『ミニミニ大作戦』感想|あらすじ解説|内容考察|ミニの戦い方

『ミニミニ大作戦』感想|あらすじ解説|内容考察|ミニの戦い方

概要

 『ミニミニ大作戦』は2003年のアメリカ映画。原題は「The Italian Job」。監督はF・ゲイリー・グレイ。 1969年に公開されたピーター・コリンソン監督の『ミニミニ大作戦』のリメイクでありオマージュ。ピーター・コリンソン監督の『ミニミニ大作戦』は現在もカルト的人気を誇る。

 プロフェッショナルが集まり強盗をするというストーリーは、『オーシャンズ11』とよく似ている。

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登場人物

チャーリー・クローカー(マーク・ウォールバーグ):盗みのプロ。ジョンを慕う。

ステラ・ブリジャー(シャーリーズ・セロン):ジョンの娘。金庫破りを職業にしている。

スティーヴ・フレゼリ(エドワード・ノートン):裏切り者。金にがめつい。

ライル(セス・グリーン):通称ナップスター。コンピューターに強い。

ハンサム・ロブ(ジェイソン・ステイサム):運転が得意。強面。

レフト・イヤー(モス・デフ):爆発物の専門家。右耳が聞こえない。

ジョン・ブリジャー(ドナルド・サザーランド):ステラの父。金庫破りのプロ。

あらすじ

 ジョンは各々専門分野に精通しているチャーリー、ライル、ハンサム、スティーブ、レフトとチームを組んでイタリアのギャングから3500万ドルの金塊を盗む。喜びも束の間、裏切り者のスティーヴに金塊は盗まれ、ジョンは殺されてしまう。

 一年後、スティーブの居場所を知ったチャーリーらは再び結晶し復讐の計画を立てる。金庫破りはジョンの娘ステラに協力を仰ぐと、父の復讐のためチームに参加する。

 スティーブを金庫から遠ざけるために、ステラは彼をデートに誘い出すも勘付かれてしまう。チャーリーらに金塊を狙われていることを悟ったスティーブは、護送車をつかってロサンゼルスからメキシコに金塊を移す計画を立てる。

 チャーリーらは信号のハックや落とし穴などをつかってスティーブの裏をかき、見事金塊をせしめる。その後スティーブと対決するも、ステラはスティーブの顔を殴り飛ばし、スティーブは街のヤクザに拷問されに連れて行かれる。

 金塊を盗んだチャーリーらは各々お金を使い、チャーリーとステラは二人でヴェネチアを旅行するのだった。

解説

ミニの意味とカーチェイス

 原題は『The Italian Job』で邦題はどういうわけか『ミニミニ大作戦』なのだが、意外にも内容にマッチしたタイトルのようだ(ちなみにこの題の変更は調べた限り日本だけ)。チャーリーらが作るチームは、コンピューターに強いライル、運転が得意なハンサム、爆発物の取り扱いに長けたレフト、そして父のジョンと同じく金庫破りのステラの、5人組の盗みに特化したプロ集団であった。とはいえ、今回のミッションはボスであるジョンを失って初めての仕事である。これを成し遂げれば大人になれるということで、子供(ミニ)たちが一人前になるための大作戦というわけだ。

 本作の見所はなんと言っても、ミニクーパー三台とバイクのカーチェイスである。カーチェイスといえば街中を駆け巡るド派手な銃撃戦を想像するが、本作の特徴は車が異様に小さいことであって、その特徴は戦う場所や戦い方を一変させている。金塊を乗せても衝撃に耐えられるうえに小回りも効くように改造されたミニクーパーは、その特徴を活かして下水道を通るのだ。円柱上の通路を三台のミニクーパーが左右に揺れながら進むシーンは印象に残る名シーンである。もちろん追跡するのは普通の大きさの車では不可能なので、バイク二台が追ってくることになる。

 追跡シーンは『ボーン・アイデンティティー』(2002年)(アイデンティーを探す旅 -『ボーン』シリーズ*なるほう堂)を参考にして製作されていてかなりの迫力なのだが、一般的なカーチェイスと違う車のミニ(小)さにクスッと笑いがこみあげる。勢いよく飛び出した車が地面にズゴーンとぶつかるシーンも迫力があるのだが、車の小ささを認識するとこれで良いのかとツッコミを入れたくなる。だが、このギャップがいいのだ。カーチェイスにはヒョロヒョロ動くからこその面白さが存在するのである(このような認識に及ぼす作用は異化と呼ばれる:異化とは何か – シクロフスキー、ブレヒト*なるほう堂)。

 というわけで、「ミニ」にかけられたものは多い。半人前、ミニカー、子供。もともとミニクーパーを愛用していたのはジョンの娘のステラであった。ステラは男社会の盗み仕事に、仕事のやり方としても精神的な面でも変革を起こす。この仕事は金庫破りのステラ無くしては不可能であったし、ミニクーパーがなければ成功しなかっただろう。これはミニ(ステラ)の、ミニによる(ミニクーパー)、ミニ(半人前)のための大作戦なのだ。

考察・感想

集合と解散のシーンは心躍る

 ジョンは娘のステラに愛想を尽かされたダメ親父。そんなジョンの弔い合戦がスティーブから金塊を奪い返すミニミニ大作戦だ。ジョンはジョンと同じ仕事をすることで、過去と折り合いをつけジョンと和解をするという話にもできそうなのだが、そのようなお涙頂戴にはならないのがかえって魅力になっている。

 ステラは父のことが記憶にないというが感傷的な部分はそれくらいで、あとはジョンの影は見当たらない。ジョンのための復讐劇だという感じも薄く、ジョンがでてくるのは作戦が成功した暁にジョンの栄誉を称えるときくらいだろう。チャーリーは作戦終了後はステラと付き合い二人でヴェネチアを旅行するのだが、そこだけジョンの「残りの人生を一緒に過ごしたい人を見つけなさい」という助言をちゃっかり持ち出してくるあたりも、そこだけジョンがいいように使われていて微笑ましい。

 父(ジョン)と娘(ステラ)でも父(ジョン)と息子(チャーリー)の話でもなく、あくまで「ミニ」の次元にとどまる。だからこそアクションや金塊を盗む作戦の中身、仲間との掛け合いを楽しむことができるのである。

 最後に一つ。チームでミッションに取り組む映画ではよくあることなのだが、それぞれのプロフェッショナルがその仕事のためだけに集まるシーンは心躍る。『オーシャンズ11』や『インセプション』もそうだ。ミッション系の映画は仲間が集まるシーンが楽しい。そして集まるのと同じくらい、解散やその後の散財にも魅力がある。ミッションが目的なのではない。盗んだ金を使うことが大切なのだ。馴れ合いはない。解散はドライだ。仕事のために集まり、解散し各々の場所に戻る。そして日常で技を磨き次の仕事(非日常)があれば集まる。技術と好奇心で繋がるチームは、ドライだからこそ互いに信頼できるのである(この運動形態はどこかsealdsを思わせる。sealdsを論じた『平成転向論』の書評はこちら:政治はコンテンツではない 『平成転向論』書評*なるほう堂)。

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