昧さに困惑し、目を閉じながら、こうしている間も世界は存在しているかと問う。そして目を開けて世界が変化したことを認められることから世界の実在を確信し、記憶とは自分であることの確認のためにあるに過ぎないと思う。そしてタトゥー屋を見つけ停車する。

 タトゥー屋で「事実6」を太腿に彫ったあと、ポケットに入っていたメモに記されていたナタリーを探しにバーへ向かう。ナタリーはバーテンダーで、ジミーの服装と車で現れたレナードを警戒するが、レナードが妻を亡くし記憶障害者であると知ると、同情心から自宅に招き数日泊めてあげる。

 ジミーが大金を持ったまま消えたことから、ジミーの彼女であるナタリーは麻薬取引仲間のドッドから疑われる。ナタリーはレナードにドッドを殺害するよう頼むが拒否され、激しい言い争いになる。殴られたナタリーは、レナードを策略にはめるため、外に出て時間を置いから家に戻る。その間に記憶を失ったレナードは、ドッドを殺害してという要求を受け入れるのだった。

 ドッドから逃走するレナードは、彼を待ち伏せして倒すも、状況も誰だかも把握できていない。呼んでいたテディと協力して、ドッドを町から追い出し、ナタリーの家に向かう。

 ナタリーに血塗れのドッドの写真を見せながら何が起きたのか問い詰めると、ナタリーは私を救ってくれたのだと感謝する。ナタリーはレナードと同様、ジミーという元恋人を亡くしていた。一夜を共にした彼女は、太腿にあるジョン・Gの車のナンバーを調べると約束し、昼に再会することにする。

 レストランで再会したナタリーは、手がかりとなるジョン・ギャメルの情報を渡し、殺害場所に適した廃屋を伝える。ジョン・ギャメルはテディのことであり、「事実6」のナンバーはテディの車と一致する。レナードはテディが犯人だと確信し、テディの写真のメモに「奴が犯人だ。殺せ」と加える。

 テディと廃屋にきたレナードは、テディの写真のメモを確認して、銃を突きつける。テディは地下室に行けばわかると諭すが、レナードは引き金を引いて殺してしまう。

解説

構造上の二つのポイント

 『メメント』のプロットは恐ろしく複雑かつ難解で、一度視聴しただけでは何が起きたのかを理解するのは難しい。このように超難解であるにもかかわらず、本作は興行的にも批評的にも高く評価され、アカデミー賞では脚本賞、編集賞にノミネートされた。この作品でノーランは一躍有名になり、この後の輝かしい映画監督人生をスタートすることになる。

 本作の構造上のポイントは、同一時間軸にある物語が二つに分かれていることと、片方の時間進行が逆行していることにある。

 分けられた二つの物語は、白黒のシークエンスとカラーのシークエンスで表現され、短いスパンで交互に描かれる。それらは一見すると関連がない独立した二つの物語と勘違いしてしまうが、実は同一の時間軸上にあるというのがポイントだ。もう一つ物語を複雑にしているのは、カラーのシークエンスの時間進行が逆行している点にある。冒頭に起こるレナードによるテディの殺害は、時系列でみれば最後に起こる出来事で、物語が進行するにつれて、カラーシークエンスの時間は過去に向かって進む。

必然的に要請された物語構造

 順行する過去を描く白黒シークエンスと、逆行する現在(?)を描くカラーシークエンスは、同一時間軸にある以上、ある一点で統合される。その白黒とカラーの時間がぶつかる一点で起こる出来事は、映画の終わりにある一方、冒頭のテディの殺害の本質的な原因、つまり、物語の始まりでもある。これは映画の始まりにあるテディの殺害が、結果として殺害、つまり、物語の終わりでもある、ということも意味している。物語は始まったときに終わっていて、終わったときに始まるのだ。

 この構造上の二つのポイントに注意しながら観れば、物語を一つの時間軸上で論理的に理解できるだろう。だが、その見方が正しいのかと問われれば、そうとも言い切れない。むしろプロットを理解できずに悩みながら観るのがよき視聴者といえる。何故なら、主人公であるレナードの記憶のありかたを、追体験できるからだ。レナードの短期しか続かない記憶は、映画で表現されたように、現実を細切れに把握する。交互に描かれる白黒とカラーのシークエンスの一つのユニットの中だけ記憶が持続し論理的に考えられる視聴者は、記憶が持続する間は論理的に思考しながら、記憶が途切れた先では行動の一貫性が途切れてしまうレナードと同一だ。つまり、複雑で難解なこのプロットは、レナードの記憶のあり方を追体験するために、必然的に要請された表現方法なのである。

考察・感想

事実が生み出す陰謀論

 短期間しか記憶が続かないという主人公の設定は、小川洋子の『博士の愛した数式』の博士を思い出させる。博士もレナードと同様に、大事なことはメモをとり体に貼り付けていた。記憶障害者にとってメモは、過去の自分との連続性を保持するための唯一の手掛かりとなる。

レナード:記憶は記録じゃない、思い込みだ

 レナードは記憶と記録を対比させて、記録の重要性を訴える。何故なら、記憶は思い込みが入りフィクションとなるが、記録は事実だからだ。レナードは犯人の手掛かりなとなる事実を全身に刺青として彫り、そこに記されたことだけを信頼して行動する。メモは時間の連続性のために、事実は論理的な整合性のために重宝され、記憶はフィクションとして取り払われる。

 この「事実」への傾倒は、公開から20年の時を経て、意図せに文脈で重要な意味を持ち始めている。近年流行している陰謀論の最終判断が、実は「事実」の積み重ねで成り立っているからだ。陰謀論をフィクションと位置づけ、「事実」で対抗しようとすることの、根本的な罠がここにある。陰謀論はフィクションであるから騙されるのではなく、事実の集積で成り立つから強固で危険で騙されるのだ。では何故、事実の集積がフィクションへと転換されるのか。

根元的な嘘、事実に内在するフィクション

 ここには二つのポイントがある。一つは記憶が保持されるユニットごとの間に、もう一つは「事実」と呼ばれている事柄に本質的に潜む。

 前者はナタリーの悪事を例に取るとわかりやすい。レナードと言い争いになり殴られたナタリーは、彼の記憶障害を利用して、自分の都合の良いストーリーをレナードに信じ込ませる。ナタリーはドッドを殺害したいがために、メモと辻褄が合うような新たな物語をレナードに与え、見事思い通りに行動させる。

 しかしより重要なのは後者のほうである。テディ殺害の原因を探るカラーシークエンスの時間逆行は、それぞれのユニット内の論理的思考とメモによって、起源まで遡ることができる。短くまとまった「結果→原因」の集積は、「事実」を媒介することで、大元にある「原因」へと導いてくれる。だがそこにあるのは、驚くべきことに「事実」ではない。

 すでに真犯人である「ジョン・G」を殺害し、それには飽き足らず、もう一度「ジョン・G」を探すようになったとテディに指摘されたレナードは、この「事実」を認めるのではなく、忘れることで新たな「ジョン・G」を探すことに決める。「おまえは、幸せでいるために自分にウソをついてるのさ。間違ったことじゃない。みんなそうしてる」と罪意識から逃れるためにサリーの逸話をでっち上げたことをテディに指摘されたレナードは、新たな嘘で自らの幸せ——妻を殺した「ジョン・G」を探すという生きる目的——を自ら作り上げる。

Leonard Shelby:Can’t I just let myself forget what you’ve told me? Can’t I just let myself forget what you’ve made me do. You think I just want another puzzle to solve? Another John G. to look for? You’re John G. So you can be my John G… Will I lie to myself to be happy? In your case Teddy… yes I will.

レナード:おまえが話したことは忘れる。おまえが俺にさせたことも忘れる。俺が別の謎を欲しがると思ってるんだろ?別のジョン・Gを探すと。おまえがジョン・Gだ。おれが自分の幸せのために自分にウソをついてると?おまえに関しては、そうする

 「事実」が生み出す「結果」から「原因」へと遡ったときに発見されるのは、「事実」ではなく、一つの嘘である。それは「自分の幸せのため」の決心であり、「事実6」に書き込んだフィクションだ。意思が思い込みが刷り込まれた「記憶」を排して、「事実」としての「記録」だけを頼りに、テディが犯人であるという結論を導いてきた。だが、その根源にあるはずの「事実」に、「奴の嘘を信じるな」という嘘が混ざっていたのだ。ここに、フィクションと事実、記憶と記録の奇妙な関係と、事実に内在するフィクションと、根源にある嘘と決断が、見事に記されている。

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